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2018年 06月 08日

気動車発達史 27-2 アルファコンチネンタルエクスプレスの話

久々に気動車発達史をアップしたいと思います。
国鉄末期にキハ28・58形を改造したアルファコンチネンタルエクスプレス(キハ59・29)に関するお話です。
アルファコンチネンタルエクスプレスは車両もさることながら、その販売方法はギャランティ方式と呼ばれるものが導入されました、この辺は技術的な部分とは外れますので詳細は省略しますが、買い上げ運賃のうち、国鉄側に不足が生じた場合はホテルがその不足金を充当するというもので、金額にして約7300万円であり、これは、昭和60年12月21日~61年4月13日までの期間の114日間、座席定員の80%に相当する額となっており、当然のことながら利用者が多ければ、国鉄にはプラスになるように考えられていました。
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ギャランティ方式の概念

実際には、大好評でキロ29を急遽追加で外観だけ塗り替えて投入しましたが落差が既存の車両と落差が大きいとクレームの元となり追加で1両改造されたのはご存じの通りです。

改造車として秀逸だった車両
キハ59・29は、キハ56・キロ26を種車として、が昭和60年未に誕生しました。
改造は、苗穂工場が担当し、詳細設計を含めて約4ヶ月で完成させたとされており、昭和60年12月21日から運転を開始しています。
従来の国鉄型と比べると下記のような大きな特徴がありました。
  • 前方展望室としたこと
    パス等とはひと味違った前方景観楽しんでもらうと同時に、運転しているようなダイナミックな気分にひたってもらおうというもので、国鉄としては初の試みでした。
  • 眺望性をできる限り広げるため、来務員室と展望室をオーフンタイプとしたこと
    客室からの音、光の反射などが懸念されたが、業務に支障をきたすものではないと実証されました。
  • 専用の荷物、スキー置場を客室と分離して設けたこと
    これは室内居住性を高める上で大いに役立ちました。
改造の概要
なお、車両の特徴としては、先頭から1/3程度を切断して新しい構体を別途取り付ける方法tなっていました。
前面の展望席は、床面から約60cm嵩上げしており、固定式の座席が3列、12人分設置されています。
なお、眺望を確保するため、後方に向かって5cmずつ高くなるように配慮されていたそうです。
又運転席との仕切りは、5mmのガラス窓のみとしており、後方からの眺望を極力妨げない工夫が施されており、夜間運転時などは、運転台直上に設けられた遮光カーテンを閉めて室内からの映り込みが無いように配慮されていました。
車両定員は3両編成で156名。各車両52人で統一、一般座席は従来の床面から座席は17.5cm嵩上げされたハイデッカーとなり足下の暖房管を隠す形となりました。
シートピッチは960mmで当時の183系気動車よりも200mm広くなっていました。
なお、内装については従来の発想に囚われず。住宅用に使われる素材などを試用したとされています。
こうした思い切った発想が、その後のJR発足後の車両に活かされたと言えそうです。

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by blackcat_kat | 2018-06-08 00:09 | 気動車
2018年 05月 21日

気動車発達史 26 キハ38形 通勤形気動車

キハ38誕生の背景

キハ28が計画された背景には、ローカル線の廃止問題が絡んでいました、昭和58年には、ローカル線の基本仕様と言うべきキハ37が製作されました。
この車両はよく考えられていて、片運転台ですが、運転台後ろに出入り口があり、反対側は少し中心よりにドアが設けられており、将来ワンマン運転にも配慮された車両であり、窓割りもキハ40系列に準じており、クロスシートに置き換えることも容易な構造となっていました。
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キハ37形気動車

ただ、現在キハ35が活躍している線区、【八高線】のように非電化区間ではあるが相当数の需要がある路線でキハ37を投入するのは難しい。(八王子駅 - 高麗川駅間が電化開業は、1996年3月16日)さらに、キハ35初期車が経年でにより老朽化しており、更新の時期を迎えていたこともあり、キハ35の改造名義で各国鉄工場で製造されることになりました。

キハ38製造に当たっての理由が、国鉄の部内誌交通技術、昭和61年2月号(1986)に書かれていましたので、長いのですが、全文引用させていただきます。

キハ38形式が製造された背景について資料引用【交通技術資料から抜粋】

一般形気動車の老朽対策として、設備水準の高い急行形気動車のうち比較的経年の若い事両を対象として、特別保全工事による延命を図っているところであり、約900両を数える最新形式のキ〆40系と合わせて、当面約1500両のー般形気動車は確保できる見通しである。しかしながら、これらの形式はいずれも、片側2扉で座席配置もクロスシートまたはセミクロスシートであり、主として大都市近郊区間で使われている3扉・ロングシートのキハ35系については、代替車となり得なない構造であった。
また同時に、こうした3扉車が運行されている線区は、今後とも鉄道輸送の使命が残る線区であり、さりとて近い将来に電化も見込めないことから、何らかの老朽車両対策が必要となっていた。
そこで、一般形気動車の前給見通しが不明確な状況ではあったが、手戻りのない範囲として、また、優先順位の高い分野として、3扉・ロングシートの一般形気動車の取り替え用に、キハ37形式を基本としたキハ38形式を開発することとした。
なお、製作にあたっては、緊急の課題である設備投資の抑制と余剰人員の活用を図るため、キハ37形式で行った発生品活用の考え方をさらに徹底し、原則として老朽化した車体のみを新製して、主要な機器は再用する「車体更新改造」によることとした。
この車両の特徴は、液体変速機なども廃車発生品を流用したほか、側窓などにはバス用の汎用品を用いるなど、大幅なコストダウンを図ることを目的とており、国鉄工場の技術力維持のため5カ所の工場(大宮工場、郡山工場、長野工場、幡生車両所、鷹取工場)で7両が製作されました。
過員対策としても、行われたと書かれている点が時代を感じさせます。
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キハ38形気動車
キハ38形気動車の主な特徴

さて、キハ38形気動車の特徴を再び交通技術から引用させていただこうと思います。

  1. 片側3扉両開、ロングシートの通勤タイプとするが、性能・構造ほキハ37形式を基本としさらに徹底的な従来部品の再活用を図る。
  2. 機関は、今後の使用を考慮し、性能、燃費、重量、修繕費等を総合的に検討した結果、DMF13系機関とするが、室内騒音の低減を図るため、縦形とする。
  3. パス等の他輸送機関に対抗できるだけのサービスを提供すべく、冷房を装備する。
    なお、冷房装置には市場性の広いパス用クーラーを保用し、新製費を低減するとともに、1両単位での冷房を可能にする。
  4. 側引き戸は、キハ35系の外吊り式をやめ、戸袋万式とする。
    なお、一般形気動車で盲は従来、冬季、単線区間での対向列車の待ち時間等を考慮して、半自動ドア(聞きは手動、閉じは自動)としてきたが、キハ38形式では、扉付近の内外に開閉用のボタンを設け、停車中は来降客が、必要により押しボタンを押すことで、楽にドアの開閉ができるように改善した。
  5. 最低2両での運行を想定して、片運転台とじたまた、便所は2両に1カ所の割合で設けることとし、便所の有無で番号区分を行っている。
    キハ38   0代   便所あり
    キハ38  1000代  {更所なし
  6. 席配置は縦形(ロングシート)であるが、簡素な構造ながらもパケットタイプの区分座席とする予定で、暖色系の色彩とともに、温かい居住空間を目指している。
  7. 外観は斬新な前頭形状を採用し、外部塗色についても、従来のイメージを一新すべく検討中である。
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なお、キハ35形では強度の問題で外吊り式引き戸を設けていましたが、キハ38形では、多少の補強を行えば、3ドアでも大きな問題にならないとして、従来型の戸袋方式に戻りました。
また、八高線のキハ35で半自動ドアのボタンが試行されていましたが、キハ38では本格的にドア開閉用のボタンが採用されサービスが向上しました。
また、一般気動車としても初めて冷房装置が装備されることとなり、1台で最大2万6000kcal/hの安定した冷房能力の得られるサブエンジン方式のAU34形冷房装置を搭載されました。
ただ、これでも冷房能力は不足気味のため扇風機を併用することとすると、当時の資料を参照すると書かれています。

キハ37同様、量産に移ること無く、現在は廃車され、1両は水島臨海鉄道で活躍しているのはご存じの通りです。

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by blackcat_kat | 2018-05-21 11:13 | 気動車
2018年 04月 28日

気動車発達史 24 新系列一般型気動車 キハ40系列

新国鉄標準気動車キハ40系
昭和50年3月に登場したキハ66・67形気動車は転換クロスシートを装備した意欲的な気動車であり、計画では新潟地区など10だ気動車が集中的に配備されている地域などの置換えも視野に入れているとのことで、試作的意味合いを込めて30両を集中的に筑豊地区に投入したとされていますが、冷房装置搭載による重量増と、国鉄の財政悪化も重なり、結果的にはキハ66・67は増備されず、他の線区への投入は見送られることとなりました。
しかし、キハ17に代表される10系気動車は老朽化が著しく、小さな車体の居住性も劣ることから、新たな一般気動車が必要となり、新たに設計されたのがキハ40系列の車両でした。
DML30HS系エンジンと付随車を繋ぐ方式は必ずしもローカル線では有利といえず、キハ90で試作したDMF15HSAエンジンを再び動力車用に使うこととなり、出力を220PS迄下げることで安定性を高めることにしました。
キハ40系気動車の特徴
エンジン自体は、DMF15HSAですが、部内誌を見ますと、キハ66・67のエンジンと相当部分で互換性を持たせたとされています。
交通技術、昭和52年3月号の記事を少し引用させて頂きます。
DMF15HSADMF15HSA形と称するこの機関は、主機関附属装置を含めた機関の全体的構成は客車用電源機関であるDMF15HS-G (230PS/1800rpm)と似ているが、構成する部品の多くはキハ66・67に使用のDML30HSH形(440PS/1600rpm) と互換性をもたせてある。
と書かれています。
キハ66・67と部品を共通化することで、保守合理化は図れたと言えそうです。

なお、キハ40系列は、キハ10系客車の置換えをの念頭に置いていることから、
片運転台
キハ47→キハ45をベースに製作
キハ40→キハ24をベースに製作
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最初に製作されたのは、暖地向けのキハ47と酷寒用のキハ40形でした。
以下に、キハ40・47形の基本的構想を記します。
  • 昭和50年に製作されたキハ66・67の経験を取り入れるとともに、部品の共通化をはかる
  • どのような線区でも運転できるように、居住性は改善しつつも車両全体の軽量化をはかる。
  • 在来車と自在に混結運転ができるようにするため、運転操作は従来車と全く同一。
  • 暖房効果を高めるため、温水暖房をやめ、強制熱交換による集中温風暖房方式に変更。
  • 軽量化と機器の簡素化のため冷房装置は省略、扇風機のみ設置
  • 車体は難燃化構造
  • 黄害対策として汚水処理装置の取付け準備工事
  • 踏切障害に備えて車体の前面強化を行うとともに、客室及び乗務員室の環境改善並びに居住性の向上をはかる。
  • 保守の省力化(点倹の省略・簡易化、部品交換の省略・簡易化)推進
  • ディーゼル機関は定絡を220PS/1600rpmとし、公認定格出力に対して12%の余浴をもたせる。
  • 液体変速機はキハ66・67に使用している DW9形をサイズダウンしたものを使用する。

重装備な車両
キハ40系列は、客室及び乗務員室の環境改善並びに居住性の向上をはかる。と共に、保守の省力化(点倹の省略・簡易化、部品交換の省略・簡易化)が図られた車両でした。
車内は、キハ45の1400mmのシートピッチは再び1470mmとされ、当時製造されていた113系や115系のシートピッチ拡大車と同じ同じとなりました、また運転台が急行形車両並みに広いのもこの時期の車両の特徴でした。
なお、エンジン定格出力より低めに設定して、保守の省力化に徹した結果、故障の少ない車両となりました。
特にキハ40では北海道向けの耐寒耐雪装備の他に、空気バネが採用され、軸ばねにも着雪を防ぐためゴムで巻く等の対策が取られており、温風暖房方式に採用で外気温-30°でも室温は22°~27°を保てたと記されています。

エンジン出力は220PSになったものの、実際の加速力は従来の車両とほぼ同じという結果が、同じく国鉄の部内誌、交通技術の昭和53年6月号の中で述べられており、その理由として補機類の負荷が大きいこと。前面強化等による車両重量の増加が原因と考えられる他、変速機の特性上で低速域で遅くなるのもその原因かと思われると書かれています。
さらに、過給器付であるが、過給器が動作するまで10秒程度のタイムラグがあるとも書かれており、そうしたことがキハ40系気動車が鈍重であると言うイメージを作っていると言えそうです。
当時の資料からその辺を引用させていただきます。
3) 車両加速力
性能試験結果から動輪周引張カは計画通りであり、加速力は同一動輪径では従来車と殆ど差がない。キハ40,47形式車の機関出力が従来車より太きいのにかかわらず加速力がほぼ同一であるのは、暖房用等の補機馬力が大きいこと、前面強化等車両重量の増大等によるものである。ただし、新形式車の液体変速機はl段3要素形であるため、変速運転の低速域では従来車に比して引張力は若干劣るが、中速域ではやや優れている。
また、新形式車の機関は過給機付きであるが、ノッチアップしでも過給機回転が追従せず
、機関が正常な出力を出すまでに約10秒を要する。このために、従来の無過給機関付きに比してスタートダッシュが悪いことは事実であるが、高出カ化のために過給機付きとせざるをえないわけで、この程のことはある程度は避け得ない。
変速から直結に切りかえた直後の加速力は3.2の改良により約14%向上する。
引用終わり。交通技術昭和53年6月号
JR化以降も主力車両として
キハ40系列車両は、JR化後もエンジンの換装などで引き続き使われることとなり、JR東海を除き、現在でもその活躍範囲は狭められつつあるとは言え、JR各社で活躍しているのはご存じの通りだと思います。
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姫新線で使われていた頃のキハ47、姫路駅にて

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by blackcat_kat | 2018-04-28 23:30 | 気動車
2018年 04月 21日

気動車発達史 23 10系気動車置換えの汎用気動車 キハ66・67

キハ10系気動車の置換え用として
国鉄用気動車は、昭和40年代前半まで新製が続きましたがその後は電化の進展などによる配点で賄われてきたこともあり、本格的な近郊形として開発されたキハ45も100両程で製造は中止されてしまいました。
無煙化の立役者となった10系気動車も、その後誕生した気動車と比べるとその居住性は劣り、老朽化と相まって大変見劣りしていました。
そこで、置換えを考慮して新設計された気動車が、キハ66・67でした。
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画像 wikipedia
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交通技術 昭和49年7月号から引用
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交通技術 昭和49年7月号から引用
新幹線連絡としてふさわしい車両として
キハ66・67形気動車は、新幹線連絡を担う気動車という位置づけもあり、本社で検討された結果、普通列車用ではあるが快速や急行列車に使っても遜色がない車両ということで計画がなされました。
昭和49年から設計が開始され、開業前の昭和50(1975)年1月までに間に合わせる予定だったそうですが、実際には3月入ってから、それも30両が全車揃ったのは、3月31日だったそうで、その間一部の列車は運休をせざるを得なかった記録されています。

なお、車両は新製後直ちに、門司鉄道管理局管内の直方気動車区に配置されることとなりました。
この辺りの詳細は、直接気動車の発達とは関係ないので別の機会にお話をしたいと思います。
さて、元々キハ66・67形気動車は、新幹線連絡を兼ねて汎用的に使いたいということから、今までの車両と次のような点で異なっていました。

  • 普通列車用として初めて冷房装置を標準で装備した。
  • 転換クロスシートのセミクロスシートを採用した。(在来線の普通車では初】

これにより、快速や急行列車にも運用できる車両として位置づけられました。

また、車両の特徴を見ていきますと。

  • 夏期にエンジントラブルに巻き込まれたので、エンジンの改良を行い、440PS(425PSという記述の資料もあり)に出力を下げて安定性を図ることにしたDML30SHとしました。【改良点は、ガスケットを三気筒一体から一気筒ごとに変更としたほか、燃料噴射量を調整して連続定格出力425PSと比較的余裕にある使い方をするようにしたほか、液体変速機もキハ181などで使用した充排油方式ではなく湿式多板クラッチ方式に変更したとされています。
  • 暖房装置も電気式に変更された。
  • 2両1ユニットで運用【キハ66・67】することとした。
  • 他車との併結は考慮されている。
  • 空気ブレーキ装置は気動車で初めて三圧方式が取り入れられた
  • ブレーキはディスクブレーキではなく、従来型の制輪子を車輪に押しつける方式となった。
  • ディゼル発電機の騒音防止のため、機関カバーを取り付けた
  • 強制通風式のラジエーターを屋上に設置した。これに伴い、気動車として集中型が搭載された。
  • 運転台の位置が、更に上がり、貫通ドアと窓の位置が合わなくなった。【この高さは,その後キハ40系でも踏襲されることになる。
    これは、昭和49年に高砂向上で行った、ダンプと車両の衝突試験の結果からだと言われています。

DML30HSは出力ダウンして安定化
DML30HSエンジンは500PSの出力の反面、故障も多かったため、上記のとおりエンジンの改善を行った、ただし全長が変更されるなど、従来型のDML30HS系エンジンとの互換性は無くなったと言われています。

急行色をまとった近郊形
急行列車にも運用することを考慮して、標準急行色をまとった車両として誕生しました。
実際に、筑豊本線ローカル急行列車である「はんだ」および「日田」に使用されました。
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昭和50年の時刻表から、急行日田
(日田~湯布院間は、キハ58系とキハ66.67が併結運転していました)急行由布一号と連結されて走っていました。

なお、キハ66・67は一年間で稼働の様子を見てから量産する計画と書かれていましたが、残念ながら量産されたのは現在もJRで気動車の主力と?して残る40代気動車になるのですが、その編はまた次回とさせていただきます。

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by blackcat_kat | 2018-04-21 12:11 | 気動車
2018年 04月 17日

気動車発達史 22 高出力気動車再び キハ65系急行気動車

急行列車の冷房化推進
昭和40年代になると、生活水準は向上し、急行用1等車【グリーン車】も冷房化が進み、旧2等寝台のマロネ29やスロネ30と言った1等C寝台(非冷房車)も淘汰されており、引き続き急行用2等車の冷房化が計画されることとなりました。
しかし、ここで気動車の冷房用電源をどのように確保するべきかという問題が生じたのです。
特急気動車の場合は、キハ80系では、DMH17H-G形エンジンで発電して125KVAの集中電源装置で給電していますし、181系気動車ではDMF15H-G機関により150KVAの集中電源装置で編成全体の電力を賄うようになっています。
しかし、急行用気動車の場合、先行して1等車が【グリーン車】独自で冷房用エンジン(4DQ形ディーゼルエンジンを動力源とする25KVAに発電機)を搭載して自車を賄うようになっていました。
急行用気動車冷房化で困ったこと
そこで、2等車【普通車】の冷房化の場合は、1等車以外を冷房化することで良いと言うことになるのですが、キハ58の場合、エンジンが2基あり、新たに電源装置を搭載することが出来ません。そこで、1エンジンで床下に若干余裕がある、キハ28に発電セットを搭載すべく70KVA(4VK)の電源装置が開発され3両の給電が可能となりました。
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しかし、勾配線区を多く抱えるところでは必然的にキハ58の比率が高くなり、冷房化のためにキハ28と置き換えるとトータルの出力が低下してスピードダウンなどのもんだが生じてしまいます。
そこで、冷房化と高出力化の両方を満たすために、キハ65形が計画されることとなりました。

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キハ65の特徴
キハ65は、キハ58との併結を主な目的としていたため、制御機器もキハ91やキハ181のハンドル式マスコンではなく、従来の方式と同じ装置が使われており、変速・直結の切換も従来車同様に手動式とされていますが、トルクコンバータの直結構造が爪クラッチとなっており完全な同期が必要となるなど、若干はキハ58などとは異なっていますが、キハ91で問題となった自然冷却方式ではなく、こちらもキハ58などと同じ強制冷却方式に変更されました。
ドアが折り戸となったのは、キハ91と同じ理由で台車の側面で重量をさえる特殊構造の台車を使用した結果でした。
窓は、12系客車と同じ上段上昇下段下降の153系以降の急行電車などに採用されたユニット方式でした。
また、洗面所の設備が省略されましたが、その分シートピッチが長くなり、1580mmとなっていました。
シートも背ずり下部が大きく張り出し、少し座面が低くて座り心地の大変良いもので、冷房装置と相まって指定席車に優先的に使われたそうです。
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なお、キハ65はその特性上低速時はキハ58に押され20km/h以上では逆にキハ65が押す形となる特性がありそうです。
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by blackcat_kat | 2018-04-17 23:15 | 気動車
2018年 04月 15日

気動車発達史 21 高出力特急気動車 キハ181系誕生

特急用気動車 キハ181系誕生
昭和43年10月の改正で、中央西線に特急気動車による高速運転が計画され、その目的達成のために計画されたのが、キハ181系特急気動車でした。
既に、特急気動車としてはキハ80系気動車が走っていましたが、DMH17Hエンジンは1台あたりの出力が180PSと小さく、同一エンジンを普通列車も特急列車も使用することで得られたメリットも多かったのですが、特急気動車の場合編成あたりの出力は6.5PS/tにしかならず、平坦線でも100km/h 、25‰の勾配線区では42km/hしか速度が出ず、そこで昭和37年度から新系列気動車の開発が進められ、昭和41年には試作車としてキハ90(300PS)並びに、キハ91(500PS)が試作され、翌昭和42年には、量産型試作車として、キハ91形【キハ91-7両、キサロ90-3両が試作されました。
そして、今回試作されたキハ91をベースとして計画されたのが、先程申し上げたキハ181系特急気動車でした。
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キハ181系先頭車
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キハ180中間車
画像はWikipediaから引用

キハ181とデザイン
キハ181系は、キハ82系のデザインをほぼ踏襲した形ですが、ライトカバーが角形となるなど全体に厳つい印象をあたえることになりました。
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wikiediaの画像を一部加工

さらに、80系気動車と比べると一部設計変更がされており、主なところを上げると下記のようになります。

  • 蛍光灯の制御回路がDC24VからAC254Vに変更され交流発電機に変更されました。
  • 先頭車キハ181は、走行エンジン並びに発電用エンジンを搭載したため、軽量化に特に配慮し、室内にアルミ製放熱器を設置した、この結果機械室が長くなった。
  • 便所・洗面所を設置せず、先頭車の定員はキハ82と同じ58人を確保した。
  • 液体変速機は、DD51のような充排油方式に変更されました。
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181系諸元表

特に軽量化に意が払われた先頭車
先頭車のキハ181は、前述のとおりサービス用電源エンジン(DMF15H-G)エンジンと、DML30HSC形エンジンの両方を搭載しており、運転整備時の最大軸重を13t【後述】するために、特に軽量化に意が注がれましたが、それでも整備重量は51tに達したそうです。
なお、それ以外の制御回路はキハ91と同様のものが採用されましたので、キハ91とキハ181は連結が可能でした。
実際に、キハ181系トラブル時にキハ91を投入したと言う記録もあるそうです。
ただ、従来型気動車との併結は考慮されておらず、読替装置は設けらていません。

広域転配を考慮して計画された設計
キハ181は中央西線用として計画されましたが、中央線電化後は奥羽本線に転用することを考慮して6M1T編成で、機関1台が停止した状態でも34‰勾配を30km/hで走行できるように配慮したそうで、低速時での冷却不足を考慮して、キハ58で儲けられたと同じ強制送風式の放熱器も設けていたそうです。
それでも奥羽本線では、夏場などでオーバーヒート事故が多発して、当初は単独で走っていましたが、途中から電気機関車のお世話になったのはご存じの通りです。
なお、軸重を13tに抑えた背景には、最高速度を120km/hとした上で線路負担強度を検討した結果から、軸重を13tと言う数字が出てきたそうです。
最高速度を低く抑えれば、線路の負担強度は増しますが、そうで無い場合は速度を大幅に抑えなくては成らないからです。
余談ですが、現在の東海道・山陽新幹線の軸重は11tに抑えられていますが、これも同様の理由で、270km/h【300系計画当初】の振動や軌道破壊の特性と、0系車両の220km/hの値がほぼ同値で有るためと言われています。

中央西線のエースとして
中央西線の特急として、華々しくデビューしますが、山岳区間を縫う列車ということで最高速度は伸びず、表定速度は60.3km/hと特急列車としては最低を記録してしまいましたが、従前の急行列車と比べて約40分の短縮となっており、特急化による高速化の意図は十分果たせたと言えそうです。
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昭和44年5月の時刻表から

増備される、181系気動車
中央西線に投入されたキハ181系は、翌年度には「特急つばさ」に、昭和45年度には「特急やくも」、昭和46年度には特急「しおかぜ」・「南風」がそれぞれ181系特急車両で置換えられました。
なお、1次車は踏面ブレーキが採用されましたが、翌年度の増備車からは、キハ82で定評があったディスクブレーキ方式が再び採用されることとなりました。
これは、勾配線区で踏面ブレーキによる熱容量の問題があると判断されたからでした。

板谷峠では再び機関車のお世話に
「特急つばさ」として、キハ82系から置き換えられた、181系は当初は、板谷峠でハイパワーを活かして電気機関車の補機を必要としない単独運用が組まれていたが、屋根上の自然放熱式冷却器では長時間にわたる高速運転では十分冷却されず過熱状態となってしまううえ、通風量が不足することで冷却能力が著しく低下、奥羽本線の勾配区間に入っても、機関の定格出力いっぱいの運転が実施された結果、ヘッドガスケットの吹き抜け、排気マニホールドの過熱 → 発火・焼損等といった致命的な事故が頻発したため。予備車が不足する事態となり、単独運転とされていた板谷峠では再びEF71形の補機を連結するように昭和47年のダイヤ改正で変更されることになりました。
この措置は奥羽本線が交流電化される昭和50年の奥羽本線電化まで続けられることになりました。

関連
キハ90/91形試作車のお話はこちらも参照ください。

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by blackcat_kat | 2018-04-15 10:17 | 気動車
2018年 04月 01日

気動車発達史 20 従来型気動車の居住性を改善したキハ45誕生


国鉄初の近郊形気動車誕生

国鉄では、昭和41年から113系に準じた気動車を投入することとなりました。
今までの一般形と呼ばれた気動車は、片開き式の1枚扉でしたが、キハ45は113系のような両開き扉を採用した車両
前面はキハ58系に似た前照灯が2灯付いたスタイルを踏襲、窓は113系と同じパノラミックウインドウを採用していました。
ただ、車両幅は今までの一般気動車と同じ2800mm【正確には2803mm】であり車体長はの21.3m【キハ55以降この長さが国鉄・JR共に気動車の標準寸法となったようです。】となりました。
これは、2機関搭載のキハ53をベースに設計を行ったからだと言われています。
a0091267_23581987.jpg
画像 wikipedia

外観はキハ28・58の車体幅を絞った上でパノラミックウインドウ【その後キハ28・58もパノラミックウインドウを設置】となり、側面は113系が3ドア出会ったのに対して2ドアとなっている点は異なりますが、同じような窓配置でした。
ただし、113系が2段上昇式の窓でしたが、キハ45は153系などで見られた上段上昇、下段下降のユニット窓となるなど詳細は異なっていました。
また、シートピッチに関しては、これまた113系電車を参考にしたためか、1400mmと少し現在の車両と比べると小さく、膝を突き合わせると互いの足がぶつかるほどでした、ちなみにキハ25形は。シートピッチ、1470mmとなっており、シートピッチに関しては、キハ25系の方が優れていました。(追記して訂正させていただきます)
あくまでも近郊形という位置づけですので急行形のように窓下にテーブルなどは設置されず、幅も2800mmと小さいことから窓側の肘掛けも省略されていましたが。キハ20と比べると車内の中心を通る排気管も無く【キハ52後期増備車はDMH17Hを採用していたので排気管は無し】全体に近代化されたイメージでした。

なお、このシリーズは下記のようになっていました。
  • 内地向け・両運転台   キハ23
  • 北海道向け・両運転台  キハ24
  • 内地向け・片運転台   キハ45
    • 北海道向け・片運転台  キハ46
    • 2両エンジン 両運転台 キハ53

キハ45系列の車両は、総数179両と少なく製造期間も昭和41年~43年と短かったにも関わらず全国に少数ずつ配置され、キハ20や17と混結して活躍したものでした。

この辺は、国鉄が同じエンジンを採用していたため形式こそ違えど全く違和感なく連結できた功績と言えましょう。


幻に終わったキハ45増備計画


キハ45は、その後も増備が予定されていたようですが、既に充足数は足りていたため新たな増備は行われず、キハ17系の老朽廃車が始まる昭和50年頃まで近郊形【一般型】の気動車が増備されることはありませんでした。

なお、昭和61年4月の鉄道ピクトリアル、キハ35・45特集では、キハ45を増備する計画があったそうで図面も設計されたそうですが結局、幻で終わったと書かれています。


遜色急行として九州で活躍

キハ45は、居住性が高かったこともあり、九州では急行列車、「からくに」に使われたそうです。

昭和41年10月号の時刻表、急行「からくに」をアップさせていただきました。

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鹿児島本線、出水から水俣ま

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水俣から山野線経由で山越えして都城から宮崎に向かうルートを走っていました。

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by blackcat_kat | 2018-04-01 00:04 | 気動車
2018年 03月 26日

気動車発達史 19 キハ90形気動車の開発 2 量産試作車編

量産型キハ91誕生

キハ90形並びにキハ91形は新製後、千葉区に配属され検討された結果、大出力のDML30系エンジンを今後の気動車の標準エンジンとすることが決定されました。(在来気動車との併結の際は、読み替え装置が設けられていたそうです)
高出力エンジンを使用することで、付随車を随時挿入することが出来るほか、冷房用エンジンを設置するスペースを確保できることで経済性が高まると言う判断でした。
そこで、更に量産に向けての実証用として、キハ91形7両とキサロ90形3両が昭和42年7月に製作されました。
キハ91形については1両のみ試験的に冷房装置を搭載、その他車両は準備工事にとどめられました。
また、1等車【グリーン車】は付随車として製作され、当初から冷房付きになっていました。
キサロ90の外観はキロ28を踏襲したものですが、キロ28-0番台が張り上げ屋根であったのに対し、普通の雨樋があるタイプの屋根となり印象が変わりました。
ただ、キロ28の最終増備車である、キロ2309 - 2314・2508 - 2518に関しては外観をキハ65と合わせたため、キサロ90に近いイメージになりました。
量産試作車キハ91 100年の国鉄車両から引用


いかめしい読み替え装置を付けたキハ91量産車の外観

キハ91量産試作車は、キハ91試作車が全体に丸みを持たせたものであったのに対して、後に製作されるキハ65に似た外観でした。
国鉄部内雑誌、交通技術の資料に書かれている記述を引用させていただくと、試作車の運用で得られた内容を基に、特に耐寒耐雪対策などを盛り込んだと書かれています。
少し長いですが、全文引用したいと思います。
キハ91は試作車の使用経験を生かして種々の改良が行なわれている。
走行性能の向上・従台車の滑走防止・機関の点検を容易にするための燃料噴射ポンプおよび始動電動機の移設・屋根上放熱器に補助送風機を取付けた冷却能力の増加・小形継電器の密封化・自動連結器の錠のせり上り防止・側折戸の開閉容易化・排気管の防振支持などを実施している。
寒冷地で使用するので、必要箇所に耐寒耐雪対策も併施した。特に発電機関を冬なども運転するため、ウオーミングアップ・不凍液・オイルパンヒータを追加した。
名古屋~長野間1往復の運転になるが、一部の区間で在来車との混結運転が行なわれるので、キハ91の前面には混結装置を取付けたままで、他の運転が支障しないよう考慮しである。
ここで書かれている、混結装置とは、運転台下に付いている箱であり、ノッチの読み替え等を行う装置でした。
wikipediaの写真などでは、この制御装置が外されている写真が上がっていますが、落成当初は下記写真のように運転台下を殆ど埋めるようなに装置が付けられていました。
なお、キハ91-8のみ冷房装置が試験的に搭載された以外は、準備工事とされたことは前述したとおりですが、クーラーに代えて補助送付機が設置されていました。
下図参照
a0091267_23013486.jpg
冷房装置の代わりに設けられていた補助送風機
結局最後までキハ91 1~7は冷房化されることはありませんでした。

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当初千葉区に配置されたキハ90・91試作車は量産試作車と共に名古屋区に移転となり。昭和42(1967)年12月から、「急行しなの」運用に入ることになりました。
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昭和42年10月時刻表から引用

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by blackcat_kat | 2018-03-26 23:04 | 気動車
2018年 03月 25日

気動車発達史 18 キハ90形気動車の開発 試作車編

長々と続けておりますが、今回は新系列気動車の基礎となった、キハ90・91のお話をさせていただこうと思います。
車両に関しては結構見つかるのですが、肝心のDMF15エンジンとかFDML30HS系エンジンに関する資料が手元に無くて・・・。
その辺りの不明な点は補足いただければ幸いです。

高出力気動車用エンジンの開発と挫折

さて、国鉄でもDMH17系エンジンによる保守費の増加や製造コストが高くなることに対してはかなり問題意識はあったようで、DD13で使われていたエンジンを再び横型にした、DMF31Hエンジンによる、キハ60形が試作されました。
出力的には十分なものであり、新機軸を【充排油式】の液体変速機や、2軸駆動などの新機軸が取り入れられましたが、変速機の問題【直結と変速の切り替わりのタイミングが合わず、過大な衝撃負荷によるクラッチ破損等】問題があり、量産はされることはありませんでした。

新しい、標準エンジン誕生、DMF15系エンジンと、DML30系エンジン

その後も国鉄と民間メーカー【新潟鐵工所、ダイハツディーゼル、神鋼造機】による共同開発は続けられ、昭和37年には、全く新しい設計のDMF15HZエンジンが、翌昭和38年には、DMF15系エンジンをベースに12気筒化した、DML30HSAエンジンが開発されました。
DMF15HZエンジンは、過給器(ターボチャージャー)並びに中間冷却器(インタークーラー)を装備し、連続定格300 PS / 1,600 rpm を誇りました。
なお、12気筒化された、DML30HSAは、過給器(ターボチャージャー)装備で500PSを発揮していました。
そこで、このエンジンを実際に搭載した気動車を試作することとなり、誕生したのがキハ90・91気動車でした。
キハ90がDMF15FHZAエンジン搭載の300PS、キハ91がDML30HSAエンジン搭載の500PSでした。
車両の特徴は後述しますが、最終的に国鉄として、気動車用にはDML30HSAを搭載したエンジンを、DMF15HZAエンジンは発電用エンジンとして利用する方針が決定しました。
実際には、DMF15系エンジンは、その後老朽化したキハ17の置き換えようとして増備されることになるキハ40系列の気動車に採用されるのですが、これは後の話

試作気動車、キハ90とキハ91誕生
DMF15系エンジン並びに、DML30系エンジンを基に比較のため、DMF15HZA搭載のキハ90並びに、DML30HSAエンジンを搭載したキハ91が試作されることになりました。
昭和41年3月に完成し、千葉区に配置されて各種試験に供されたようです。
車両の特徴は、丸みを帯びた独特のパノラミックウインドウ、更に側面出入り口の3枚折り戸と言ったところでしょうか、側窓は153系と同じ上下2段のユニット窓となり、キハ58とは大幅にイメージが変わりました。
なお、天井には大型ラジエターが搭載され、外観は大きく変わることになりました。
なお、冷房装置の搭載は試作車では見送られることになりました。
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キハ91試作車

当時の交通技術と言う部内向けの雑誌を参照しますと、下記のような書き込みを見ることが出来ます。
少し引用させて頂きます。
台車は、新設計のもので、キハ90用の1軸駆動DT35、キハ91用の2軸駆動DT36及び両形式の従台車TR205ともに基本構造は同じ、心ザラなしの全側受方式になっていました。
なお、この台車方式はその後キハ65やキハ181系に引き継がれることになります。
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交通技術 昭和41年6月号から引用

また、運転台は、全く新しい発想のユニット式運転台であり、その後キハ181にも採用される2ハンドル方式でした。
右側がセルフラップのブレーキ弁で前方に押して作用する。左側は主幹制御器でこれも押すと力行になり、またエンジンプレーキもこのハンドルの操作によるとされていました。
また、右から時計・圧力計・速度計・電圧計等が蛍光発光する方式となっていました
a0091267_21350210.jpg
画像はキハ181の運転台。wikipediaから参照

さらに、制御方式が新しくなったことに伴い、電気引通線が168本にも成ったことから、連結器下に自動電気連結器を設置することとなりました。
この密着自動連結器もキハ181系で採用されることとなりました。
a0091267_21384601.jpg
続く

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by blackcat_kat | 2018-03-25 21:45 | 気動車
2018年 03月 16日

気動車発達史 17 キハ35形通勤形気動車の誕生

本日から、キハ35形通勤気動車のお話をさせていただこうと思います。
キハ35形気動車と、便所の設備を撤去したキハ36、両運転台のキハ30があり、寒冷地向けの500番台や、オールステンレス車体として試作された900番台があります。

通勤用気動車の誕生

さて、キハ35形気動車が誕生した背景ですが、通勤対策が大幅に遅れていることが原因でした、その辺の事情を天王寺鉄道管理局三十年写真史に求めてみますと、下記のような記述が見られました。
全文引用させていただきます。
a0091267_00324448.jpg
昭和31年当時の関西線【昭和31年の時刻表から)
a0091267_00541266.jpg
昭和37年12月時刻表から

a0091267_00541324.jpg
区間運転部分だけを拡大してみました。

関西本線DC化
昭和34年、監査委員会から、低調であった関西線の経営のあり方について指摘を受け。これに基づいた同線の大規模な輸送改善並びに合理化が実施されることになったが,これに伴い亀山・湊町間115.3キロの全面DC化が実現した。
まず36年12月奈良・湊町間にDC26両を投入,客車のDC置換えを実施した。
ついでDC37両を投入してDC化区間を亀山まで延長、これに伴い,亀山・湊町間オールDC化が完了。同時に奈良・湊町間にDCの快速が誕生するなどの大幅な輸送改善が実現した。
と書かれています。

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出発式の様子、奈良駅 天鉄局30年史アルバムから。

気動車史上初の通勤形

もちろん、当初から国鉄本社としては関西線のみの専用形式というよりも、千葉地区などでも投入を予定したいたようです。
最初の選定路線として、平坦区間が多く、気動車の置換えで効果が高いところという視点から選んだと言われています。
実際、奈良~湊町間は、大阪のベッドタウンとして戦後急激に発展していました。
近鉄は電化されていたにも関わらず、当時の関西線は、蒸気機関車牽引の客車列車が主力で、客車は老朽化し、乗降扉は走行中の施錠もできない手動式で、昭和初期と大差ない前時代的な旅客サービス水準でした。
列車本数(片道)も日中は1時間に1~ 2本、朝ラッシュ時でも1時間に4~5本程度と、並行する近鉄奈良線や大阪線と比べるまでも無い状態でした。
そこで、この区間をDC化することで近代化すると共に旅客輸送の需要に応えることとして開発されたのが、キハ35形気動車でした。

電車とは異なる特徴有るスタイルに
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キハ35の室内写真【交通技術昭和36年12月から引用】

この気動車の特徴は、101系通勤電車をその範に取るというものでしたが、全く電車のスタイルを踏襲するわけにはいきませんでした。
その一つが、車体に設けられたステップでした。
元々客車時代のホームは高さ760mm、電車専用区間1100mmm、電車・客車併用区間920mmとなっていました。
田舎の駅では極端に低いホーム【気動車の台車やエンジンが見える】に遭遇することがありますが、これは客車時代のホームの扛上【かさ上げの意味】がなされていないからです。
そうしたホームが数多くありますから、従前の気動車同様、ステップは必須であり、それ故に外吊り3枚扉という独特のデザインが誕生したのです。
これは、ステップを設けなくてはならない反面、そうするとスペースがステップの分だけ圧迫されることになりますし、まして車体中央に1.3m幅の開口部(有効開口幅は1.2m)を設けて戸袋を設けると台枠の一部を切ることになり、台枠強度が低下することになりました。
また、車両の中央部に1.3mの開口部を設けるため車両の艤装スペースがその分狭くなります。
結果的に2エンジンを搭載することが不可能となってしまいました。
また、通勤用と言う性格上、この車では軸重増を考慮して車軸径を少し太くした他、いままでの液体式ディーゼル動車との混結運転も可能となっています。 
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車体は、戸袋の無い外吊り式の引き戸とされ、戸袋が無いためドアすぐ横の窓は開閉することが可能となりましたが、ドア開閉中に手や顔を出していると危険なため、ドア横の窓は下側も手が入るか入らないかの開口部であり、保護棒が下部に付いていたように記憶しています、車内に入ると101系のようなつり革の配置で、枕木と並行して並ぶつり革なども設置されていました。
異色だったのは、出入り口付近のパイプに灰皿が見受けられたことでしょうか。
また、通勤用気動車で有りながら、便所も設置されているなど、随所に電車とは異なる思想がありました。
なお、翌年の昭和37年には、トイレ無しのキハ36形が投入された他、寒冷地である弥彦線にも、キハ35形が投入され,同年9月12日から使用されました。
弥彦線に投入されたキハ35は500番台を冠する寒冷地仕様で、501~512の12両が越後弥彦線管理所に配置されたとされています。【当時は管理所制度がありました、(JR西などに見られる鉄道部に似た制度)】
ベンチレーターの押込式など寒冷地向けに仕様が一部変更されています。
ちなみに、弥彦線にキハ35が導入されたのは、吉田~東三条間の沿線に工場が多く朝ラッシュ時の混雑が激しいためであり、キハ17のロングシート化を新潟支社として提案したが、台枠強度の問題から不可となったことによるものでした。

続く
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by blackcat_kat | 2018-03-16 00:56 | 気動車