鉄道ジャーナリスト blackcatの鉄道技術昔話

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2017年 10月 28日

EF66形機関車について 第4話

試作車EF90の誕生

試作車EF90は、昭和41年9月に川崎重工で製作され、吹田第二機関区(第一は蒸気機関車)に配置されました。
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EF90 試作車

機関車の特徴(共通関係)

EF90(66)形の特徴は、あの独特のマスクと言えるでしょう、もちろんデザイン優先で作ったわけでな
く、高速貨物輸送を行うことから見通しの確保及び衝突時の安全等の機能を追求する中で創出されたデザインです、いまだ工業デザインという言葉もあまり聞かれなかった時期、中央部を突出させた独特の形は、強い印象を内外に与えたことは間違いありません。
EF66はデザインの他基本性能も優れていたため、JR 貨物発足後の機関車不足を補うため、EF66-100番代が前頭部のデザインを変更の上製造されています。
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(EF66 100番代 画像 wikipedia)

EF66形は、国鉄時代の機関車としては、唯一「鉄道友の会」ブルーリボン賞を受賞しています。
以下簡単に特徴を箇条書きをします。

走行関係
  1. 定格出力は1モーター 660kw 総出力 3960kwは当時世界最大
  2. 機関車として初めて空気ばねを採用
  3. クイル式を改良した、中空軸可撓(カトウ)駆動方式と呼ばれる、方 式を採用
    (バネ下重量を軽減すことで軌道への影響を軽減するとともに、高速走行時の安定性確保するため)
車体関係
  1. 110km/h の高速運転を考慮し、運転台を高くすると共に屋根は突起のない平屋根とし騒音の防止を図った。
  2. パンタグラフは、非常空気溜を使って車内からアップできるようにした。(従来はディスコン棒と呼ばれる、絶縁された棒でパンタグラフを 上げていた。EF90もディスコン棒を使用)
  3. 高速貨物用の装備として、ブレーキ率制御装置(機関車単体に効く、) を設けた。
  4. 高速貨物以外を牽引する場合は、連結器横のコックにより、密着連結器に設けられた、元空気溜管を締め切るようにした(これにより、高速貨車以外の貨車を連結すると最高速度は85km/hに制限される。)
運転関係
  1. 自動進段制御を採用しカム軸が小さく、電車並みに。(EF66の特徴の一つ)
  2. 歯数比 20:71=1:3.55
  3. 引張力 19590kg(約192.08kN)
  4. 最高速度 110km/h
  5. 均衡速度 72.2km/h(85%界磁)
  6. 運転整備重量 100.80t
  7. 運転台の表示灯に、初めてピクトグラムが採用され、直感的に操作ができるようになった。

続く



# by blackcat_kat | 2017-10-28 21:32 | 電気機関車
2017年 10月 27日

EF66形機関車について 第3話

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暫定的措置として

機関車としては、完全に新設計となるため、41年の特急貨物には間に合わないことから先にも記しましたが、前年から製造を開
始していた EF65形機関車を重連で使用することとしました。
具体的には、下記の装備を取り付けることにしました。
高速貨物用貨車牽引用の設備として
  1. 重連総括制御機能
  2. 空気管付き密着自動連結器
  3. 連結器の自動復心装置
  4. 編成増圧装置
  5. 電磁自動空気ブレーキへの指令機能
の装備を追加した、EF65-500番台(513 - 526・532 - 534) を製造するといことでした。
これにより、高速貨物輸送の体制は整いましたが、1000t 貨物にはこの重連運転は、逆に過剰出力となり、貨物編成長の問題や、変電所ピーク電流の増加(5000A)に伴う、電圧降下などの問題が指摘され。重連運用は東海道線全線と山陽本線姫路以東に限定されました。
(それ以外の区間では、EF65単機とし600t牽引)



# by blackcat_kat | 2017-10-27 05:39 | 電気機関車
2017年 10月 26日

EF66形機関車について 第2話

昨日に引続き、機関車登場の背景について語らせていただきます。
なお、EF66は、京都鉄道博物館に保存されている他、大宮の鉄道博物館にも保存されています。

EF66と言いますか、最高速度100km/hで走行できる貨車が誕生するまでは、85㎞/hが最高で、2軸貨車は75㎞/hにその速度が制限されており、高速道路の延伸などを考えると貨物列車の改善は急務と言えました。
博多港から大阪市場まで21時間30分は恐らくヤード系輸送による弊害だと思われますが、今から考えると時間がかかりすぎですよね。

表1 和41年当時の貨物列の速度

列車

現状

高速貨物

短縮時間

下り

汐留~長崎

44:15

28:45

15:30

汐留~博多港

33

20

13

笹島~香椎

25:45

16

9:45

梅田~熊本

14

13

1

列車

現在

高速貨物

短縮時間

上り

長崎~汐留

31

26:30

4:30

香椎~汐留

32

21:30

10:30

香椎~笹島

22:45

16:45

6

香椎~梅田

15:15

13:15

2

博多港~大阪市場

21:30

12:30

9


さて、そんな中で開発された高速専用貨車ワキ10000、レサ10000、コキ10000ですが、最高1000t の貨物を最高100km/h で走行するための肝心の機関車がありませんでした。
そこで、暫定的措置として、すでに製造されていた EF65のうち17両を高速貨物用機関車として指定し、貨物輸送用の設備を付加することとしました。(後述)

さらに、新型機関車の製造方針として、現行の EF65形機関車が使っているモーターを使用すると8動軸(H 形)機関車にせざるを得ないことが分かりました。
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すでに国鉄には EH10形機関車がありましたが、線路有効長(機関車が短いほど貨物をたくさん繋げられるため)の面や、保守のことを考慮すると F 形機関車が好ましいので、新たな機関車を開発することになりました。
ただし、モーターを含め、新たに電気部品等を開発する必要にせまられたのでした。

試作車誕生
当初は、8動軸も検討された新型機関車ですが、昭和41年中に大出力モーター設計の目処がついたことから、改めて F 形電気機関車として設計する方針が決定され、直流機関車としては、初めて試作車が作られることになりました。
機関車の形式は、EF90(国鉄当時、試作車は90番代を当てることが規定されていました。)という形式が与えられ、落成後はすぐに吹田第二機関区に配置されてさまざまな試験に供されることになりました。
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画像 Wikipedia
この機関車のスタイルがほぼそのまま、EF66形に引き継がれるのですが、今でも古さを感じさせないスタイルです、44年前’(作成当時の基準で)に出現した当時は大変斬新に感じたものでした。

元々、EF66は貨物輸送専用の機関車として計画されたので旅客輸送用の設備は設けられていませんでしたが、JR 西日本に継承された機関車には、その後客車制御用の電気連結器(ジャンパー線)が付加されました。(後述)
なお、計画当時は狭軌で最大出力の機関車と言われまた、この機関車は重量でも最大級(最大は EF63)でした。

続く




# by blackcat_kat | 2017-10-26 08:59 | 電気機関車
2017年 10月 25日

EF66形機関車について 第1話

この記事は、小冊子として以前に頼まれて書いたものですが、日の目を見ることが無かったので改めてこちらでアップさせていただこうと思います。

EF66形機関車について


  1. はじめに
  2. 機関車登場の背景
  3. 試作車登場
  4. 暫定的措置として
  5. 試作車EF90の誕生
  6. 機関車の特徴(共通関係)
  7. 走行関係
  8. 車体関係
  9. 運転関係
  10. EF66 1~20(第1次量産車)
  11. EF66 21~55(第2次量産車)
  12. 運転台関係
  13. 補機類
  14. EF66 のブルトレ牽引まで
  15. 国鉄分割民営化と EF66
  16. JR 西日本による改造
  17. 廃車など
  18. 車両履歴
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はじめに

EF66 形機関車は、国鉄時代に製造された最大の機関車で、その秀逸なスタイルは約半世紀経た今も古さを感じさせません。
そんな非常に魅力的な、EF66 形電気機関車が保存展示されるにあたり、EF66 形電気機関車について、解説をしていきたいと思います。

機関車登場の背景

そもそも、EF66 形機関車がなぜ、製造されたのでしょうか。

それには、当時の鉄道輸送事情に注目する必要があります、戦後の復興とその後の経済成長により活発化していった人・物の動きは活発化していました。また、昭和37年に一部開通した高速道路は、本格的な自動車による高速輸送の到来を告げようとしていました。
実際、中距離輸送にあっては昭和39年をピークに貨物輸送は減少傾向に入ることが予測されていました。
それは、当時の貨物輸送がヤード系輸送と呼ばれる、途中駅での連結・解結を基準とした輸送方式であったことに加え、駅での荷役が発着駅と到着駅でも行われるため、時間も経費もかかることが問題とされていました。
さらに、ヤード系輸送の場合ある程度荷物が集約する必要があるため、到着日時が 明確でないという問題もありました。
しかし、昭和34年から運転を始めたコンテナ専用列車は好評で、途中で連結開放をしない直通輸送列車(以下「ヤードパス」と略す)こともあって、その輸送量は増加傾向にありました。
そこで、本格的な自動車による貨物輸送に対抗する目的で、さらなる大幅な時間短縮を目的とした、特急貨物列車が計画され、昭和40年に汎用の貨物車(ワキ1000)が試作され、良好な成績を収めたことから、昭和41年10月のダイヤ改正で特急貨物列車が計画され、運転が開始されました。
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この特急貨物列車は、ヤードパス列車としての特徴を生かし、鮮魚特急として、九州で水揚された魚介類を東京築地の市場に届けるべく鮮魚特急なるものが設定されました。特にこの列車には「とびうお」・「ぎんりん」といった名称もつけられており、その意気込みが分かります。ちなみに、東京築地着が「とびうお」、大阪市場向けが「ぎんりん」でした。

続く


# by blackcat_kat | 2017-10-25 21:13 | 電気機関車
2017年 09月 06日

昼間はのんびり日向ぼっこ、サヤ420

昭和39年新幹線が東京~大阪間に開業し、それまで東海道線の華であった151系電車は一斉に西下し、一部車両は上越線「とき」増発用に残された他は、西下して向日町運転所に配属になりました。
そのうち、特急つばめ(新大阪~博多)間で運転されることとなったのですが、151系は当然のことながら直流電車なので直接博多まで自力で走ることが出来ません。
そこで、下記の4案が考えられたそうです。

  1. 151系を現行交直流電車と同様な方式の交流直流両用電車に改造
  2. 交流区間での補機電源をサシ151形に搭載
  3. 交流区間での全編成分の補機電源容量を持つ電源車を新製
  4. 交流区間での全編成分の補機電源容量を持つ交直流電気機関車を新製

当初は、151系を交直流電車に改造する予定だったそうで、当時の国鉄部内誌(交通技術8月号)を参照しますと、151両のうち120両を使用し、31両でひとまず九州乗入させながら、順次改造していくと言った記事が出ています。
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実際に1案は手戻り工事が多くて、改造期間も長期(約8か月)を要することから現実的とは言えず、481系特急電車も製作されていたため、乗入期間は限定的になることから、151系の補機類への電源を確保することを主な目的とした電源車を投入することとなり、モハ420からモーターなど走行関係機器を設けず、平滑リアクトルや電動発電機(20KVA)のものを床上に装備したサヤ420と呼ばれる電源車を3両製作することとし、下関~門司間はEF30、門司~博多間はED73がけん引することになりました。
この時に改造された151系は6編成ですが、サヤ420の運用区間は、下関~門司間でしたので2編成仕様の1両予備として使われたようです。
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「つばめ」は20:24門司駅に到着 「はと」はが見えませんが,21:34 門司着です。
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「はと」は、明朝7:10 博多発、「つばめ」は8:45 博多発
時刻表では綴じ目付近なので読めませんが・・・。

列車は、朝・夕に偏っているため、昼間は2両並んで日向ぼっこしていたそうです。(^^♪

サヤ420の特徴
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鉄道ピクトリアル 19859月号から引用

サヤ420の使用は当初から1年程度と想定されていたため、内装を含めて殆ど近郊型電車として製作され、実際に座席まで設けられていました。
ただし、出入り口付近の通路を中心にMGや元空気だめ、平滑リアクトルが設置されていました。
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平滑リアクトル

交直流の切り替えは機関車からの指令で自動で行えるようになっていましたが、整備性を高めるため、単独で運転整備が出来るように車端に簡易操作盤が設けられていました。
下の写真が、簡易操作盤、運転は行わないのでマスコン等は当然のことながらありません。
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さらに、鉄道ピクトリアルの1985年9月号の401系421系特集で、サヤ420の機器配置図などが出ているのですが、床上にMG(MH97-DM61 20kVA)のMG、補機電源用平滑リアクトル(整流した交流をきれいな直流にするための装置)等も設けられていました。
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なお、この電源車から直接機関車並びに、151系電車と直接通話ができるように電話器が設けられていたそうで、このサヤ420にも乗務員が乗務するようになっていたと言われています。
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鉄道ピクトリアル 19859月号から引用
151系電車の改造。
151系電車に対しても最低限の改造が施され、スカートの左右共に大きく切り欠きが設けられ、向かって右側に制御用、左側には補助高圧用のジャンパ栓受けを付けるとともに、連結器カバーも外され自動連結器がむき出しとなり、さらに元空気だめ管及びブレーキ管の空気ホースが吊り下げられて、東海道本線を優雅に走っていた頃のイメージとは大きく異なる外観となってしまいました。
実際の電車側の電源は、サヤ420から +・- 2本の高圧ジャンパー線から供給されることで電車側のMGやCPを起動させており、直流区間では自力で走るため、マイナスをレールと接地できるように回路が工夫されていたそうです。
機関車の改造
機関車側はEF30は重連総括制御機能を元々持っていたため、サヤ420との運用ではジャンパ線の運用変更などで対応可能であったそうで最小限の改造で済みましたが、ED73は、元々非重連の貨物用機関車であったため、大幅な改造が必要になったそうで、151系電車への補助回路用引き通しとサヤ420形の非常パンタグラフ下げ回路を装備することとし、15~22の8両が専用機に指定されました、逆にEF30は量産機若番の2~8の7両が改造されました。
余談ですが、ED73はプレート周りを黄色で囲みアクセントになっていたそうです。

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画像はイメージです。
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九州鉄道記念館に保存されているED72 ED73は貨物専用機で中間車が無い分車長が短かったが基本的なイメージは72と同じでした。





# by blackcat_kat | 2017-09-06 19:38 | 電車
2017年 08月 23日

挫折した試作車・・・キハ60

皆さまこんばんは、本日もしばしお付き合いください。
今回取り上げるのは、昭和34年度に試作車として3両が製作され昭和35年1月末に誕生したキハ60及びキロ60を取り上げてい見ようと思います。

新たに開発が急がれた気動車エンジン

すでに、気動車用エンジンとしてDMH17エンジンが標準エンジンとして使われていましたが、改良を図って出力を上げたとはいえ、180PSはあまりにも非力であり、優等列車等に使おうと思うと自ずとエンジンの数を増やさなくてはならず経済的ではないため、大出力エンジンの開発が急がれていました。

機関車のエンジンを気動車に

キハ60に搭載されたエンジンは戦前の電気式気動車キハ43000に搭載されたDMF31Hと呼ばれるエンジンがベースで、DMF31H型エンジンは戦後、DD13用エンジンとして縦型エンジンとしたうえで、過給機の搭載で出力を370PSとして実用化されました。その後改良されて500PSまで出力が向上していました。
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DD13形 画像Wikipedia

キハ60はこのDD13で採用されていたDMF31系エンジンを再び横型に設計変更して水平として出力も400PSに下げたものでした。
ただ、ここでの失敗はキハ81でも繰り返されることとなるのですが、それは水平にしたことでエンジンの潤滑が思うように行かなかったと言われています。
なお、昭和41年に試作されるキハ90及びキハ91で試作されたDMF15HSA及びそれを12気筒化したDML30系エンジンは、新たに国鉄が、新潟鐵工所、ダイハツディーゼル、神鋼造機の各社と共同開発したものであり、キハ60系のエンジンの発展型ではありません。
ちなみに、キハ60の最高速度は設計上は135㎞/hまで可能だったそうで、最高速度は110km/hの営業運転速度を目指していたそうです。
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キハ60 鉄道技術昭和35年3月号から引用
新機軸が導入された意欲的な気動車


さて、最初に気動車の外観的特徴ですが。
同時期のキハ55形気動車と似ていますが、運転台横の扉が、その後のクハ451やクハ471にも見られたプラグドアが採用されていました。これは、車体強度の関係もあったのではないかと思われます。
また、外観からは判りにくいのですが、同時期に制作されたキロ60は防音対策として二重窓になっていました。(固定窓であり、冷房装置の設置も検討されていたという記述もあります。)
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キロ60 鉄道技術昭和35年3月号から引用
また、外観からは判りませんが、ディスクブレーキの採用や2軸駆動等、動力を効率的に伝える工夫がなされていました。
また、151系電車で見られたように浮き床構造が採用され防音性も配慮されていました。(キハ60-2及びキロ60-1のみ)


特急気動車にも引き継がれた技術

御殿場線・中央本線で試用された後に、エンジン換装
しかし、結果は散々だったようで、エンジンとトルクコンバーターの細やかな制御が出来ず昭和37年には早々とDMH17エンジンに積み替えられてしまいました。
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ディスクブレーキは、キハ60系の台車で開発されたタイプが採用された 撮影 加藤好啓

しかしこの時に開発された、ディスクブレーキなどはその後のキハ81系等で採用されたほか、2軸駆動の考え方はキハ65やキハ181で採用されることとなった訳で、失敗作とはいえその後の車両に与えた影響は大きかったと言えましょう。



# by blackcat_kat | 2017-08-23 23:59 | 気動車
2017年 08月 12日

DF50形電気式機関車の話

現在機関車を新規に製造し保有しているのは、JR貨物だけであり、ディーゼル機関車もDD51の老朽化のためDF200形が新規に製造されています。
DF200形は電気式と呼ばれる方式で、従来の液体式と比べると重い機関車で実質的な通貨トン数が増えてJR北海道にしてみれば線路破壊量がDD51よりも大きくなって保守費が増大していると言った話も聞いたことがあります。
さて、JR貨物が電気式を採用する背景として考えられるのは、機関車の部品共用化が大きいのかなと考えております。
今後本格的な人口減などを考慮していく必要がある中で鉄道会社が出した答えだと思います。
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さて、今回はDF200などの新型の電気式機関車の話ではなく、今から半世紀以上前に製造されたDF50形電気機関車のお話をさせていただこうと思います。
DF50形機関車誕生
DF50形機関車は、北陸本線に投入されたDD50形の改良版として計画され,、昭和32年に試作車が、その後非電化区間の無煙化のエースとして昭和38年までに138両が増備されました。
機関出力1060PS(MAN型(500番台)は1200PS)であり、機関車の出力としては決して大きなものではありませんでしたが、高速性能ではC57相当、牽引力ではD51相当と言われていました。
DF50形設計当時は、高出力の液体変速機が開発されていなかったため、電気式が採用されました。
ただ、最近のDF200形のようなVVVF方式ではなく、発電機で発電した電力をそのままモーターに流してしまうという方式であり、Wikipediaを参照しますと、「「差動界磁付励磁機式発電機」が用いられた。これによって、主電動機に負荷がかかって回路電流が増大すると、自動的に発電機の界磁が弱まり、発電電圧が低下して、定出力特性が得られた。
と書かれております、そこで「差動界磁」と何かを調べていきますと、参考になるサイトがありましたので、そこから少し引用させていただこうと思います。

このサイトの中で書かれている、頭を説明のために引用させていただきますと
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差動複巻直流電動機というのは、磁束(磁力の強さ)を打ち消しあうもので最近では殆ど使われない技術だそうです。
その原因としては、回転速度が不安定になりやすく,始動トルクも弱いからという理由だそうで、逆にいえば、自動的にそうなってくれる方が発電機側としては都合が良いということになるのかもしれません。
余談ですが、磁束が補完しあうように働く場合は「和動複巻」というそうです。

ということで、難しい説明はこの程度としておき、実際の運転ではDF50形機関車は、電車などでよく使われる弱め界磁が多用され、最高30%まで弱める(界磁とは直流モーターの場合外側の磁石と思えば理解しやすいでしょう。)ことが出来たそうで、定格速度17km/hでしたが、旅客車などでは90㎞/h近くまで出せたようです。
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今から考えれば、蒸気機関車よりも加速は早かったとはいえ、電車などと比べると緩慢な速度でありやはり時代を感じてしまいますね。
今回は、正直私自身も色々と改めて勉強したのですが、まだまだ勉強不足だなぁという思いを新たにしましたのでさらに精進を重ねていく所存でございます。
間違い等があればご指摘いただければ幸いです。




# by blackcat_kat | 2017-08-12 10:16 | ディゼル機関車
2017年 07月 10日

時代の狭間に咲いた花、キハ391系ガスタービン車

キハ391系という車両をご存じだろうか?
この形式を聞いてピンと来る方はかなりの通の方ですね。
国鉄の非電化区間での高速化をにらみ、大宮工場で試作された車両であり、その基礎研究は1967年(昭和42年)に日本車両工業協会(現:日本鉄道車輌工業会)が運輸省(現:国土交通省)から援助を受けて開発を始めたガスタービン機関によるターボトレインがその端緒と言われています。
この研究では、キハ07型気動車にガスタービンエンジンを搭載して基礎研究が行われました。
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鉄道ピクトリアル昭和47年(1972)6月号から引用

国鉄では、在来線の高速化が問題となり、昭和43年(1968)の第6回列車速度調査委員会で在来線特急の速度を最高130㎞/h、曲線通過速度は+20㎞/h以上を目標として計画されることとなり、電車では591系による振子電車を投入するとともに非電化区間に在っては391系による速度向上が昭和45年(1970)から開発に取り組み昭和47年に完成させたものでした。
なお、エンジンは当初、床下に設ける予定だったそうですが、最終的には床上に設置することとなったそうです。
なお、特徴として特殊な振子方式を採用していたそうで、変則的な連接式台車を採用しており、車体の1/3の部分にタービン期間を積んだ動力車がのっかり。大半の荷重を運転席がある側で支える方式となっていました。

米子駅構内で休車中の391系

鉄道ピクトリアルを参照しますと、下記の通り伯備線並びに予讃線に投入した場合の経済比較が載せられています。
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鉄道ピクトリアル昭和47年(1972)6月号から引用

昭和42年から実施された、日本車両工業協会(現:日本鉄道車輌工業会)の基礎研究では台上試験の後に下記のような試作車を作成して実際に磐越西線を走っています。
こちらも、当時の雑誌から引用させていただこうと思います。
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走行試験などを経た結果は、航空機用エンジンを鉄道に転用可能と言う結論に達したようで、今度は試作車を作って走らせてみることとなりそこで計画されたのがキハ391系ガスタービン気動車でした。

当時の非電化ローカル線は線路も脆弱で勾配も多く急曲線の連続と言う区間も多いことから下記のような方針が立てられたそうです。
1)軌道への影響を減らすため、極力軽量化し、軸重を小さくする。
2)曲線部における速度向上と転覆に対する安全性向上のため重心を低くする。
3)横風の影響を減らすため、車体全高を下げる。
4)曲線部における車輪軸圧を下げるため、台車は芯皿移動方式とする。
5)乗り心地改善のため、車体を振り子式とする。
6)軽量化の手段としてガスタービンを採用する。

と書かれています。

さらに車体についてですが、試験編成は3両で1編成となっており中間車両が動力車なのですが、この中間車は振子機能を持たないと特殊な構造となっていました。

中間車はタービンが車内に搭載されていました、画像右側の台車の構造に注目、

車輪の車体の重心を下げるために、両端の先頭車は800mm車輪を採用し、床面高さを920mmと大変低く設定されていたのも特徴でした。
従来の気動車が概ね1.3m程度の高さですから車体床高さが40cmも低いことになります。
実際、米子駅に留置されていた時に車内に入ったことがありますが(もうさすがに30年以上前の話ですから時効ですよね。苦笑)かなり床が低いなぁというのが正直な感想でした。

完成後は、川越線、伯備線、田沢湖線で試験が行われましたが、在来のディーゼル機関と比べてトルクが低く、加速は緩慢でその上騒音は大きい、消音機の改良などを行ったようですが、騒音だけはクリアできなかったと言われています。

その後は、石油ショックによる燃料費の高騰や、騒音問題などから量産には至らず長らく放置されることとなりました。

現在は解体されて先頭部分だけが保存されているとのことであるが貴重な車体だけに保存して欲しかったと思います。

併せてご覧くださいませ。





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国鉄があった時代 JNR-era
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# by blackcat_kat | 2017-07-10 22:08 | 気動車
2017年 05月 20日

ワンハンドルマスコンのお話 手前?それとも押し込むの?

久々に投稿させていただこうと思います。
電車では最近、ワンハンドルマスコンも増えています。
画像は阪急の9300系ですが、このワンハンドルマスコンを本格的に採用したのは1969年に誕生した東急8000系電車が最初と言えそうです。
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撮影 blackcat

このワンハンドル式の歴史は古く、1930年代には既に開発され、遅くとも1940年後半までにはニューヨーク、シカゴ、ボストン市などの地下鉄および高架鉄道等で、ワンハンドルが採用(現在の横型とは異なり縦形だったそうです。

ワンハンドル式は日本だけでなく国外でも採用されているのですが、ヨーロッパやアメリカではその操作方法に相違があるそうです。

それは、ブレーキをかけるときに馬の手綱を引く要領で手前に引くのか、それとも現在日本で採用されているように、前のめりに押すのかということです。
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画像 Wikipwdia

日本でも東急が8000系に採用する際にはその辺で賛否両論あったそうで、当時の運輸省の見解としてはどちらでもよいが一度決たらめ安全面の問題であるから変えてはならないと言われたそうで、最終的には手前で力行(加速)押すと減速(最大まで押し込むと非常ブレーキ)がかかる仕組みに決定されました。
これはワンハンドル式に限らず、横軸式の制御装置では統一された方式となっています。
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画像 Wikipwdia

なお、ワンハンドル式ではありませんが、横軸式としては昭和41年に試作されたキハ90が最初であり、右側がブレーキ、左側がマスコンとなっており、当時は国鉄の研究所の一つであった鉄道労働科学研究所にて研究が進められており、人間工学的観点から失神した場合などは前のめりになることからブレーキレバーを前に倒すようにしておくことが提言されたようで、キハ91、キハ181、その後試作されたクモハ591も同様の運転台でした、量産型の381系では従来の方式に変更になりましたが。)
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逆に、馬車鉄道から発展したヨーロッパ等の鉄道では、ワンハンドル式のマスコンは手前に引いてブレーキ、押して加速が一般的であり日本と全く異なっています。

近年はJRで廃車になった車両が発展途上国等に譲渡される場合が多いのですが、ここで電車の制御方式が異なる。(真逆)ということで、戸惑が有ったようです。
ただ、譲渡先のインドネシアでも日本式の方が理にかなっていると言われているそうです。


# by blackcat_kat | 2017-05-20 11:19 | 電車
2017年 04月 29日

アンヒビアン・バス・・・世にも奇妙なバスのお話

JR北海道が開発を続けていたDMVですが、阿佐海岸鉄道で導入を進める計画があるとのことであり、これが実用化されればローカル線の在り方を変えることが出来るかもしれませんね。

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[実はこの方式は、昭和30年代(1960年代)に既にドイツで実用化されており、運転席側に台車を付けて後部車両は、タイヤが直接レールと接する方式だったそうで、DMVに限りなく近い車両であったそうです。」
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当時の記事 公益財団法人 交通協力会 鉄道技術昭和36年11月号から引用

この情報を受けて、日本でも同じようにローカル線輸送の切り札としてこの鉄・道両用バスが計画されました。
それがこちら、
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バスの両端に台車が乗っかる、不思議なスタイルです。
ジャッキでバスを持ち上げ、両端に台車を挟み込む方式と言われており、台車自体は路面電車並ので66cmの車輪を採用していました。
また、ステップを装備しており、ドアと連動してせり出したそうです。
特長としては、バスに余分な車輪等の死荷重を持たないことでした。
その反面、車をリフトで載せる手間や、ブレーキホースの装着などの余分な作業があるため、5分程度で切り替えできると計画では書かれていましたが本当に5分で行えたのか、いささか疑問です。
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出入り台付近にステップが設けられている様子が伺えます。
バスの前から出ているホースはブレーキ用ホースで、先頭台車の2軸目が動力台車となる。
以下の図を参照
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真ん中に突き出す軸が動力伝達用、バスのドライブシャフトと繋がるらしい。

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バスの車体はこのピンを通じて台車と連結される


計画では、ローカル線での運用を計画するとして23線程候補があったそうですが、実際には実用化されずに終わっています。
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車内はバスそのものとなっています。
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鉄道の場合左右いずれにもホームがあるため、バス用非常口も出入り台として使われることになっている。

以下に、当時の仕様書を基に書き出してみました。
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画像は、公益財団法人 交通協力会 電子図書館 国鉄線8月号から引用させていただきました。

こちらも併せてお読みくださいませ。 






# by blackcat_kat | 2017-04-29 13:13 | 気動車