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2018年 04月 28日

気動車発達史 24 新系列一般型気動車 キハ40系列

新国鉄標準気動車キハ40系
昭和50年3月に登場したキハ66・67形気動車は転換クロスシートを装備した意欲的な気動車であり、計画では新潟地区など10だ気動車が集中的に配備されている地域などの置換えも視野に入れているとのことで、試作的意味合いを込めて30両を集中的に筑豊地区に投入したとされていますが、冷房装置搭載による重量増と、国鉄の財政悪化も重なり、結果的にはキハ66・67は増備されず、他の線区への投入は見送られることとなりました。
しかし、キハ17に代表される10系気動車は老朽化が著しく、小さな車体の居住性も劣ることから、新たな一般気動車が必要となり、新たに設計されたのがキハ40系列の車両でした。
DML30HS系エンジンと付随車を繋ぐ方式は必ずしもローカル線では有利といえず、キハ90で試作したDMF15HSAエンジンを再び動力車用に使うこととなり、出力を220PS迄下げることで安定性を高めることにしました。
キハ40系気動車の特徴
エンジン自体は、DMF15HSAですが、部内誌を見ますと、キハ66・67のエンジンと相当部分で互換性を持たせたとされています。
交通技術、昭和52年3月号の記事を少し引用させて頂きます。
DMF15HSADMF15HSA形と称するこの機関は、主機関附属装置を含めた機関の全体的構成は客車用電源機関であるDMF15HS-G (230PS/1800rpm)と似ているが、構成する部品の多くはキハ66・67に使用のDML30HSH形(440PS/1600rpm) と互換性をもたせてある。
と書かれています。
キハ66・67と部品を共通化することで、保守合理化は図れたと言えそうです。

なお、キハ40系列は、キハ10系客車の置換えをの念頭に置いていることから、
片運転台
キハ47→キハ45をベースに製作
キハ40→キハ24をベースに製作
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最初に製作されたのは、暖地向けのキハ47と酷寒用のキハ40形でした。
以下に、キハ40・47形の基本的構想を記します。
  • 昭和50年に製作されたキハ66・67の経験を取り入れるとともに、部品の共通化をはかる
  • どのような線区でも運転できるように、居住性は改善しつつも車両全体の軽量化をはかる。
  • 在来車と自在に混結運転ができるようにするため、運転操作は従来車と全く同一。
  • 暖房効果を高めるため、温水暖房をやめ、強制熱交換による集中温風暖房方式に変更。
  • 軽量化と機器の簡素化のため冷房装置は省略、扇風機のみ設置
  • 車体は難燃化構造
  • 黄害対策として汚水処理装置の取付け準備工事
  • 踏切障害に備えて車体の前面強化を行うとともに、客室及び乗務員室の環境改善並びに居住性の向上をはかる。
  • 保守の省力化(点倹の省略・簡易化、部品交換の省略・簡易化)推進
  • ディーゼル機関は定絡を220PS/1600rpmとし、公認定格出力に対して12%の余浴をもたせる。
  • 液体変速機はキハ66・67に使用している DW9形をサイズダウンしたものを使用する。

重装備な車両
キハ40系列は、客室及び乗務員室の環境改善並びに居住性の向上をはかる。と共に、保守の省力化(点倹の省略・簡易化、部品交換の省略・簡易化)が図られた車両でした。
車内は、キハ45の1400mmのシートピッチは再び1470mmとされ、当時製造されていた113系や115系のシートピッチ拡大車と同じ同じとなりました、また運転台が急行形車両並みに広いのもこの時期の車両の特徴でした。
なお、エンジン定格出力より低めに設定して、保守の省力化に徹した結果、故障の少ない車両となりました。
特にキハ40では北海道向けの耐寒耐雪装備の他に、空気バネが採用され、軸ばねにも着雪を防ぐためゴムで巻く等の対策が取られており、温風暖房方式に採用で外気温-30°でも室温は22°~27°を保てたと記されています。

エンジン出力は220PSになったものの、実際の加速力は従来の車両とほぼ同じという結果が、同じく国鉄の部内誌、交通技術の昭和53年6月号の中で述べられており、その理由として補機類の負荷が大きいこと。前面強化等による車両重量の増加が原因と考えられる他、変速機の特性上で低速域で遅くなるのもその原因かと思われると書かれています。
さらに、過給器付であるが、過給器が動作するまで10秒程度のタイムラグがあるとも書かれており、そうしたことがキハ40系気動車が鈍重であると言うイメージを作っていると言えそうです。
当時の資料からその辺を引用させていただきます。
3) 車両加速力
性能試験結果から動輪周引張カは計画通りであり、加速力は同一動輪径では従来車と殆ど差がない。キハ40,47形式車の機関出力が従来車より太きいのにかかわらず加速力がほぼ同一であるのは、暖房用等の補機馬力が大きいこと、前面強化等車両重量の増大等によるものである。ただし、新形式車の液体変速機はl段3要素形であるため、変速運転の低速域では従来車に比して引張力は若干劣るが、中速域ではやや優れている。
また、新形式車の機関は過給機付きであるが、ノッチアップしでも過給機回転が追従せず
、機関が正常な出力を出すまでに約10秒を要する。このために、従来の無過給機関付きに比してスタートダッシュが悪いことは事実であるが、高出カ化のために過給機付きとせざるをえないわけで、この程のことはある程度は避け得ない。
変速から直結に切りかえた直後の加速力は3.2の改良により約14%向上する。
引用終わり。交通技術昭和53年6月号
JR化以降も主力車両として
キハ40系列車両は、JR化後もエンジンの換装などで引き続き使われることとなり、JR東海を除き、現在でもその活躍範囲は狭められつつあるとは言え、JR各社で活躍しているのはご存じの通りだと思います。
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姫新線で使われていた頃のキハ47、姫路駅にて

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by blackcat_kat | 2018-04-28 23:30 | 気動車
2018年 04月 21日

気動車発達史 23 10系気動車置換えの汎用気動車 キハ66・67

キハ10系気動車の置換え用として
国鉄用気動車は、昭和40年代前半まで新製が続きましたがその後は電化の進展などによる配点で賄われてきたこともあり、本格的な近郊形として開発されたキハ45も100両程で製造は中止されてしまいました。
無煙化の立役者となった10系気動車も、その後誕生した気動車と比べるとその居住性は劣り、老朽化と相まって大変見劣りしていました。
そこで、置換えを考慮して新設計された気動車が、キハ66・67でした。
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画像 wikipedia
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交通技術 昭和49年7月号から引用
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交通技術 昭和49年7月号から引用
新幹線連絡としてふさわしい車両として
キハ66・67形気動車は、新幹線連絡を担う気動車という位置づけもあり、本社で検討された結果、普通列車用ではあるが快速や急行列車に使っても遜色がない車両ということで計画がなされました。
昭和49年から設計が開始され、開業前の昭和50(1975)年1月までに間に合わせる予定だったそうですが、実際には3月入ってから、それも30両が全車揃ったのは、3月31日だったそうで、その間一部の列車は運休をせざるを得なかった記録されています。

なお、車両は新製後直ちに、門司鉄道管理局管内の直方気動車区に配置されることとなりました。
この辺りの詳細は、直接気動車の発達とは関係ないので別の機会にお話をしたいと思います。
さて、元々キハ66・67形気動車は、新幹線連絡を兼ねて汎用的に使いたいということから、今までの車両と次のような点で異なっていました。

  • 普通列車用として初めて冷房装置を標準で装備した。
  • 転換クロスシートのセミクロスシートを採用した。(在来線の普通車では初】

これにより、快速や急行列車にも運用できる車両として位置づけられました。

また、車両の特徴を見ていきますと。

  • 夏期にエンジントラブルに巻き込まれたので、エンジンの改良を行い、440PS(425PSという記述の資料もあり)に出力を下げて安定性を図ることにしたDML30SHとしました。【改良点は、ガスケットを三気筒一体から一気筒ごとに変更としたほか、燃料噴射量を調整して連続定格出力425PSと比較的余裕にある使い方をするようにしたほか、液体変速機もキハ181などで使用した充排油方式ではなく湿式多板クラッチ方式に変更したとされています。
  • 暖房装置も電気式に変更された。
  • 2両1ユニットで運用【キハ66・67】することとした。
  • 他車との併結は考慮されている。
  • 空気ブレーキ装置は気動車で初めて三圧方式が取り入れられた
  • ブレーキはディスクブレーキではなく、従来型の制輪子を車輪に押しつける方式となった。
  • ディゼル発電機の騒音防止のため、機関カバーを取り付けた
  • 強制通風式のラジエーターを屋上に設置した。これに伴い、気動車として集中型が搭載された。
  • 運転台の位置が、更に上がり、貫通ドアと窓の位置が合わなくなった。【この高さは,その後キハ40系でも踏襲されることになる。
    これは、昭和49年に高砂向上で行った、ダンプと車両の衝突試験の結果からだと言われています。

DML30HSは出力ダウンして安定化
DML30HSエンジンは500PSの出力の反面、故障も多かったため、上記のとおりエンジンの改善を行った、ただし全長が変更されるなど、従来型のDML30HS系エンジンとの互換性は無くなったと言われています。

急行色をまとった近郊形
急行列車にも運用することを考慮して、標準急行色をまとった車両として誕生しました。
実際に、筑豊本線ローカル急行列車である「はんだ」および「日田」に使用されました。
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昭和50年の時刻表から、急行日田
(日田~湯布院間は、キハ58系とキハ66.67が併結運転していました)急行由布一号と連結されて走っていました。

なお、キハ66・67は一年間で稼働の様子を見てから量産する計画と書かれていましたが、残念ながら量産されたのは現在もJRで気動車の主力と?して残る40代気動車になるのですが、その編はまた次回とさせていただきます。

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by blackcat_kat | 2018-04-21 12:11 | 気動車
2018年 04月 17日

気動車発達史 22 高出力気動車再び キハ65系急行気動車

急行列車の冷房化推進
昭和40年代になると、生活水準は向上し、急行用1等車【グリーン車】も冷房化が進み、旧2等寝台のマロネ29やスロネ30と言った1等C寝台(非冷房車)も淘汰されており、引き続き急行用2等車の冷房化が計画されることとなりました。
しかし、ここで気動車の冷房用電源をどのように確保するべきかという問題が生じたのです。
特急気動車の場合は、キハ80系では、DMH17H-G形エンジンで発電して125KVAの集中電源装置で給電していますし、181系気動車ではDMF15H-G機関により150KVAの集中電源装置で編成全体の電力を賄うようになっています。
しかし、急行用気動車の場合、先行して1等車が【グリーン車】独自で冷房用エンジン(4DQ形ディーゼルエンジンを動力源とする25KVAに発電機)を搭載して自車を賄うようになっていました。
急行用気動車冷房化で困ったこと
そこで、2等車【普通車】の冷房化の場合は、1等車以外を冷房化することで良いと言うことになるのですが、キハ58の場合、エンジンが2基あり、新たに電源装置を搭載することが出来ません。そこで、1エンジンで床下に若干余裕がある、キハ28に発電セットを搭載すべく70KVA(4VK)の電源装置が開発され3両の給電が可能となりました。
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しかし、勾配線区を多く抱えるところでは必然的にキハ58の比率が高くなり、冷房化のためにキハ28と置き換えるとトータルの出力が低下してスピードダウンなどのもんだが生じてしまいます。
そこで、冷房化と高出力化の両方を満たすために、キハ65形が計画されることとなりました。

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キハ65の特徴
キハ65は、キハ58との併結を主な目的としていたため、制御機器もキハ91やキハ181のハンドル式マスコンではなく、従来の方式と同じ装置が使われており、変速・直結の切換も従来車同様に手動式とされていますが、トルクコンバータの直結構造が爪クラッチとなっており完全な同期が必要となるなど、若干はキハ58などとは異なっていますが、キハ91で問題となった自然冷却方式ではなく、こちらもキハ58などと同じ強制冷却方式に変更されました。
ドアが折り戸となったのは、キハ91と同じ理由で台車の側面で重量をさえる特殊構造の台車を使用した結果でした。
窓は、12系客車と同じ上段上昇下段下降の153系以降の急行電車などに採用されたユニット方式でした。
また、洗面所の設備が省略されましたが、その分シートピッチが長くなり、1580mmとなっていました。
シートも背ずり下部が大きく張り出し、少し座面が低くて座り心地の大変良いもので、冷房装置と相まって指定席車に優先的に使われたそうです。
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なお、キハ65はその特性上低速時はキハ58に押され20km/h以上では逆にキハ65が押す形となる特性がありそうです。
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by blackcat_kat | 2018-04-17 23:15 | 気動車
2018年 04月 15日

気動車発達史 21 高出力特急気動車 キハ181系誕生

特急用気動車 キハ181系誕生
昭和43年10月の改正で、中央西線に特急気動車による高速運転が計画され、その目的達成のために計画されたのが、キハ181系特急気動車でした。
既に、特急気動車としてはキハ80系気動車が走っていましたが、DMH17Hエンジンは1台あたりの出力が180PSと小さく、同一エンジンを普通列車も特急列車も使用することで得られたメリットも多かったのですが、特急気動車の場合編成あたりの出力は6.5PS/tにしかならず、平坦線でも100km/h 、25‰の勾配線区では42km/hしか速度が出ず、そこで昭和37年度から新系列気動車の開発が進められ、昭和41年には試作車としてキハ90(300PS)並びに、キハ91(500PS)が試作され、翌昭和42年には、量産型試作車として、キハ91形【キハ91-7両、キサロ90-3両が試作されました。
そして、今回試作されたキハ91をベースとして計画されたのが、先程申し上げたキハ181系特急気動車でした。
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キハ181系先頭車
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キハ180中間車
画像はWikipediaから引用

キハ181とデザイン
キハ181系は、キハ82系のデザインをほぼ踏襲した形ですが、ライトカバーが角形となるなど全体に厳つい印象をあたえることになりました。
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wikiediaの画像を一部加工

さらに、80系気動車と比べると一部設計変更がされており、主なところを上げると下記のようになります。

  • 蛍光灯の制御回路がDC24VからAC254Vに変更され交流発電機に変更されました。
  • 先頭車キハ181は、走行エンジン並びに発電用エンジンを搭載したため、軽量化に特に配慮し、室内にアルミ製放熱器を設置した、この結果機械室が長くなった。
  • 便所・洗面所を設置せず、先頭車の定員はキハ82と同じ58人を確保した。
  • 液体変速機は、DD51のような充排油方式に変更されました。
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181系諸元表

特に軽量化に意が払われた先頭車
先頭車のキハ181は、前述のとおりサービス用電源エンジン(DMF15H-G)エンジンと、DML30HSC形エンジンの両方を搭載しており、運転整備時の最大軸重を13t【後述】するために、特に軽量化に意が注がれましたが、それでも整備重量は51tに達したそうです。
なお、それ以外の制御回路はキハ91と同様のものが採用されましたので、キハ91とキハ181は連結が可能でした。
実際に、キハ181系トラブル時にキハ91を投入したと言う記録もあるそうです。
ただ、従来型気動車との併結は考慮されておらず、読替装置は設けらていません。

広域転配を考慮して計画された設計
キハ181は中央西線用として計画されましたが、中央線電化後は奥羽本線に転用することを考慮して6M1T編成で、機関1台が停止した状態でも34‰勾配を30km/hで走行できるように配慮したそうで、低速時での冷却不足を考慮して、キハ58で儲けられたと同じ強制送風式の放熱器も設けていたそうです。
それでも奥羽本線では、夏場などでオーバーヒート事故が多発して、当初は単独で走っていましたが、途中から電気機関車のお世話になったのはご存じの通りです。
なお、軸重を13tに抑えた背景には、最高速度を120km/hとした上で線路負担強度を検討した結果から、軸重を13tと言う数字が出てきたそうです。
最高速度を低く抑えれば、線路の負担強度は増しますが、そうで無い場合は速度を大幅に抑えなくては成らないからです。
余談ですが、現在の東海道・山陽新幹線の軸重は11tに抑えられていますが、これも同様の理由で、270km/h【300系計画当初】の振動や軌道破壊の特性と、0系車両の220km/hの値がほぼ同値で有るためと言われています。

中央西線のエースとして
中央西線の特急として、華々しくデビューしますが、山岳区間を縫う列車ということで最高速度は伸びず、表定速度は60.3km/hと特急列車としては最低を記録してしまいましたが、従前の急行列車と比べて約40分の短縮となっており、特急化による高速化の意図は十分果たせたと言えそうです。
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昭和44年5月の時刻表から

増備される、181系気動車
中央西線に投入されたキハ181系は、翌年度には「特急つばさ」に、昭和45年度には「特急やくも」、昭和46年度には特急「しおかぜ」・「南風」がそれぞれ181系特急車両で置換えられました。
なお、1次車は踏面ブレーキが採用されましたが、翌年度の増備車からは、キハ82で定評があったディスクブレーキ方式が再び採用されることとなりました。
これは、勾配線区で踏面ブレーキによる熱容量の問題があると判断されたからでした。

板谷峠では再び機関車のお世話に
「特急つばさ」として、キハ82系から置き換えられた、181系は当初は、板谷峠でハイパワーを活かして電気機関車の補機を必要としない単独運用が組まれていたが、屋根上の自然放熱式冷却器では長時間にわたる高速運転では十分冷却されず過熱状態となってしまううえ、通風量が不足することで冷却能力が著しく低下、奥羽本線の勾配区間に入っても、機関の定格出力いっぱいの運転が実施された結果、ヘッドガスケットの吹き抜け、排気マニホールドの過熱 → 発火・焼損等といった致命的な事故が頻発したため。予備車が不足する事態となり、単独運転とされていた板谷峠では再びEF71形の補機を連結するように昭和47年のダイヤ改正で変更されることになりました。
この措置は奥羽本線が交流電化される昭和50年の奥羽本線電化まで続けられることになりました。

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by blackcat_kat | 2018-04-15 10:17 | 気動車
2018年 04月 01日

気動車発達史 20 従来型気動車の居住性を改善したキハ45誕生


国鉄初の近郊形気動車誕生

国鉄では、昭和41年から113系に準じた気動車を投入することとなりました。
今までの一般形と呼ばれた気動車は、片開き式の1枚扉でしたが、キハ45は113系のような両開き扉を採用した車両
前面はキハ58系に似た前照灯が2灯付いたスタイルを踏襲、窓は113系と同じパノラミックウインドウを採用していました。
ただ、車両幅は今までの一般気動車と同じ2800mm【正確には2803mm】であり車体長はの21.3m【キハ55以降この長さが国鉄・JR共に気動車の標準寸法となったようです。】となりました。
これは、2機関搭載のキハ53をベースに設計を行ったからだと言われています。
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画像 wikipedia

外観はキハ28・58の車体幅を絞った上でパノラミックウインドウ【その後キハ28・58もパノラミックウインドウを設置】となり、側面は113系が3ドア出会ったのに対して2ドアとなっている点は異なりますが、同じような窓配置でした。
ただし、113系が2段上昇式の窓でしたが、キハ45は153系などで見られた上段上昇、下段下降のユニット窓となるなど詳細は異なっていました。
また、シートピッチに関しては、これまた113系電車を参考にしたためか、1400mmと少し現在の車両と比べると小さく、膝を突き合わせると互いの足がぶつかるほどでした、ちなみにキハ25形は。シートピッチ、1470mmとなっており、シートピッチに関しては、キハ25系の方が優れていました。(追記して訂正させていただきます)
あくまでも近郊形という位置づけですので急行形のように窓下にテーブルなどは設置されず、幅も2800mmと小さいことから窓側の肘掛けも省略されていましたが。キハ20と比べると車内の中心を通る排気管も無く【キハ52後期増備車はDMH17Hを採用していたので排気管は無し】全体に近代化されたイメージでした。

なお、このシリーズは下記のようになっていました。
  • 内地向け・両運転台   キハ23
  • 北海道向け・両運転台  キハ24
  • 内地向け・片運転台   キハ45
    • 北海道向け・片運転台  キハ46
    • 2両エンジン 両運転台 キハ53

キハ45系列の車両は、総数179両と少なく製造期間も昭和41年~43年と短かったにも関わらず全国に少数ずつ配置され、キハ20や17と混結して活躍したものでした。

この辺は、国鉄が同じエンジンを採用していたため形式こそ違えど全く違和感なく連結できた功績と言えましょう。


幻に終わったキハ45増備計画


キハ45は、その後も増備が予定されていたようですが、既に充足数は足りていたため新たな増備は行われず、キハ17系の老朽廃車が始まる昭和50年頃まで近郊形【一般型】の気動車が増備されることはありませんでした。

なお、昭和61年4月の鉄道ピクトリアル、キハ35・45特集では、キハ45を増備する計画があったそうで図面も設計されたそうですが結局、幻で終わったと書かれています。


遜色急行として九州で活躍

キハ45は、居住性が高かったこともあり、九州では急行列車、「からくに」に使われたそうです。

昭和41年10月号の時刻表、急行「からくに」をアップさせていただきました。

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鹿児島本線、出水から水俣ま

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水俣から山野線経由で山越えして都城から宮崎に向かうルートを走っていました。

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by blackcat_kat | 2018-04-01 00:04 | 気動車