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2018年 03月 26日

気動車発達史 19 キハ90形気動車の開発 2 量産試作車編

量産型キハ91誕生

キハ90形並びにキハ91形は新製後、千葉区に配属され検討された結果、大出力のDML30系エンジンを今後の気動車の標準エンジンとすることが決定されました。(在来気動車との併結の際は、読み替え装置が設けられていたそうです)
高出力エンジンを使用することで、付随車を随時挿入することが出来るほか、冷房用エンジンを設置するスペースを確保できることで経済性が高まると言う判断でした。
そこで、更に量産に向けての実証用として、キハ91形7両とキサロ90形3両が昭和42年7月に製作されました。
キハ91形については1両のみ試験的に冷房装置を搭載、その他車両は準備工事にとどめられました。
また、1等車【グリーン車】は付随車として製作され、当初から冷房付きになっていました。
キサロ90の外観はキロ28を踏襲したものですが、キロ28-0番台が張り上げ屋根であったのに対し、普通の雨樋があるタイプの屋根となり印象が変わりました。
ただ、キロ28の最終増備車である、キロ2309 - 2314・2508 - 2518に関しては外観をキハ65と合わせたため、キサロ90に近いイメージになりました。
量産試作車キハ91 100年の国鉄車両から引用


いかめしい読み替え装置を付けたキハ91量産車の外観

キハ91量産試作車は、キハ91試作車が全体に丸みを持たせたものであったのに対して、後に製作されるキハ65に似た外観でした。
国鉄部内雑誌、交通技術の資料に書かれている記述を引用させていただくと、試作車の運用で得られた内容を基に、特に耐寒耐雪対策などを盛り込んだと書かれています。
少し長いですが、全文引用したいと思います。
キハ91は試作車の使用経験を生かして種々の改良が行なわれている。
走行性能の向上・従台車の滑走防止・機関の点検を容易にするための燃料噴射ポンプおよび始動電動機の移設・屋根上放熱器に補助送風機を取付けた冷却能力の増加・小形継電器の密封化・自動連結器の錠のせり上り防止・側折戸の開閉容易化・排気管の防振支持などを実施している。
寒冷地で使用するので、必要箇所に耐寒耐雪対策も併施した。特に発電機関を冬なども運転するため、ウオーミングアップ・不凍液・オイルパンヒータを追加した。
名古屋~長野間1往復の運転になるが、一部の区間で在来車との混結運転が行なわれるので、キハ91の前面には混結装置を取付けたままで、他の運転が支障しないよう考慮しである。
ここで書かれている、混結装置とは、運転台下に付いている箱であり、ノッチの読み替え等を行う装置でした。
wikipediaの写真などでは、この制御装置が外されている写真が上がっていますが、落成当初は下記写真のように運転台下を殆ど埋めるようなに装置が付けられていました。
なお、キハ91-8のみ冷房装置が試験的に搭載された以外は、準備工事とされたことは前述したとおりですが、クーラーに代えて補助送付機が設置されていました。
下図参照
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冷房装置の代わりに設けられていた補助送風機
結局最後までキハ91 1~7は冷房化されることはありませんでした。

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当初千葉区に配置されたキハ90・91試作車は量産試作車と共に名古屋区に移転となり。昭和42(1967)年12月から、「急行しなの」運用に入ることになりました。
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昭和42年10月時刻表から引用

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by blackcat_kat | 2018-03-26 23:04 | 気動車
2018年 03月 25日

気動車発達史 18 キハ90形気動車の開発 試作車編

長々と続けておりますが、今回は新系列気動車の基礎となった、キハ90・91のお話をさせていただこうと思います。
車両に関しては結構見つかるのですが、肝心のDMF15エンジンとかFDML30HS系エンジンに関する資料が手元に無くて・・・。
その辺りの不明な点は補足いただければ幸いです。

高出力気動車用エンジンの開発と挫折

さて、国鉄でもDMH17系エンジンによる保守費の増加や製造コストが高くなることに対してはかなり問題意識はあったようで、DD13で使われていたエンジンを再び横型にした、DMF31Hエンジンによる、キハ60形が試作されました。
出力的には十分なものであり、新機軸を【充排油式】の液体変速機や、2軸駆動などの新機軸が取り入れられましたが、変速機の問題【直結と変速の切り替わりのタイミングが合わず、過大な衝撃負荷によるクラッチ破損等】問題があり、量産はされることはありませんでした。

新しい、標準エンジン誕生、DMF15系エンジンと、DML30系エンジン

その後も国鉄と民間メーカー【新潟鐵工所、ダイハツディーゼル、神鋼造機】による共同開発は続けられ、昭和37年には、全く新しい設計のDMF15HZエンジンが、翌昭和38年には、DMF15系エンジンをベースに12気筒化した、DML30HSAエンジンが開発されました。
DMF15HZエンジンは、過給器(ターボチャージャー)並びに中間冷却器(インタークーラー)を装備し、連続定格300 PS / 1,600 rpm を誇りました。
なお、12気筒化された、DML30HSAは、過給器(ターボチャージャー)装備で500PSを発揮していました。
そこで、このエンジンを実際に搭載した気動車を試作することとなり、誕生したのがキハ90・91気動車でした。
キハ90がDMF15FHZAエンジン搭載の300PS、キハ91がDML30HSAエンジン搭載の500PSでした。
車両の特徴は後述しますが、最終的に国鉄として、気動車用にはDML30HSAを搭載したエンジンを、DMF15HZAエンジンは発電用エンジンとして利用する方針が決定しました。
実際には、DMF15系エンジンは、その後老朽化したキハ17の置き換えようとして増備されることになるキハ40系列の気動車に採用されるのですが、これは後の話

試作気動車、キハ90とキハ91誕生
DMF15系エンジン並びに、DML30系エンジンを基に比較のため、DMF15HZA搭載のキハ90並びに、DML30HSAエンジンを搭載したキハ91が試作されることになりました。
昭和41年3月に完成し、千葉区に配置されて各種試験に供されたようです。
車両の特徴は、丸みを帯びた独特のパノラミックウインドウ、更に側面出入り口の3枚折り戸と言ったところでしょうか、側窓は153系と同じ上下2段のユニット窓となり、キハ58とは大幅にイメージが変わりました。
なお、天井には大型ラジエターが搭載され、外観は大きく変わることになりました。
なお、冷房装置の搭載は試作車では見送られることになりました。
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キハ91試作車

当時の交通技術と言う部内向けの雑誌を参照しますと、下記のような書き込みを見ることが出来ます。
少し引用させて頂きます。
台車は、新設計のもので、キハ90用の1軸駆動DT35、キハ91用の2軸駆動DT36及び両形式の従台車TR205ともに基本構造は同じ、心ザラなしの全側受方式になっていました。
なお、この台車方式はその後キハ65やキハ181系に引き継がれることになります。
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交通技術 昭和41年6月号から引用

また、運転台は、全く新しい発想のユニット式運転台であり、その後キハ181にも採用される2ハンドル方式でした。
右側がセルフラップのブレーキ弁で前方に押して作用する。左側は主幹制御器でこれも押すと力行になり、またエンジンプレーキもこのハンドルの操作によるとされていました。
また、右から時計・圧力計・速度計・電圧計等が蛍光発光する方式となっていました
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画像はキハ181の運転台。wikipediaから参照

さらに、制御方式が新しくなったことに伴い、電気引通線が168本にも成ったことから、連結器下に自動電気連結器を設置することとなりました。
この密着自動連結器もキハ181系で採用されることとなりました。
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続く

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by blackcat_kat | 2018-03-25 21:45 | 気動車
2018年 03月 16日

気動車発達史 17 キハ35形通勤形気動車の誕生

本日から、キハ35形通勤気動車のお話をさせていただこうと思います。
キハ35形気動車と、便所の設備を撤去したキハ36、両運転台のキハ30があり、寒冷地向けの500番台や、オールステンレス車体として試作された900番台があります。

通勤用気動車の誕生

さて、キハ35形気動車が誕生した背景ですが、通勤対策が大幅に遅れていることが原因でした、その辺の事情を天王寺鉄道管理局三十年写真史に求めてみますと、下記のような記述が見られました。
全文引用させていただきます。
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昭和31年当時の関西線【昭和31年の時刻表から)
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昭和37年12月時刻表から

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区間運転部分だけを拡大してみました。

関西本線DC化
昭和34年、監査委員会から、低調であった関西線の経営のあり方について指摘を受け。これに基づいた同線の大規模な輸送改善並びに合理化が実施されることになったが,これに伴い亀山・湊町間115.3キロの全面DC化が実現した。
まず36年12月奈良・湊町間にDC26両を投入,客車のDC置換えを実施した。
ついでDC37両を投入してDC化区間を亀山まで延長、これに伴い,亀山・湊町間オールDC化が完了。同時に奈良・湊町間にDCの快速が誕生するなどの大幅な輸送改善が実現した。
と書かれています。

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出発式の様子、奈良駅 天鉄局30年史アルバムから。

気動車史上初の通勤形

もちろん、当初から国鉄本社としては関西線のみの専用形式というよりも、千葉地区などでも投入を予定したいたようです。
最初の選定路線として、平坦区間が多く、気動車の置換えで効果が高いところという視点から選んだと言われています。
実際、奈良~湊町間は、大阪のベッドタウンとして戦後急激に発展していました。
近鉄は電化されていたにも関わらず、当時の関西線は、蒸気機関車牽引の客車列車が主力で、客車は老朽化し、乗降扉は走行中の施錠もできない手動式で、昭和初期と大差ない前時代的な旅客サービス水準でした。
列車本数(片道)も日中は1時間に1~ 2本、朝ラッシュ時でも1時間に4~5本程度と、並行する近鉄奈良線や大阪線と比べるまでも無い状態でした。
そこで、この区間をDC化することで近代化すると共に旅客輸送の需要に応えることとして開発されたのが、キハ35形気動車でした。

電車とは異なる特徴有るスタイルに
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キハ35の室内写真【交通技術昭和36年12月から引用】

この気動車の特徴は、101系通勤電車をその範に取るというものでしたが、全く電車のスタイルを踏襲するわけにはいきませんでした。
その一つが、車体に設けられたステップでした。
元々客車時代のホームは高さ760mm、電車専用区間1100mmm、電車・客車併用区間920mmとなっていました。
田舎の駅では極端に低いホーム【気動車の台車やエンジンが見える】に遭遇することがありますが、これは客車時代のホームの扛上【かさ上げの意味】がなされていないからです。
そうしたホームが数多くありますから、従前の気動車同様、ステップは必須であり、それ故に外吊り3枚扉という独特のデザインが誕生したのです。
これは、ステップを設けなくてはならない反面、そうするとスペースがステップの分だけ圧迫されることになりますし、まして車体中央に1.3m幅の開口部(有効開口幅は1.2m)を設けて戸袋を設けると台枠の一部を切ることになり、台枠強度が低下することになりました。
また、車両の中央部に1.3mの開口部を設けるため車両の艤装スペースがその分狭くなります。
結果的に2エンジンを搭載することが不可能となってしまいました。
また、通勤用と言う性格上、この車では軸重増を考慮して車軸径を少し太くした他、いままでの液体式ディーゼル動車との混結運転も可能となっています。 
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車体は、戸袋の無い外吊り式の引き戸とされ、戸袋が無いためドアすぐ横の窓は開閉することが可能となりましたが、ドア開閉中に手や顔を出していると危険なため、ドア横の窓は下側も手が入るか入らないかの開口部であり、保護棒が下部に付いていたように記憶しています、車内に入ると101系のようなつり革の配置で、枕木と並行して並ぶつり革なども設置されていました。
異色だったのは、出入り口付近のパイプに灰皿が見受けられたことでしょうか。
また、通勤用気動車で有りながら、便所も設置されているなど、随所に電車とは異なる思想がありました。
なお、翌年の昭和37年には、トイレ無しのキハ36形が投入された他、寒冷地である弥彦線にも、キハ35形が投入され,同年9月12日から使用されました。
弥彦線に投入されたキハ35は500番台を冠する寒冷地仕様で、501~512の12両が越後弥彦線管理所に配置されたとされています。【当時は管理所制度がありました、(JR西などに見られる鉄道部に似た制度)】
ベンチレーターの押込式など寒冷地向けに仕様が一部変更されています。
ちなみに、弥彦線にキハ35が導入されたのは、吉田~東三条間の沿線に工場が多く朝ラッシュ時の混雑が激しいためであり、キハ17のロングシート化を新潟支社として提案したが、台枠強度の問題から不可となったことによるものでした。

続く
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by blackcat_kat | 2018-03-16 00:56 | 気動車
2018年 03月 12日

気動車発達史 16 キハ58形気動車の誕生 修学旅行用800番台誕生

久々に、投稿させていただきます。
キハ28・58のお話、結構書き始めると深くなってしまってなかなか進みません。
やっと、修学旅行気動車のお話をさせていただける手はずとなりました。

キハ28・58は急行用の代表的な形式として活躍しましたが、修学旅行用としてもキハ28・58が製造されました。
修学旅行用として製造されたのは、キハ58形19両とキハ28形13両の合計32両で、昭和37年(1962)~昭和38(1963)年にかけて製造されました。
最初に導入されたのは、九州であり、利用債を引き受けて貰うことで実現したもので、159系に準じた内装で、159系のように2+3では無く一般的な2+2でしたが、155系でおなじみの跳ね上げ式テーブルを設置した他、客室内速度計を設置していました。
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跳ね上げ式テーブルを上げた車内
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修学旅行用列車の定番となった速度計、元々155系制作時にメーカーのサービスとして設置されたものであったが、その後は標準仕様になった感があります。

客室後部【3位側(連結面寄りで運転席を先頭とした場合右側の座席)】はシートを引き出して簡易寝台に出来るようになっていました。
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鉄道ピクトリアル2000年6月号の記事を加工して作成
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3位側に設けられた休養室、シートを引き出して簡易寝台に出来るようになっている。


また、国鉄部内誌、交通技術によりますと、洗面所は2人同時に使えるように拡大し、飲料水タンクも40リットル×3を用意することとなっていました。と書かれています、画像は洗面所の画像なのですが、飲料水タンクが2個しか見えないのですが予備のタンクがあったのでしょうか?その辺は詳細は不明です、線路と平行に洗面台がおかれていたことがこの写真から窺えます。
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159系同様、修学旅行シーズン以外は一般列車としても運用するために,基本的な仕様は従来型のキハ28・58と同じであり、塗装が159系などに準じており、修学旅行「とびうめ」の愛称が付けられていました。
「とびうめ」は、太宰府天満宮の飛梅 からの愛称であり、九州の列車らしい愛称と言えましょう。
また、昭和38年には、東北地区でも利用債を引き受けに伴い800番台気動車が製作されており、こちらは「おもいで」という名称となりました。
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リバイバル塗装の、キハ28 画像Wiikipadia

ただし、修学旅行気動車も電車と同じ塗装でしたが、油煙のためどうしてもくすんでしまうのは仕方の無いことと言えました。

ちなみに、キハ28・58で初めて、室内照明に蛍光灯が本格的に使われるようになり、幅広の車体と相まって、利用者には好評でした。
また、それまでの気動車は半自動式と呼ばれる方式でドアは自動では開かず、手で開ける必要がありました。(閉ドアは自動)これを改めて開閉共に自動で開くようになったのも、キハ28・58からでした。

ということで、今回のお話はこれで終わりますが・・・まだまだシリーズは続きます。
次回は、キハ35系列のお話をさせていただく予定にしております。

なお、画像は特記以外は、交友社100年の国鉄車両の画像を利用させていただきました。


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by blackcat_kat | 2018-03-12 23:19 | 気動車
2018年 03月 06日

気動車発達史 15 急行形気動車の開発と発展 キハ28・58 第3話

少し間が空いてしまいました、久々に投稿させていただきます。
今回もキハ28・58のお話になります。
全国で1000両以上製造された名車、キハ28.58
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国鉄形の急行形気動車の顔と言えば、キハ28・58で異論は無いでしょう。
昭和27年当時のキハ44500がデビューした頃は2.6mの車体幅で高さも低く全体に貧相であった気動車もエンジンの出力は僅かに20 PS増えただけですが、車体幅は2.95mと特急車両と遜色なくなり、キハ55譲りの21.3mの車体長は全体に余裕のあるレイアウトを生み出すことになりました。
キハ28・58形気動車は、1000両以上製造され、晩年はローカル列車にも投入されましたが、本当に日本を代表する気動車と言えました。(キハ56・57を含めた延滞では1818両が実に昭和35年度から昭和43年度までに製造されました)
国鉄が民営化され、ロカール線の廃止なども行われたこともありこの記録は破られることは無いと思いますが、逆な言い方をすれば全国どこに行ってもキハ28・58が、いたものですからちょっと食傷気味にもなったものでした。
気動車急行の標準形 キハ28・58
急行形気動車の標準として誕生したキハ28・58は、先行して誕生したキハ56や57と基本的な構造は変わらないものの多少の差異はありました。
北海道向けのキハ56が床を木製としたのに対して、リノリューム張りとしたこと、キハ57がアプト区間を通過するため空気バネで車体の高さを調整し床下機器がラックレールに接触しないように配慮され、ブレーキ装置もディスクブレーキを採用していましたが、キハ58系は、台車もコイルバネに変更されるなどの違いがありました。
ただ、同じ形式のキハ58であっても製造年次が昭和35年から43年と9年の開きがあり、製造年次などで多少デザインが変わっていきました。
特に昭和42(1967)年度本予算車(誕生は1968年のため1968年製造の記述がある場合もあり)では、153系電車のように、パノラミックウインドウでスカートも設置されるなど外観が大きく変わりました。【それまでの気動車は、コストダウンのためパノラミックウインドウは省略され視界を確保するためできるだけギリギリまで窓を寄せるようになっていました。
これは、後述のキハ45とデザインを合わせる意味合いがあったのでは無いかと思われますが、軽快感は増したと言えます。
なお、キロ28・58は153系サロ152と同じ下降窓方式が採用されましたが、サロ152が蛍光灯カバーを設けていたのに対し、キロ28・58は蛍光灯カバーが省略されるなどコストダウンとはいえ格差を付けられているそんな感じでした。
ただ、当時の国鉄車両の特徴ですが、下降窓における水抜きの設計が拙かったようで、昭和50年代には、下降窓から上下2段のユニット方式の窓に変更される車両が現れ、優雅なイメージから一転、なんとも言えないスタイルになってしまいました。
長編成に対応したキハ28・58
液体式気動車は特急形を除けば基本的に足回りは共通で、エンジンはDMH17、ブレーキ装置はガソリンカー時代から使われている、DAブレーキ装置と呼ばれる自動空気ブレーキが採用され、制御は直流24V の電源を採用していました。
この場合、この方式ですと、長大編成になると、制御引通し線の電圧降下やブレーキの遅延が問題視され、編成で11両、エンジンは17台に制限されるなどその問題は深刻でした、そこで、昭和38年から落成するグループから、下記のように仕様が変更され、15両編成、エンジンまで対応可能なように仕様が変更されました。
各車に小型補助継電器を取り付けて、制御引き通し回路と接続して次車電源で各作用電磁弁を動作させることで、電流容量の逓減と電圧降下を避けるようにしたほか、ブレーキ装置も電気制御回路を付加した電磁弁式自動ブレーキを採用し、(DAE方式)としました。
これにより、最高15両編成、23エンジンまでの対応が可能になったとされています。
なお、国鉄時代の雑誌、交通技術昭和55年2月号を参照しますと、下記のような記事がありました。
これによりますと、
昭和35年より急行用気動車を新製しましたが、このうち信越線アプト区間来入用のキハ57等は、プレーキ力安定化のため中継弁付自動プレーキ(DAR)を採用、北海道用(キハ56等)、一般用(キハ58等)は途中から電磁自動プレーキ(DAE)が採用され、抑速用としてエンジンプレーキも採用した。
DAEは電車のAEと同じシステムである。
と書かれており、特急気動車のキハ80系は、一般形や急行用気動車とは異なるブレーキ装置が設けられていた記述されています。
再び引用させていただきます。
昭和35年新製の80系特急形気動車には電磁速動プレーキが採用された(第12図)。電磁速動プレーキは、基本的には自動プレーキであるが、制御弁とパラレルに補助ダメと中継弁を結ぶ電磁弁を通る空気回路が付加されている。
プレーキ弁を扱うとプレーキ管が減圧されるが、この時電磁弁が励磁され、制御弁が動作する前にバイパス回路を通って、補助ダメから中継弁へ空気が送られ、プレーキが作用する。このため通常、制御弁はユルメ位置をとったままである。
この方式は直通プレーキ同様、制御弁による作用おくれ時間がほとんどなく、小きざみなプレーキ操作ができる利点があるが、一方、プレーキ管と補助ダメがつながっているため、各車ごとにプレーキカが異なる場合がありうる欠点がある。国鉄では80系のみに使用している。
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参考までにアップしておきます。
この記事によりますと、80系気動車だけが結構特殊なブレーキを採用していたようですね。

続く

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by blackcat_kat | 2018-03-06 22:31 | 気動車
2018年 03月 03日

気動車発達史 14 急行形気動車の開発と発展 キハ28・58 第2話

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キハ58系の系列は、何故キハ56とキハ57が先に製造されたのか?
キハ58系列は、総数1,823両が製造され日本全国で見ることが出来た急行気動車でした。晩年は、普通列車などに使われることも多かったのですが、最初に作られたのは北海道向けのキハ56系列であり、その後製造されたのは信越線用のキハ57系列でした。

北海道向けが最初に作られたのには理由がありました。
それは、北海道に優等列車向けの気動車が無かったからでした。
昭和31年からキハ55形の製造が始まりました、北海道には酷寒地形の気動車としては、昭和32年に製造が開始されたキハ21と翌年。デッキ付にするなどして保温性と暖房性能を強化したキハ22が誕生しますが、いずれも普通列車用でした。
特に、キハ21は出入り口付近にデッキが無く、後年(1975年頃)になって一部の車両にアクリルの防風板が出入り口付近に設けられました 。
話が、キハ58から外れてしまいました、改めてキハ58のお話をさせていただこうと思います。

さて、北海道のキハ58は1次車のみ車体のカーブが直線的であり、それ以後の緩やかなカーブを描く車両とは異なっていました。
また、1次車のみヘッドライトの間隔が小さいと言われています。
なお、北海道向けに製作されたキハ56は、昭和35年度の借入車両(民有車両)としてキハ56 5両、キハ27 10両、キロ26 5両及び自己資金(債務負担行為)でキハ27 2両、計22両が製作されたそうで、3月下旬に落成、急行“すずらん”の置換え、準急"オホーック”かむい”の増強に使用される。
と記述されています。
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なお、急行「すずらん」は夏場は内地向けのキハ55を借り入れて使用し、冬場はキハ22による代替使用(キロについては、代替車が無いため冬場でもキロ25が使用されたと言われています。)が行われたと言われています。
当時の「すずらん」の編成を見ますと、1等車【グリーン車】を連結する車両であり、当時の優等列車の一角を占めるものであることが窺えます。
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民有車両とはどういうものか?

さて、民有車両と言う言葉が出てきましたが、これは当時輸送力増強で車両を新製するための予算が足りなかったときによく使われた手法であり、車両メーカーで車両を製作、それを借り受け5年で買い上げるというもので、5年分割で車両を購入する訳で、ローンで自動車に乗るような感覚でした。
車内の銘板付近に民有車両を示す丸いマークが描かれていたと言われています。

キハ57の投入がキハ58よりも少しだけ早かった理由は、善光寺参拝客輸送

さらに、昭和36年4月には長野県善光寺のご開帳に合わせるための気動車キハ57が誕生しています。
国鉄の部内誌、交通技術によりますと、下記のように書かれています。
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昭和36年10月時刻表を参照しますと、上野7:10発、長野着11:31、その後丸池で運用した後、翌日の7:56 長野発、上野着12:20で運用されていたようです。

36年度新形式で専ら上野~長野間急行に使用され、4月から始まる善光寺様の御開帳に極力間に合わせるべく急いで製造したが4月中旬から5月上旬にかけて16両が落成し、引続いて追加10両は5月の契約となる予定である。
と記録されています、更に昭和37年には長野電鉄の湯田中まで延長運転【二等車2両】されており、連日120%以上の乗車率出会ったと記されています。

昭和37年国鉄線の記事を最後にアップさせていただきます。

上野~湯田中間直通運転開始
信越線 上野~長野間のディーゼル急行 志賀号、丸池号の車両の一部(ニ等車二両)が、去る三月一日から、志賀高原の基地湯田中駅まで直通乗リ入れ(屋代経由)を行っている。
これにより、上野|湯田中聞は、乗り換えなしで五時間で結ばれ、信州の奥座敷まで東京から快適なディーゼル・カーで往復でき、観光客誘発に一役買うことになった。
初日から一〇日間の利用状況は、特に上り列車が好調で、定員一六八名に対し、上り志賀号は一二九%、丸池号は一三四%の乗車効率を示している。
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キハ57製造の後、内地向けの急行気動車としてキハ58 キハ28 キロ28の各形式が誕生するのですが、長くなりそうなので
章を改めてアップさせていただきます。

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by blackcat_kat | 2018-03-03 21:42 | 気動車
2018年 03月 01日

気動車発達史 13 急行形気動車の開発と発展 キハ28・58 第1話

皆様、本日も気動車発達史と言うことでお話をさせていただこうと思います。
今回は、国鉄時代、急行形の代表格、キハ28・58形を取り上げてみたいと思います。
キハ44500でスタートした、液体式気動車は非電化区間における無煙化のエースとして発展を続けてきました。
DMH17系エンジンは改良により180PSまでアップしたとはいえ、非力であることは否めず、勾配区間では極端に速度が下がってしまうと言う問題がありました、その問題もDMH17系エンジンを2台搭載することで暫定的な解決を図る事が出来ました。
その後、10系客車に見られる軽量構造の手法を応用したキハ55が誕生するに及び本格的な優等列車に気動車が使われる時代となりました。
キハ55は好評を持って迎えられましたが、キハ55形は準急用として計画されたため、従来の客車急行を置き換えるには更に居住性を改善した車両を誕生させる必要があり、こうして誕生したのがキハ58を代表形式とする急行形気動車と呼ばれるグループでした。
キハ58系列の気動車の特徴は、車体幅が2900mmまで広がったことで車内が広くなったこと、特急形で採用されたDMH17H系エンジンを搭載したことで静粛性を高めることに成功したこと(浮き床構造なども功を奏していました。

キハ28・58系気動車の分類
一般的にはキハ58系と一括りにされがちですが、大きく分けて次のような分類が出来ます。
  • キハ27・56・キロ27・・・・北海道で活躍したキハ58系列 二重窓を持ち、窓は少し小さめ
  • キハ57・キロ57・・・・・・信越線のアプト区間を通過するための車両
  • 一般向  キハ28 キハ58 キロ28 キロ58・・・一般的にキハ58系という場合この系列を指す
もちろん細かく分けていけば、製造年次による設計変更など、個々の番台区分等もありますが、その辺は省略させていただきます。
最初に開発されたのは北海道向け
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キハ56型気動車

気動車の形式が示すように、最初に開発されたのは北海道向けであり、キハ22同様の耐寒耐雪設備が設けられました。
その次に開発されたのが、信越線のアプト区間通過に向けて開発されたキハ57・キロ27形気動車でした。
この気動車の特徴は急行気動車でありながら空気バネを採用したことでした。
これは、定員乗車でバネが沈み、ラックレールに基礎ブレーキ装置や床下機器が接触しないように考慮されたもので、急行気動車として初めてディスクブレーキ方式が採用されました。
キハ81で採用されたDT27・TR67をベースに、ディスクブレーキに設計変更したものでした。
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キハ57形気動車

気動車のディスクブレーキは、電車のサハ車に見られるようなディスクを挟む方式ではなく、車輪裏側に設けたディスクを押しつける(車輪ディスク方式)方式であり、保守する立場からは不評だったそうですが、ブレーキ性能は良かったそうで、その後の80系気動車(キハ82を含むグループ)にも採用されました。
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キハ57系に採用されたDT31形台車

余談ですが、キハ81もその後台車をキハ82系列と同じ台車に交換しており、従来の台車はキハ28やキロ26に振り替えられています。
キハ57系列以外は、キハ55後期形と同じ、金属バネ台車のDT22A・DT22C(動力台車)・TR51Aが採用されました。
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DT22形台車


国鉄急行用気動車の顔 キハ28・58
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さらに、それ以外の急行列車用車両として誕生したのがキハ28・58でした。
電車と違って気動車の場合はコストダウンを求められる傾向にあり、普通車(当時は2等車)座席背面が電車ではモケット貼りでしたが、キハ82では化粧板になったり、横引きカーテンが気動車では 省略されて、巻き上げ式カーテンになったり、かなり省略される部分がありました。
キハ58系列で見てみますと、同時期の153系電車がパノラミックウインドウを採用していたのに対して、平面ガラスであったり、スカートが省略されるなどしていました。
最もその差が顕著だったのはグリーン車(当時は1等車)で、急行用としてデビューしたサロ152は照明カバーが設けられていたの対して、キロ28(キロ58含む)では、下降窓こそ採用されたものの照明にはカバーが省略されるなど格下という印象を受けたものでした。
また、台車も前述のとおり、153系は空気バネのDT24・TR59でしたが、キハ58系列では、コイルバネの気動車標準台車DT22・TR51が採用されており、全体的にコストダウンを意識した車両になっていました。

画像は全て、wikipediaから引用

続く。

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国鉄があった時代 JNR-era
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by blackcat_kat | 2018-03-01 00:22 | 気動車