1 2017年 10月 31日
国鉄分割民営化と EF66 分割民営化で、国鉄は旅客会社と貨物会社を分離されました。 旅客会社は6社に分割することで地域性を持たせた反面、貨物会社は全国一律の組織として運用されることとなり、機関車の運用も大幅に変更されることとなりました。 昭和61年(1986年)11月1日付で、将来の旅客会社と貨物会社に分離のための措置が講じられ、EF66の一部(EF66 17~20・28・30~39・901)が下関から吹田に移管されました。 なお、下関に残った EF66形2次型の40~55号機は、引続き下関配置となり JR 西日本に継承されました。 これは、2次車が編成増圧装置付きの機関車であったことも一因だと思われます。 JR 発足後は、JR西日本広島支社下関運転所の配置とされ、(平成7年10月1日の組織改正で、下関鉄道部下関車両管理室)ました。 JR 西日本による改造 ブルートレインの魅力を高めるために、JR西日本では、平成元年に下関止まりの特急「あさかぜ3号・2号に12系改造の ロビーカー(スハ25)を連結しました、この車両は、カニ25以来のパンタグラフを持つ客車で、サービス電源を確保するためSIV(サイリスタインバータ)が床下に装備された車両で、電源車の連結を不要にしたうえで、ロビーカーとシャワー室を設けた車両でした。 緊急時には、電気機関車側(EF66)から、パンタグラフを降下させるためのスイッチがあり、制御用の電気連結器(赤丸部分)が設けられました。しかし、2005年に「あさかぜ(下関行き)」廃止の際に、スハ25も連結を中止したため、その後は連結器が使われることはありませんでした。 ![]() JR 貨物に使われる EF66は、電気連結器を持たない代わりに、元空気溜管(コックの頭が白く塗装) されたものが増設されています。 ![]() ■
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by blackcat_kat
| 2017-10-31 21:43
| 電気機関車
2017年 10月 30日
EF66のブルトレ牽引まで 本来は、貨物用として計画された機関車でしたが、鼻筋の通ったそのスタイルから、鉄道ファンの間でも常に人気は高く、昭和44年に、ブルーリボン賞を受賞しています。 当時から、ブルートレインを牽引して欲しいという要望は強くありましたが、国鉄当局としては EF66という機関車は、あくまでも、1000tの貨物を100km/h 以上で走行させるための機関車であり、たかだか500t 程度の客車を引っ張らせるのは荷が軽すぎること、さらにコンテナ輸送は順調に増えており、そのための機関車を確保する必要があることから、「実現は不可能」と言われていました。 ![]() しかし、昭和60年10月の改正でブルトレを EF66が牽引することになりました。 昭和59年2月の大幅な貨物輸送の大改正(ヤードを経由する貨物輸送を全廃し、コンテナ中心の輸送に切り替えた)により機関車が大幅に余剰となったことと、旅客輸送のサービスアップの一環として、特急「はやぶさ」にロビーカーを組み込んだことで、編成重量が増加、EF65形では牽引力が不足して当初の速度(特通C2)を出せなくなった。 という、二つの偶然が重なったのです。 この改正で、九州行寝台特急を一手に引き受けてきた東京機関区はその任を解かれ、九州行寝台特急の牽引は下関に移管となりました。 なお、任を解かれたEF65(PF)形は貨物運用に回されることになりました。 ![]() ここにファンが夢見たEF66による特急牽引が実現したのでした。 国鉄からJRに移行するこの時期、国鉄にとっても一番華やかな時期であったと言えるかもしれません。 画像はいずれも、Wikipediaから引用させていただきました。 ■
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by blackcat_kat
| 2017-10-30 21:06
| 電気機関車
2017年 10月 29日
EF90の試験成果と量産車の登場 EF90は、昭和41年9月の落成以降、10月から年内いっぱいは種々の試験に供された後、EF65重連と一緒に特急貨物の運用に充当され、運用試験が続けられました。 ![]() ![]() EF66 1~20(第1次量産車) 私見の成果を踏まえ、昭和43年7月から第1次量産車が製造されました。 外観上に大きな変更点はなく、窓の中央部のサッシが少し細くなった他、乗務員室側 窓が2分割だったものが1枚物になったほかは、大きな 外観の変更はありませんでした。 これにより、EF65型重連運転による特急貨物はその任を解かれ、一般貨物専用としての運用に戻ることとなりました。 EF66 21~55(第2次量産車) ![]() 庇無しの姿 貨物輸送は、車扱い輸送(一般貨物輸送)は横ばいもしくは減少傾向でしたが、コンテナ輸送は、その定時制と簡便さから需要は右肩上がりで増え続け、昭和48 年10月のダイヤ改正においても増発が計画されました、ただし、従来の貨車コキ10000系は製造コストが高いこともあり、新たに電磁弁を使わずに最高速度も95km/h に抑えた、廉価な特急貨物列車、国鉄部内では「特急貨物 B と呼称」を設定することにしました。 これは、寝台急行列車と同じ最高速度となることから、平行ダイヤを組める(寝台急行列車と同じ速度で走れることを意味する。)こととなり、 これに充当すべく第1陣として11両が計画されました。 外観上の特徴としては、運転台前頭部に庇が設けられたこと、そのスタイルを大きくかえることとなりました。実際には、EF65でも対応可能だったのですが、特急貨物 A(従来の高速貨物列車)を牽引できるのはEF66しかないことから、運用の合理化を図る意味からも調度良かったと言われています。 2次車の特徴は、保守の合理化と機関助手廃止に伴う機器類の整備が大きな変更 点でした。 なお、この庇は、その後追加工事で EF66901(EF90)を除く全車両が改造されたようですが、実際には EF6611のように、庇なしの車両も見受けられます。この庇(ひさし)については、ファンに間でも賛否両論がありますが、これがあるこ とでEF66らしさを出しているとも言えます、この庇は飾りではなく、パンタグラフに塗布された潤滑材の油がガラスに付着するのを防止するためのものです。さて外観からはわかりませんが、運転席を中心に大幅に変更がされました。 以下列挙します。 (鉄道ファン51年9月から抜粋) 運転台関係
補機類
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by blackcat_kat
| 2017-10-29 11:40
| 電気機関車
2017年 10月 28日
試作車EF90の誕生 試作車EF90は、昭和41年9月に川崎重工で製作され、吹田第二機関区(第一は蒸気機関車)に配置されました。 ![]() 機関車の特徴(共通関係) EF90(66)形の特徴は、あの独特のマスクと言えるでしょう、もちろんデザイン優先で作ったわけでな く、高速貨物輸送を行うことから見通しの確保及び衝突時の安全等の機能を追求する中で創出されたデザインです、いまだ工業デザインという言葉もあまり聞かれなかった時期、中央部を突出させた独特の形は、強い印象を内外に与えたことは間違いありません。 EF66はデザインの他基本性能も優れていたため、JR 貨物発足後の機関車不足を補うため、EF66-100番代が前頭部のデザインを変更の上製造されています。 ![]() EF66形は、国鉄時代の機関車としては、唯一「鉄道友の会」ブルーリボン賞を受賞しています。 以下簡単に特徴を箇条書きをします。 走行関係
続く ■
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by blackcat_kat
| 2017-10-28 21:32
| 電気機関車
2017年 10月 27日
![]() 機関車としては、完全に新設計となるため、41年の特急貨物には間に合わないことから先にも記しましたが、前年から製造を開 始していた EF65形機関車を重連で使用することとしました。 具体的には、下記の装備を取り付けることにしました。 高速貨物用貨車牽引用の設備として
これにより、高速貨物輸送の体制は整いましたが、1000t 貨物にはこの重連運転は、逆に過剰出力となり、貨物編成長の問題や、変電所ピーク電流の増加(5000A)に伴う、電圧降下などの問題が指摘され。重連運用は東海道線全線と山陽本線姫路以東に限定されました。 (それ以外の区間では、EF65単機とし600t牽引) ■
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by blackcat_kat
| 2017-10-27 05:39
| 電気機関車
2017年 10月 26日
昨日に引続き、機関車登場の背景について語らせていただきます。 なお、EF66は、京都鉄道博物館に保存されている他、大宮の鉄道博物館にも保存されています。 EF66と言いますか、最高速度100km/hで走行できる貨車が誕生するまでは、85㎞/hが最高で、2軸貨車は75㎞/hにその速度が制限されており、高速道路の延伸などを考えると貨物列車の改善は急務と言えました。 博多港から大阪市場まで21時間30分は恐らくヤード系輸送による弊害だと思われますが、今から考えると時間がかかりすぎですよね。 表1 昭和41年当時の貨物列車の速度
さて、そんな中で開発された高速専用貨車ワキ10000、レサ10000、コキ10000ですが、最高1000t の貨物を最高100km/h で走行するための肝心の機関車がありませんでした。 そこで、暫定的措置として、すでに製造されていた EF65のうち17両を高速貨物用機関車として指定し、貨物輸送用の設備を付加することとしました。(後述) さらに、新型機関車の製造方針として、現行の EF65形機関車が使っているモーターを使用すると8動軸(H 形)機関車にせざるを得ないことが分かりました。 ![]() ただし、モーターを含め、新たに電気部品等を開発する必要にせまられたのでした。 試作車誕生 当初は、8動軸も検討された新型機関車ですが、昭和41年中に大出力モーター設計の目処がついたことから、改めて F 形電気機関車として設計する方針が決定され、直流機関車としては、初めて試作車が作られることになりました。 機関車の形式は、EF90(国鉄当時、試作車は90番代を当てることが規定されていました。)という形式が与えられ、落成後はすぐに吹田第二機関区に配置されてさまざまな試験に供されることになりました。 ![]() この機関車のスタイルがほぼそのまま、EF66形に引き継がれるのですが、今でも古さを感じさせないスタイルです、44年前’(作成当時の基準で)に出現した当時は大変斬新に感じたものでした。 元々、EF66は貨物輸送専用の機関車として計画されたので旅客輸送用の設備は設けられていませんでしたが、JR 西日本に継承された機関車には、その後客車制御用の電気連結器(ジャンパー線)が付加されました。(後述) なお、計画当時は狭軌で最大出力の機関車と言われまた、この機関車は重量でも最大級(最大は EF63)でした。 続く ■
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by blackcat_kat
| 2017-10-26 08:59
| 電気機関車
2017年 10月 25日
この記事は、小冊子として以前に頼まれて書いたものですが、日の目を見ることが無かったので改めてこちらでアップさせていただこうと思います。 EF66形機関車について
![]() EF66 形機関車は、国鉄時代に製造された最大の機関車で、その秀逸なスタイルは約半世紀経た今も古さを感じさせません。 そんな非常に魅力的な、EF66 形電気機関車が保存展示されるにあたり、EF66 形電気機関車について、解説をしていきたいと思います。 機関車登場の背景 そもそも、EF66 形機関車がなぜ、製造されたのでしょうか。 それには、当時の鉄道輸送事情に注目する必要があります、戦後の復興とその後の経済成長により活発化していった人・物の動きは活発化していました。また、昭和37年に一部開通した高速道路は、本格的な自動車による高速輸送の到来を告げようとしていました。 実際、中距離輸送にあっては昭和39年をピークに貨物輸送は減少傾向に入ることが予測されていました。 それは、当時の貨物輸送がヤード系輸送と呼ばれる、途中駅での連結・解結を基準とした輸送方式であったことに加え、駅での荷役が発着駅と到着駅でも行われるため、時間も経費もかかることが問題とされていました。 さらに、ヤード系輸送の場合ある程度荷物が集約する必要があるため、到着日時が 明確でないという問題もありました。 しかし、昭和34年から運転を始めたコンテナ専用列車は好評で、途中で連結開放をしない直通輸送列車(以下「ヤードパス」と略す)こともあって、その輸送量は増加傾向にありました。 そこで、本格的な自動車による貨物輸送に対抗する目的で、さらなる大幅な時間短縮を目的とした、特急貨物列車が計画され、昭和40年に汎用の貨物車(ワキ1000)が試作され、良好な成績を収めたことから、昭和41年10月のダイヤ改正で特急貨物列車が計画され、運転が開始されました。 ![]() 続く ■
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by blackcat_kat
| 2017-10-25 21:13
| 電気機関車
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