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鉄道ジャーナリスト blackcatの鉄道技術昔話

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カテゴリ:客車( 4 )


2019年 05月 25日

これからの車両を考える 旅客車編 【交通技術の記事から】

久々に更新させていただきます。
今回も交通技術という国鉄の部内向け雑誌〔昭和56年8月号〕から、「続・これからの車両を考える2」と言うタイトルで書かれた記事が有ります。
この記事を参照しながら、1981年当時の国鉄における旅客車の考え方を見ていただこうと思います。

旅客車の方向性について書かれています。キーワードは、軽量化と無塗装化
将来の客車及び貨車についての方向性などが言及されており、客車(ここで言う客車は、気動車や電車の客室を含むので正確には旅客車車体と言うべきでしょうか)については、10年程度で車両のアコモデーションを容易に変更できるような車体構造を目指すため研究したいとしています。

これまでの車両は、室内設備は固定化された構造であり、乗客のニーズにきめ細かく対応し難いきらいがあった。これは鉄道車両の寿命が長いことにも原因があり、例えば乗用車のように、寿命の短いものは時代に合わせてアコモデーションを変えることが可能である。したがって、今後の車両のうち、中・長距離旅行の目的で使われるものについては、室内のアコモデーションを容易に変えられる構造として、乗客のし好に合わせるとともに最近目覚ましい発達を示す各種内装材を、積極的に利用したいと考えている。
外板塗装の単色化もしくは無塗装化の推進
更には、外板塗装についても、特急以外は、単色化を進めたいとしています。
又、ステンレス車両等の導入を進めることとし、無塗装化を進めるとしています。
身延線の115系がワインレッドに白帯でデビューしたのは、下記の方針に沿うものでした。
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身延線115系 画像wikipedia

「識別等を目的とした帯およびマーク等は、塗装を避け、粘着テープ等により対処」
引き続き投入された、飯田線の119系も帯は粘着テープでしたが、いたずらで剥がされることが多く、に転用されたときは、再び塗装に戻されてしまいました。
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するがシャトルに転用された事もある119系 画像wikipedia

当時の国鉄における将来的な塗装に関する考え方

  • 特急車両については、国鉄の顔でもあり、従来から定着している色、塗り分けを基調としたい。
  • 今後の新形式でイメージチェンジの必要なものについては、用途および地区を考慮し、シンプルな中にも斬新さを加えたい。(185系・新キハ183系・キハ185系etc)
  • 急行形および近郊形車両については、単色にすることにより、簡素化を図りたい。
  • アルミ合金およびステンレスによる構体車両は無塗装化を図りたい。
  • 識別等を目的とした帯およびマーク等は、塗装を避け、粘着テープ等により対処したい。

更に、今後の技術開発として、列車汚水の浄化対策として、新しい形の浄化装置を開発すると言う記事が有ります。
詳細は、次回にでもさせていただきますが、汚水のうち水分と固定分に分離し、水分は浄化殺菌した上で停車中に排水、固形分は車両基地に到着後抜き取って焼却する方法となっています。
なお、浄化設備については別途機会を設けてお話をさせていただきます。

更に記事では、寝台列車のあり方についても言及されており、二階建て個室B寝台の研究が行われていると書かれています。
この車両は、スハネ25-700番台として、昭和62年3月ダイヤ改正で、「あさかぜ」1・4号でデビューしたのはご存じのとおりです。
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スハネ25-700番台 画像wikipedia

1) 普通個室寝台車一一2階建個室寝台車ー
寝台列車は、航空機に対抗する手段として、発着時間帯が適切に選択できれば、将来とも鉄道輸送の有効性が発揮できる分野の一つであると思われ、輸送力と居住性の調和が図られた寝台車の開発が望まれる。一方、就寝時のプライパシーを確保することも要請されているので現在の個室A寝台とB寝台の中間的な機能を持った2階建の個室寝台の調査・検討を進めている(第1図)
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他にも、欧風客車の開発が示唆されており、これに伴い、東京と関西でほぼ同時期に欧風客車がデビューしましたが、こうした方向性がこの時期に既に定められていたことが伺えます。

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サロンカーなにわ旧塗装 wikipedia
2) 欧風客車一一サロンカ一
室内を畳敷とした和風客車は、日本人の生活様式が欧風化されつつあるとはいえ、畳に対する愛着の強さのためか、好評のうちに増備が進められている。一方、若者向けの団体旅行用車両として、サロンおよびコンパートメント客室をもった欧風客車の検討が進められている。サロンパス等、車内に豪華な雰囲気が求められている現状をみると、欧風客車は今後の旅客のニーズに応えうるものと恩われる。
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国鉄があった時代 JNR-era
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by blackcat_kat | 2019-05-25 21:38 | 客車
2017年 02月 12日

12系+20系 混結時代?のお話

こんばんは、本日も20系客車のお話を少しだけさせていただこうと思います。
20系客車と言えば昭和33年に「特急あさかぜ」用としてデビュー、特急電車151系共々驚きの目をもって迎えられました。
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20系客車

20系客車はその後九州特急の充実とともに増備され、最終的に昭和45年まで製造が続けられましたが、1969年【昭和42年】には全国初の寝台・座席兼用特急電車581系が誕生し、その広いベッドと比較して52cmのベッドはさすがに見劣りがするということで1971年【昭和46年】既に量産が始まっていた12系客車をベースに寝台車が開発され14系寝台車として床下にエンジンを持つスハネフ14・中間車のオハネ14が誕生しました。
1972年【昭和47】年からは量産も始まりますが、
その翌1973年【昭和48年】には北陸トンネル火災事故の教訓から再び集中電源方式に戻され24系が製造されることとなりました。
なお、24系客車は581系電車の中・上段と同じ70cmの寝台幅となったことでサービスの向上が図られることとなりました。

そして、昭和51年には「特急つるぎ」が20系から24系25形【2段寝台】に置換えられることとなり、余剰となった20系はそのまま急行銀河の置換えに充当されることとなりました。

それまで、オロネ10・オハネ12等の旧形客車を使った編成から同じころに製造された車両とはいえ、特急客車が充当されることになったのです。
この時は、編成丸ごとでしたので、電源車に改造下以外はそのまま編成が充当されました。)
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その後も、「急行だいせん」等も編成単位で置き換えられ、特に「急行だいせん」では、ナロネ21の寝台を撤去してナハ21と言う新形式に改造した車両を誕生させましたが、当時の急行夜行列車の多くは座席が主体で寝台車は数両繋いでいるパターンの方が多く、こうした夜行急行列車を置き換えるため、12系客車と20系客車を混結させることとなりました。
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ただ、ここで問題が発生したのです。
それは、20系と12系客車ではジャンパー連結器などもさることながら、もっと大きな問題がありました。
それは、電圧の問題でした。
  1. 電源を受ける側の20系客車は3相600Vの交流電源、電源供給をする12系客車は3相440Vと電圧が違ったのです。
  2. 12系客車は自動ドアですが、20系客車はまさかの手動式でした。
    当時はボーイ(後の車掌補(乗客案内))が乗務しており、出発するとドアを手で閉めていたうえ、走行中は自動的にドアが施錠される(車のオートロックのような機能)ようになっていましたが、急行列車として使う場合は12系の座席車に合わせて20系側もドアの開閉を自動で行えるようにする必要がありました。
  3. 20系客車は800mmの車輪を採用しており、床面高さも12系とは異なっていたため貫通幌並びに渡り板も改造する必要が有ったと言われています。
  4. 公害問題もクローズアップされており、トイレのタンク取り付けなども併せて工事が行われました。
1)の問題に関しては、20系客車の床下に変圧器を取り付ける
2)に関しては自動ドア開閉装置を20系にも設置、ナハネフ20からも操作できるように改造
3)桟板の改造などが行う。
4) トイレにも、タンク等も取り付けたため重量がナ級=27.5t以上32.5t未満。で収まらず実際には35tちかくになったそうです。ただし、長く使う予定もなかったため、改形式にはせず、△マークを番号の前に付けて運用することとなりました。
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by blackcat_kat | 2017-02-12 15:11 | 客車
2017年 02月 01日

緩衝器のお話 (寝台車の乗り心地のお話)

今回は、緩衝器のお話をさせていただこうと思います。

客車の連結部を見ると連結器は目に入ってきますけれど、緩衝器と言うのはその後ろにあるものですから外観からは判り難いと思います。
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緩衝器と言うのは連結器の後ろに設けられる衝撃を緩和する装置で、車両相互の連結時や列車の発進(起動)、加速、減速、停止などの際に生じる、ショック(正負の加速度)を吸収して、衝撃による破損や不具合を防ぎ、乗り心地を良好に保つための装置で連結器の間に設置されています。

20系寝台列車は、前位(下関方)側に油圧式、後位(東京方)側にゴム式の緩衝装置を設けることで衝撃を吸収出来る設計を採用しており、乗り心地は良かったと言われています。

それ以外の電車などでは、バネによる方式が開発されて使われて行ったようです

なお、参考に参照させていただいた写真等は、「日本製鋼所技報 No.66(2015.10)鉄道製品の歩みと将来展望」から引用させていただきました。
自動連結器の後ろにゴムなどによる緩衝装置を使っていましたが、昭和30年代には渦巻ばねを使った緩衝器も開発されたそうです。
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その後、昭和40年には、鉄道の輸送力増強に伴う編成成の長大化ならびに高速化が図られたことから、従来の渦巻きばね緩衝器では容量不足、更にはメンテナンス性の改善が考慮され始めたため、新しい国産形のゴム緩衝器が開発され。1965(昭和40)年に角型ゴムブロックによるゴム緩衝器が開発されたそうです。
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この緩衝器が、国鉄に採用されたことで、電車、機関車、気動車や貨車用と幅広く使用されたそうです。
それが、下図のシングル型緩衝器とよばれるもので、ゴム自体に圧力5t程度を加えた状態で押さえつけらた状
態になっています。
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ただし、この方式は、前後衝動をほとんど吸収・緩和できないため、乗り心地と言う面では大きく問題が残ることになりました。
20系ではその辺を配慮して油圧・ゴムと交互に緩衝器を並べることでその辺の問題を解決していたのですが、14系寝台車や24系寝台車では結果的には乗り心地が悪くなるという悪影響を与えることとなりました。
そこで、昭和55年には改良型の緩衝器が開発されました。
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(RD011形緩衝器)と呼ばれるタイプであり、従来の14系寝台や24系寝台のシングル形はこのタイプに改造されることになりました。
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構造的には、シングル形が常に一定の圧力(負圧)をかけられていたのに対して、ダブル形は両方から挟む形となっており負圧が0となっています、これにより引き出し方に問題があってもその差を吸収することが出来るようになりました。
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下記の図のように、合成された力により、前後衝動を吸収・緩和出来るようになったと言われています。

図表等は、日本製鋼所技報 No.66(2015.10)鉄道製品の歩みと将来展望のPDFから引用させていただきました。






by blackcat_kat | 2017-02-01 00:06 | 客車
2017年 01月 10日

20系客車 ブレーキのお話

20系客車誕生

20系寝台列車は皆さんよくご存じだと思います。
昭和33年、「特急あさかぜ」としてデビューしたわけですが、この車両はそれまでの客車と大きく異なっていたのは、全車冷暖房装備の客車だったということです。
そのために、専用の電源車(マニ20)も用意され、専用電源車で発生した電力でオール電化された食堂車や冷暖房を行えるようになっていました。

ほんの3年程前までは冷房装置は1等寝台車と洋食堂車だけしかついていなかっただけに、大幅なサービス改善であったと言えましょう。
同時期に走っていた特急つばめ・はとが展望車以外は非冷房であったのと比べれば3等車まで冷房装備の「あさかぜ」がいかにあこがれを持ってみられていたかは容易に想像できそうです。
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さて、今回は20系客車のうち概略だけですがブレーキのお話をさせていただこうと思います。
客車としては、在来型の客車とは一線を引いていましたが、電化区間も東京~姫路まででありそれ以西は蒸気機関車牽引と言ううこともあり、ブレーキに関しては従来の客車と同じ方式が採用されました。
いわゆる自動ブレーキと呼ばれるもので、AS弁方式と呼ばれるもので、機関車側でブレーキ操作すると順次後方の客車にもブレーキがかかっていく方式であり、ブレーキの応答性は良いとは言えませんでした。
そのため最高速度も95km/hに制限されていました。
ただ、逆に在来型の客車とブレーキ方式が同じであったことから、昭和36年12月29日「特急さくら」に「準急あきよし」が追突、後部を大きく破損するなどした際には、10系客車を機関車の間につなぐことで混結運転が出来たという事実もあります。
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自動ブレーキ構成図 wikipediから引用

自動ブレーキの特徴は、構造が比較的簡単ですが、応答性が悪いという問題がありました。
それを改良したのが電磁弁を使った、電磁直通ブレーキと呼ばれるものが誕生しました。
20系客車も、元々は自動ブレーキであるASブレーキと呼ばれる従来のブレーキ方式でしたが、昭和43年10月のダイヤ改正に向けて速度向上の準備が昭和40年頃から進められていきました。

電磁弁により車両応答性を向上

さて、そんな20系客車ですが、電化の進展に伴うサービスの向上として昭和40年10月のダイヤ改正で製造された20系客車89両は、中継弁 (Relay valve)・電磁給排弁 (Electro-pneumatic valve)・ブレーキ率速度制御機能を付与した、「AREB増圧装置付き電磁自動空気ブレーキ」仕様で製造されました。
EF65-500番台(P型)が運用を開始したのも昭和41年からですので、新製された20系客車から110km/h運転がなされたのではないかと思慮しております。

その後、昭和43年の10月のダイヤ改正までに従来車も改造されて、20系客車の最高速度は110km/hとなりました。
これにより、機関車にも、下記のような特別な装備が必要となり、EF65(P)形には下記のような装備が付加された。
  • 編成増圧ブレーキ装置
  • 電磁指令ブレーキ回路
  • 元空気溜管 (MRP) 引き通し

なお、ブルートレイン増発が行われた際、東京発着がEF65で、関西発着のブルトレに関してはEF58がカムバックすることとなりましたが、関西ブルトレの場合最高速度を95km/hに抑えても十分ダイヤが組めたことも理由だと言われています。

それ故に、昭和50年頃でも特急あかつき・彗星などはEF58で牽引されていました。

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塚本駅にて撮影 EF58牽引の特急「彗星」







by blackcat_kat | 2017-01-10 18:36 | 客車