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カテゴリ:電車( 8 )


2019年 03月 23日

これからの車両を考える 電車編 【交通技術の記事から】第2話

本日も、国鉄時代に計画された将来の鉄道車両ということで、皆様にご覧いただこうと思います。
今回は、急行電車・近郊形電車に関するお話しとなります。
こうした計画がなされた後、国鉄の財政悪化に対して、より一層の緊縮財政を要請された国鉄は、当時余剰となっていた583系寝台車の近郊型改造など、当初の予定とは大きく異なる、様相を呈するのですが、それは、もう少し後の話です。

2) 急行形電車
国鉄本社の考え方はシンプルで、急行形・・・もう作りません、将来的に廃止する方向ですと明言しています。
昭和47年頃から特急の大衆化は一段と進み、それまでのLimited.exp.【特別な急行】という位置づけから、段々外れていきました。こうした背景には、国鉄自体の増収への意味合い【特に昭和50年以降は特急化が顕著に】が有ったと思いますし、実際に国民の可処分所得も増加して、より快適な特急で移動しようという特急選択思考が磁えてきたこともその背景に有るかと思われます。
実際、新幹線博多開業で誕生したキハ66・67は、車種としては近郊形の位置づけでしたが、ドア間転換クロスシートで、塗装も当時の標準急行色で登場しており、優等列車【急行】の活躍を求めていたと思われ、急行列車に関しては転換クロス形を思考していくと考えられていたと思われます。
実際、185系電車は当初は、急行伊豆に使用されていた、急行形の153系を置換える目的で計画され増したが、運転局【営業サイド】の要望から特急化されることとなった事はよくご存じかと思います。
急行形電車としては、今後需要がなくなり、特急化あるいは快速化としての近郊形電車へとなる。
3) 近郊形電車
近郊形電車に関しては、ほぼこの予測通りで、113系と115系を一本化した・・・211系が誕生し、東海道本線と高崎・東北線が221系に投入されました。
界磁チョッパや201系のサイリスタチョッパ制御ではなく、国鉄と東洋電機製造により共同開発した添加励磁制御による電車が開発されたのはご存じのとおりです。
従来の抵抗制御社と同じ回路構成ですが、界磁チョッパ制御と同様回生制動を使えるということで、次世代近郊形車両(国鉄211系電車)向けとして開発されたようですが、製造のタイミングで通勤型電車の205系で最初に実用化されました。
私鉄等の競合線区などのため、117系電車があるが、アコモとしてはこのタイプのものも残る・・・と書かれていますが、実際に投入されたのは関西以外では、名古屋地区【須田氏が名鉄の管理局長時代に導入】した以外は他の路線にまで広がりませんでした。
なお、比較的輸送が独立していた九州では交流専用電車が試作車として713系が誕生、その後は財政悪化もあって、既存車両の改造から、717系近郊形が製造されたほか、583系改造の715系なども誕生した。
国鉄の赤字問題がここまで深刻になっていなければ713系が増備されていた可能性もあり、引用にあるように1M2Tのスタイルで活躍していたかも知れないですね。
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まず直流用であるが、直流の近郊形電車も初期のものがすでに老朽化しており、この取替用と省力化、省エネルギー化を図った新形式車が考えられる。この電車としては、省力化としてステンレス車体の無塗装化や、省エネルギー化としての回生プレーキ、ただし停止プレーキのチャンスは通勤形より少ないため、安価な界磁制御(界磁チョッパ)を採用したものとなろう。また、回生の抑速ブレーキを採用し、現在の113系と115系の一本化したものが考えられる。乗り心地向上のため、台車としては空気ばねを使用したものとなろう。一方、私鉄等の競合線区などのため、117系電車があるが、アコモとしてはこのタイプのものも残るが、これについても、省力化・省エネルギー化の施策が盛り込まれることとなろう。
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451系改造の717系電車

 交流用としては、現在711系電車があるが、今後は、九州島内や仙台地区など、交流専用の近郊形電車が考えられる。この電車としては、直流同様、省力化施策が採られると同時に、交流回生ブレーキの採用やパワーアップと性能向上により、25‰区間までは1M2T編成程度としたものが考えられる。
 交直流電車としては、電気システムは現状であろうが省力化のための各種施策が盛り込まれた新形電車となろう。
4)通勤形電車 
通勤形電車につきましては201系の増備が続くと予測されていますが、コストダウンを図ってもなお、パワーエレクトロニクスの価格が高いこともあり、国鉄としては前述のとおり添加励磁制御を開発し、回生ブレーキを実現して、省エネ化を図ると言うことで、205系が誕生しました。
205系以降は、VVVFに移行し、面倒なブラシの保守から解放されました。
ただ、車体に関してはここでの予測のとおりステンレスもしくはアルミの車両が誕生して軽量化されたボルスタレス台車と愛まり、軽快感はありました。
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201系の後継として誕生した205系
 201系電車がここ当分の間。主として製作されることとなろう。ただし、車体のステンレス化やアルミ合金化など省力化や軽量化されたものとなろう。
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103系1000番台改造の105系

5)ローカル用電車
最後にローカル線電車ですが、105系に関しては、末期は国鉄で余剰になった103系を改造した105系が誕生したほか、飯田線では105系をベースとしたセミクロス式の車両が誕生した他、四国電化では101系や103系の廃車発生品等をを流用した車両で、コストダウンとメンテナンスフリー化を目指した車両と言えます、
2016年から機器の更新が行われ、VVVF化の上7200系に改番されており、最後の国鉄形として引き続き活躍しそうです。
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JR四国で活躍した121系電車
 地方ローカルの宇部・小野田線および福塩線用として105系電車が誕生したが、まだ、このような線区用としての需要が考えられる。この場合、地方の実情に応じた多少の変更が必要である。たとえば、勾配線区用の抑速ブレーキをもうたもの。あるいは客室般伽をセミクロスとしたもの、2ドアとしたもの、ステヅプ付としたもの等々があり、また、これらを適宜組み合わせたものが考えられる。そして、地方実情にマッチし、さらにコストパフォーマンスの高いことが必要である。
以後、デイーゼルカー編に続きます。

by blackcat_kat | 2019-03-23 14:40 | 電車
2019年 03月 01日

これからの車両を考える 電車編 【交通技術の記事から】

国鉄時代に計画された気動車の開発等
昭和56年の国鉄部内誌、交通技術で、続・これからの車両を考えると言う記事が出ていました。
電車編・気動車編と書かれているのですが、今回は電車を取り上げてみたいと思います。

今後考えられる在来線電車の姿

これからの在来線用電車
他の交通機関が発達している中では、接客設備の改善は、今後の電車として不可欠の最重点施策の一つであるとして、冷暖房設備の完備はもとより、冷し過ぎ、熱過ぎなどについても、十分きめ細かな配慮、が必要であるとしています。
また、以下のように幾つか箇条書きにして書かれています。
  1. 腰掛け改善あるいは天井・床などの室内配色なども常に時代にマッチしたものとする必要がある
  2. 乗り心地の改善として、近郊・通勤形などへも空気ばねの採用を行う必要がある
  3. 振子電車を基本に、都市間輸送の時間短縮を行う必要がある
  4. 最高速度についても、現状ではプレーキ距離の制限など制約事項が多いが、140~150krn/hを目標とした技術開発を行う必要がある
  5. 省エネルギー化として、直流・交流との回生プレーキの幅広い使用
  6. 車両軽量化について、車体の軽合金または軽量ステンレスの採用
  7. 電気品等の部品の軽量化
  8. 車体のステンレス化や経合金化は、腐食防止にもなり、寿命の延伸とともに、保守の省力化を図ることにもなる
  9. 個々の部品についても、保守の必要のないものや、保守回帰の長いものを採用(MGのブラシレス化や静止インバータ化など)
  10. MT比を小さくすること
といった内容が列記されていました。
これを受けて、下記のような車両が考えられるとしています。

あくまでも、国鉄時代に想定された内容であり、その後のJR各社の動きと比較して貰えると面白いのではないでしょうか。

在来線特急電車【直流編】
直流電車に関しては、381系と185系の各々改良型がその中心になるんではないかと予測しているようです。
本文から引用してみたいと思います。

直流電化区間のうち、比較的距離が長く、曲線も多い場合が多く、曲線でのスピードアップを行う必要があり、381系あるいはその改良版となるであろう、としています。
また、伊豆方面や房総地区のような、比較的距離の短い特急では、185系を基礎とした特急車となると予測しています。
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381系振り子式特急電車
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近距離特急は185系に


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現在の特急電車としては、直流では183系、交直流では485系、交流では781系が主体であり、また、曲線区間の高速化のための381系電車がある。
今後、東北・上越新幹線が開業すると、必然的にこの流れが変わってくる。直流用としては、中央線や紀勢・伯備線などのように比較的距離が長く、曲線も多い場合が多く、曲線でのスピードアップを行う必要があり、381系あるいはその改良版となるであろう。また、今回185系電車が誕生したが、伊豆方面や房総地区のような、比較的距離の短い特急では、むしろ185系を基礎としたものの特急車となろう。
在来線特急電車【交直流編】
予測では、485系電車は田沢湖線などで使われるであろうが、将来的には交流専用電車が増えて、全体としては、交直流電車の増備は減るのではないかと書いています。
また、交流電車で381系の振り子タイプを開発することになるのではないかと書かれています。
なお、肝心の485系の代替になる交直流電車は、北陸本線や、常磐線で残ることになるので、こちらでは、最高速度140km/h、曲線通過速度が本則+25km/h程度で走行できる電車を開発する必要があるとして、車両軽量化と軸重・ぱね下荷重の低減、さらには信号体系の見直しなどを行うとしています。
再び引用したいと思います。
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485系特急電車
交流特急、は現在、北海道のみで運用されていて、東北新幹線が開業後は485系が余剰となり、田沢湖線や九州島内でも交直流が走ることとなるが、数年して初期の交直流特急車が老朽取換えとなるため、その後は交流専用の需要が多くなろう。また、使用線区からみて曲線・勾配等も多く、381の交流夕イプとしての。振子構造とする必要がある。一方、省エネルギー上から交流回生ブレーキの採用などが考えられる。特急車では駅間距離が長く停止ブレーキを便用する機会は少ないが、ポイント制限や曲線などによる制限のため減速するチャンスが多く、一例として、札幌~函館間の比較的線路条件のよいところでも。シミュレーション結果では。回生ブレーキ (抑速付)により約10%の電力節減が図られる(特に交流回生では、同一き電区間に力行する車両がなくとも、回生ブレーキが可能である)。
 交直流の特急車としては、使用線区として常磐線や北陸線などが考えられ、485系の後継の車両として、特に北陸線では距離も長く、新幹線がなく。高速化が望まれるところである。この場合、さらに最高速度を上げたものの開発が必要であると同時に、曲線速度の向上も必要で、目標としては最高速度140km/h、曲線通過速度が本則+25km/h程度が必要である。このためには。車両軽量化と軸重・ぱね下荷重の低減、さらには信号体系の見直しなど、今後解決すぺき問題が多い。一方、常磐線用などでは、近距離でかつ大量輸送の必要性があり、485系あるいは185系を基本としたものの省力化版となろう。
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781系電車【画像wikipedia】

以後、急行電車編、通勤・近郊電車編に続く


by blackcat_kat | 2019-03-01 22:44 | 電車
2019年 02月 06日

151系誕生で開発された技術 ディスクブレーキの話

新型特急電車誕生と技術開発
国鉄初の本格的特急電車は、151系ですが、151系を開発するために多くの技術開発が行われました、そこで、誕生までにに導入された技術を箇条書きで書いてみたいと思います。
以下のような新しい技術が開発されました。
  • ディスクブレーキ
  • 高速台車
  • 空気バネ
  • パンタグラフ
  • 冷房装置
高速電車のために開発が進められたディスクブレーキ

昭和33年2月号の、交通技術と言う資料によりますと、以下のように書かれています。
試験は昭和32年12月9日~14日に中央線で現車試験が行われたとされています。

試験に供されたのは、クハ76059で、中央線で行われたそうです。
上記写真のように、台車にディスクを取り付けていました。
当時の資料から引用してみたいと思います。
1.試験のための改造内容
クハ76059号をディスタブレーキ付に改造した。台車側の改造は、TR48台車をカット写真の如く、試験用のため1軸当りディスク並びにシリソダー各箇取付けたほか、第1及び第2軸には鋳鋼製ディスクを、第3及び第4軸鋳鉄製ディスクを取付け、その上第1及び第3軸に一体式プレーキライニングを第2及び第4軸に分割式のものを取付けた。車体側には試験でディスクプレーキのプレーキシリンダ圧力を調整するためのSC抑圧弁及び試験に必要な配管並びに測定用の圧力計などを取付けた
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試験は、試作台車を履いた、クハ76059+電動車の編成とした、A編成
同じく、クハ76059+電動車×2+制御車 の編成としたB編成が組まれ、以下の日程で試験が行われたとされています。

試験日程
昭和32年12月9日、10日・・・・A編成を使って、三鷹~浅川間で試験運転(予備試験)
     12月11日、12日・・・ B編成を使って、塩山~酒折塩聞で試験運転(高速試験)
     制動距離600m程度を狙って制動をかけディスクの種類などの違いによるライニソグの消耗状況等を調査
     12月13日、14日・・・ B編成を使って、初狩~塩山間試験運転(勾配線で連続ブレーキ)

試験の結果は、再び本文から抜粋して見ようと思います。
ディスク材料は、鋳鉄の方が鋳鋼よりも有利であり、ブレーキライニングの形状は一体式より、分割式の方が良いとして、新湘南電車(153系のこと)や特急電車の附随車として、試験程度のディスクを1輪に2筒使用すれば設計可能と云うことになるとしています。
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特急「こだま」に採用された、付随台車TR58形台車

ディスクが車軸の間に、設けられている。

動力台車にも、ディスクブレーキが採用されることに
昭和35年に大出力機関(DMF31HS系)を採用したキハ60が試作されました、この車両はエンジンの不具合などもあり量産されることはありませんでしたが、動力車にもディスクブレーキが試用されました。
キハ60は量産化はされなかったものの、キハ82を先頭車とする80系気動車では、この時開発されたディスクブレーキ方式が採用されたほか、155系(修学旅行用電車)のモハ車にも同様の構造のディスクブレーキが採用されました。
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車輪そのものをブレーキディスクとしたDT31A台車
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DT31A台車の外観

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国鉄があった時代 JNR-era
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by blackcat_kat | 2019-02-06 23:08 | 電車
2017年 09月 06日

昼間はのんびり日向ぼっこ、サヤ420

昭和39年新幹線が東京~大阪間に開業し、それまで東海道線の華であった151系電車は一斉に西下し、一部車両は上越線「とき」増発用に残された他は、西下して向日町運転所に配属になりました。
そのうち、特急つばめ(新大阪~博多)間で運転されることとなったのですが、151系は当然のことながら直流電車なので直接博多まで自力で走ることが出来ません。
そこで、下記の4案が考えられたそうです。

  1. 151系を現行交直流電車と同様な方式の交流直流両用電車に改造
  2. 交流区間での補機電源をサシ151形に搭載
  3. 交流区間での全編成分の補機電源容量を持つ電源車を新製
  4. 交流区間での全編成分の補機電源容量を持つ交直流電気機関車を新製

当初は、151系を交直流電車に改造する予定だったそうで、当時の国鉄部内誌(交通技術8月号)を参照しますと、151両のうち120両を使用し、31両でひとまず九州乗入させながら、順次改造していくと言った記事が出ています。
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実際に1案は手戻り工事が多くて、改造期間も長期(約8か月)を要することから現実的とは言えず、481系特急電車も製作されていたため、乗入期間は限定的になることから、151系の補機類への電源を確保することを主な目的とした電源車を投入することとなり、モハ420からモーターなど走行関係機器を設けず、平滑リアクトルや電動発電機(20KVA)のものを床上に装備したサヤ420と呼ばれる電源車を3両製作することとし、下関~門司間はEF30、門司~博多間はED73がけん引することになりました。
この時に改造された151系は6編成ですが、サヤ420の運用区間は、下関~門司間でしたので2編成仕様の1両予備として使われたようです。
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「つばめ」は20:24門司駅に到着 「はと」はが見えませんが,21:34 門司着です。
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「はと」は、明朝7:10 博多発、「つばめ」は8:45 博多発
時刻表では綴じ目付近なので読めませんが・・・。

列車は、朝・夕に偏っているため、昼間は2両並んで日向ぼっこしていたそうです。(^^♪

サヤ420の特徴
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鉄道ピクトリアル 19859月号から引用

サヤ420の使用は当初から1年程度と想定されていたため、内装を含めて殆ど近郊型電車として製作され、実際に座席まで設けられていました。
ただし、出入り口付近の通路を中心にMGや元空気だめ、平滑リアクトルが設置されていました。
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平滑リアクトル

交直流の切り替えは機関車からの指令で自動で行えるようになっていましたが、整備性を高めるため、単独で運転整備が出来るように車端に簡易操作盤が設けられていました。
下の写真が、簡易操作盤、運転は行わないのでマスコン等は当然のことながらありません。
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さらに、鉄道ピクトリアルの1985年9月号の401系421系特集で、サヤ420の機器配置図などが出ているのですが、床上にMG(MH97-DM61 20kVA)のMG、補機電源用平滑リアクトル(整流した交流をきれいな直流にするための装置)等も設けられていました。
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なお、この電源車から直接機関車並びに、151系電車と直接通話ができるように電話器が設けられていたそうで、このサヤ420にも乗務員が乗務するようになっていたと言われています。
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鉄道ピクトリアル 19859月号から引用
151系電車の改造。
151系電車に対しても最低限の改造が施され、スカートの左右共に大きく切り欠きが設けられ、向かって右側に制御用、左側には補助高圧用のジャンパ栓受けを付けるとともに、連結器カバーも外され自動連結器がむき出しとなり、さらに元空気だめ管及びブレーキ管の空気ホースが吊り下げられて、東海道本線を優雅に走っていた頃のイメージとは大きく異なる外観となってしまいました。
実際の電車側の電源は、サヤ420から +・- 2本の高圧ジャンパー線から供給されることで電車側のMGやCPを起動させており、直流区間では自力で走るため、マイナスをレールと接地できるように回路が工夫されていたそうです。
機関車の改造
機関車側はEF30は重連総括制御機能を元々持っていたため、サヤ420との運用ではジャンパ線の運用変更などで対応可能であったそうで最小限の改造で済みましたが、ED73は、元々非重連の貨物用機関車であったため、大幅な改造が必要になったそうで、151系電車への補助回路用引き通しとサヤ420形の非常パンタグラフ下げ回路を装備することとし、15~22の8両が専用機に指定されました、逆にEF30は量産機若番の2~8の7両が改造されました。
余談ですが、ED73はプレート周りを黄色で囲みアクセントになっていたそうです。

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画像はイメージです。
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九州鉄道記念館に保存されているED72 ED73は貨物専用機で中間車が無い分車長が短かったが基本的なイメージは72と同じでした。





by blackcat_kat | 2017-09-06 19:38 | 電車
2017年 05月 20日

ワンハンドルマスコンのお話 手前?それとも押し込むの?

久々に投稿させていただこうと思います。
電車では最近、ワンハンドルマスコンも増えています。
画像は阪急の9300系ですが、このワンハンドルマスコンを本格的に採用したのは1969年に誕生した東急8000系電車が最初と言えそうです。
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撮影 blackcat

このワンハンドル式の歴史は古く、1930年代には既に開発され、遅くとも1940年後半までにはニューヨーク、シカゴ、ボストン市などの地下鉄および高架鉄道等で、ワンハンドルが採用(現在の横型とは異なり縦形だったそうです。

ワンハンドル式は日本だけでなく国外でも採用されているのですが、ヨーロッパやアメリカではその操作方法に相違があるそうです。

それは、ブレーキをかけるときに馬の手綱を引く要領で手前に引くのか、それとも現在日本で採用されているように、前のめりに押すのかということです。
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画像 Wikipwdia

日本でも東急が8000系に採用する際にはその辺で賛否両論あったそうで、当時の運輸省の見解としてはどちらでもよいが一度決たらめ安全面の問題であるから変えてはならないと言われたそうで、最終的には手前で力行(加速)押すと減速(最大まで押し込むと非常ブレーキ)がかかる仕組みに決定されました。
これはワンハンドル式に限らず、横軸式の制御装置では統一された方式となっています。
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画像 Wikipwdia

なお、ワンハンドル式ではありませんが、横軸式としては昭和41年に試作されたキハ90が最初であり、右側がブレーキ、左側がマスコンとなっており、当時は国鉄の研究所の一つであった鉄道労働科学研究所にて研究が進められており、人間工学的観点から失神した場合などは前のめりになることからブレーキレバーを前に倒すようにしておくことが提言されたようで、キハ91、キハ181、その後試作されたクモハ591も同様の運転台でした、量産型の381系では従来の方式に変更になりましたが。)
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逆に、馬車鉄道から発展したヨーロッパ等の鉄道では、ワンハンドル式のマスコンは手前に引いてブレーキ、押して加速が一般的であり日本と全く異なっています。

近年はJRで廃車になった車両が発展途上国等に譲渡される場合が多いのですが、ここで電車の制御方式が異なる。(真逆)ということで、戸惑が有ったようです。
ただ、譲渡先のインドネシアでも日本式の方が理にかなっていると言われているそうです。


by blackcat_kat | 2017-05-20 11:19 | 電車
2017年 04月 05日

国鉄時代に開発された新幹線自動分割・併合システム

みなさんこんばんは、久しぶりに投稿させていただこうと思います。
山形新幹線「つばさ」や秋田新幹線「こまち」を連結するためにE5系とE6系が連結して運転されることは当たり前の風景になりましたが、この技術は国鉄時代に開発されたもので、昭和60年から研究されていたようです。
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東京駅にて

元々、この技術は山陽新幹線の段落ち輸送に対応するためのもので16両で運転しても博多まで同じ編成では輸送力過剰になってしまいます。
そうかといって、本数で調整するとレダイヤに柔軟性が取れなくなるため、8+8で東京を出発し、新大阪等で分割することを前提で考えられたのがこのシステムです。

下図を見ていた概要を当時に鉄総ジャーナルの記事を参照しながら簡単に記してみますと。
1)列車の連結は一旦停止を行わず連結させることとすると書かれていますが、これは走行中に連結するわけではありません、連結までに何度も停止と進行を繰り返す在来線のような方式ではなく、機械ということです。
2)停車中の車両に後方から連結する速度は1㎞/h以下とする。
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鉄道技術 昭和60年7月号から引用
3)分割併合で電気連結器も含む連結器と光前頭カバーの自動開閉装置の開発(実際には連結器部分だけの開閉装置となりました、)
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鉄道ジャーナル RAILWAY TOPICSの記事から引用

4)それと関連してATCの改修(駅への進入などでかなり長い距離から減速を伴っていたのでこれを少しでも解消するようにパターンを改修する、)
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鉄道技術 昭和61年7月号から引用

と言った点も同時に開発されることとなりました。

この開発は昭和62年の分割民営化までに間に合わせることが出来て、実際にJR西でも2編成を連結して多客時などに走ったそうですが、途中駅での分割・併合は無かったようにきおくしています。

これは、JR東海が定員の異なる車両を導入することを嫌ったことも原因ではないかと思っています。
結局この自動連結装置の技術は、JR東日本が自社の新幹線での分割併合のシステムの中に取り込んで現在に至っています。
当時の鉄道御ピクトリアルの資料などを見ると、0系で貫通ドアを新たに設置させたり、ユニークなアイデァが書かれています。

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鉄道ジャーナル RAILWAY TOPICSの記事から引用

鉄道・飛行機歴史




by blackcat_kat | 2017-04-05 21:49 | 電車
2016年 06月 26日

旧型国電と冷房

今でこそ、冷房は当たり前になってむしろ窓が開く鉄道車両のほうが珍しくなってしまいました。
窓を固定式にするというのは、鉄道事業者にとってもメリットが実は大きいんですね。
窓が開くということは、底から乗客が手や顔を出すリスクがあります。
下降式窓なら手や顔を出すことは考えにくいですが、上昇式窓などでは手や顔を出してなんていうことはよくありました。

国鉄の場合特急は157系以外は製造当初から、157系は元々準急用としてデビューしたので冷房改造が行われたのは、昭和38年から、寝台車などは昭和40年代から現在のB寝台が冷房化が始まり急行列車もその前後から冷房改造が始まりました。

通勤電車に至っては昭和45年頃に冷房の試作改造などが行われたころからであり、旧型国電と呼ばれる、73形通勤電車や70系・80系と通称される電車にあっても冷房化はなされることはありませんでした。

個人的には300番台はデザイン的にもその後誕生する113系などと比べても見劣りしなかったので冷房化改造や新性能化改造して欲しかったなぁと個人的に思っているのですが、実は80系電車1両だけ冷房化された車両がありました。

これは、151系を設計する際に実際にユニットクーラーを取り付けてみることで夏場の空調の問題点を探ろうとしたもので、1957年8月にサロ85020に大井工場で改造工事が施され、屋根上に分散式冷房装置4基、床下にMGを搭載する改造工事が施工されたそうです。
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これが旧型国電では唯一の冷房改造車だと記憶しています。

なお、この話には後日談があるようで、試験終了後はクーラーは取り外されたそうで、当時の国鉄における考え方がよくわかるというものです。

昭和30年代というのは1等車・・・冷房付き、2等以下。基本は冷房なし、食堂車・・・冷房付き(黄害対策)のためであり、それでもすべての食堂車が冷房化されていたわけではなく、半室食堂車(オハシ30)などは最後まで冷房化されることはなかったですね。

歴史にIFはないですが、せめて模型の世界だけでも80系電車300番台に冷房装置を付けたりして遊んでみたいものですね。

鉄道・飛行機

歴史

by blackcat_kat | 2016-06-26 13:05 | 電車
2016年 06月 21日

幻に終わった151系電車、宮原配置計画 昭和36年10月鉄道ピクトリアルの記事から


昭和36年の改正「通称、サンロクトウ」と呼ばれた改正で、全国に特急網が誕生した画期的なダイヤ改正でもありました。
特急「白鳥」や「まつかぜ」「かもめ」といった気動車特急が誕生したのもこの改正でした。
特に前年の「はつかり」の失敗から80系気動車にあっては約1か月実際のダイヤで試運転が行われたといいます。
流石に往復1000kmを越える距離を走ってくると所々エンジンは不具合を出して停止してお、ガスケット割れによるオイル漏れ等を起こしたりということが多発したそうで連日その修理に追われたと言われています。

さて、そんな中で興味を持ったのは宮原区に151系を配置すると言う記事でした。
既にご存知の方も多いかと思いますが、特急こだまを含む151系はすべて東京田町に配置してあったことから何らかの理由で大阪まで151系電車が到着できなかった場合は宮原区の153系が臨時特急として向かうこととなり、国鉄としては100円引き(現在の価格であれば1000円程度)割引で対応したと記録されていますが、旅客サービス上、好ましいことではないことはもちろんです。

かなりの頻度であったようで、当初は153系の種別表示板は巻取り式ではなくアクリルの板をはめ込む方式だったそうですが、「特急」という表示も用意されていたそうですからかなりの頻度で走ったのではないでしょうか。
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この記事を見ますと、サービスアップのため本年度中(昭和36年度)にもう11両を作成して、これを大阪に配置するというものでした。

余談ですが、昭和39年に静岡で発生したクロ151とダンプカーの衝突事故ではその煽りを受けて、大阪〜宇野間の区間運転の列車として80系旧型国電が7両編成で急きょ運転されたと記録されています。


80系電車による代用運転

資料画像は、Wikipedai参照

歴史にIFはないですが、仮にここで書かれているように、大阪に予備車配置が行われていたら、上記のような措置は無かったかもしれませんね。

by blackcat_kat | 2016-06-21 21:08 | 電車