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2019年 03月 23日

これからの車両を考える 電車編 【交通技術の記事から】第2話

本日も、国鉄時代に計画された将来の鉄道車両ということで、皆様にご覧いただこうと思います。
今回は、急行電車・近郊形電車に関するお話しとなります。
こうした計画がなされた後、国鉄の財政悪化に対して、より一層の緊縮財政を要請された国鉄は、当時余剰となっていた583系寝台車の近郊型改造など、当初の予定とは大きく異なる、様相を呈するのですが、それは、もう少し後の話です。

2) 急行形電車
国鉄本社の考え方はシンプルで、急行形・・・もう作りません、将来的に廃止する方向ですと明言しています。
昭和47年頃から特急の大衆化は一段と進み、それまでのLimited.exp.【特別な急行】という位置づけから、段々外れていきました。こうした背景には、国鉄自体の増収への意味合い【特に昭和50年以降は特急化が顕著に】が有ったと思いますし、実際に国民の可処分所得も増加して、より快適な特急で移動しようという特急選択思考が磁えてきたこともその背景に有るかと思われます。
実際、新幹線博多開業で誕生したキハ66・67は、車種としては近郊形の位置づけでしたが、ドア間転換クロスシートで、塗装も当時の標準急行色で登場しており、優等列車【急行】の活躍を求めていたと思われ、急行列車に関しては転換クロス形を思考していくと考えられていたと思われます。
実際、185系電車は当初は、急行伊豆に使用されていた、急行形の153系を置換える目的で計画され増したが、運転局【営業サイド】の要望から特急化されることとなった事はよくご存じかと思います。
急行形電車としては、今後需要がなくなり、特急化あるいは快速化としての近郊形電車へとなる。
3) 近郊形電車
近郊形電車に関しては、ほぼこの予測通りで、113系と115系を一本化した・・・211系が誕生し、東海道本線と高崎・東北線が221系に投入されました。
界磁チョッパや201系のサイリスタチョッパ制御ではなく、国鉄と東洋電機製造により共同開発した添加励磁制御による電車が開発されたのはご存じのとおりです。
従来の抵抗制御社と同じ回路構成ですが、界磁チョッパ制御と同様回生制動を使えるということで、次世代近郊形車両(国鉄211系電車)向けとして開発されたようですが、製造のタイミングで通勤型電車の205系で最初に実用化されました。
私鉄等の競合線区などのため、117系電車があるが、アコモとしてはこのタイプのものも残る・・・と書かれていますが、実際に投入されたのは関西以外では、名古屋地区【須田氏が名鉄の管理局長時代に導入】した以外は他の路線にまで広がりませんでした。
なお、比較的輸送が独立していた九州では交流専用電車が試作車として713系が誕生、その後は財政悪化もあって、既存車両の改造から、717系近郊形が製造されたほか、583系改造の715系なども誕生した。
国鉄の赤字問題がここまで深刻になっていなければ713系が増備されていた可能性もあり、引用にあるように1M2Tのスタイルで活躍していたかも知れないですね。
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まず直流用であるが、直流の近郊形電車も初期のものがすでに老朽化しており、この取替用と省力化、省エネルギー化を図った新形式車が考えられる。この電車としては、省力化としてステンレス車体の無塗装化や、省エネルギー化としての回生プレーキ、ただし停止プレーキのチャンスは通勤形より少ないため、安価な界磁制御(界磁チョッパ)を採用したものとなろう。また、回生の抑速ブレーキを採用し、現在の113系と115系の一本化したものが考えられる。乗り心地向上のため、台車としては空気ばねを使用したものとなろう。一方、私鉄等の競合線区などのため、117系電車があるが、アコモとしてはこのタイプのものも残るが、これについても、省力化・省エネルギー化の施策が盛り込まれることとなろう。
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451系改造の717系電車

 交流用としては、現在711系電車があるが、今後は、九州島内や仙台地区など、交流専用の近郊形電車が考えられる。この電車としては、直流同様、省力化施策が採られると同時に、交流回生ブレーキの採用やパワーアップと性能向上により、25‰区間までは1M2T編成程度としたものが考えられる。
 交直流電車としては、電気システムは現状であろうが省力化のための各種施策が盛り込まれた新形電車となろう。
4)通勤形電車 
通勤形電車につきましては201系の増備が続くと予測されていますが、コストダウンを図ってもなお、パワーエレクトロニクスの価格が高いこともあり、国鉄としては前述のとおり添加励磁制御を開発し、回生ブレーキを実現して、省エネ化を図ると言うことで、205系が誕生しました。
205系以降は、VVVFに移行し、面倒なブラシの保守から解放されました。
ただ、車体に関してはここでの予測のとおりステンレスもしくはアルミの車両が誕生して軽量化されたボルスタレス台車と愛まり、軽快感はありました。
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201系の後継として誕生した205系
 201系電車がここ当分の間。主として製作されることとなろう。ただし、車体のステンレス化やアルミ合金化など省力化や軽量化されたものとなろう。
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103系1000番台改造の105系

5)ローカル用電車
最後にローカル線電車ですが、105系に関しては、末期は国鉄で余剰になった103系を改造した105系が誕生したほか、飯田線では105系をベースとしたセミクロス式の車両が誕生した他、四国電化では101系や103系の廃車発生品等をを流用した車両で、コストダウンとメンテナンスフリー化を目指した車両と言えます、
2016年から機器の更新が行われ、VVVF化の上7200系に改番されており、最後の国鉄形として引き続き活躍しそうです。
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JR四国で活躍した121系電車
 地方ローカルの宇部・小野田線および福塩線用として105系電車が誕生したが、まだ、このような線区用としての需要が考えられる。この場合、地方の実情に応じた多少の変更が必要である。たとえば、勾配線区用の抑速ブレーキをもうたもの。あるいは客室般伽をセミクロスとしたもの、2ドアとしたもの、ステヅプ付としたもの等々があり、また、これらを適宜組み合わせたものが考えられる。そして、地方実情にマッチし、さらにコストパフォーマンスの高いことが必要である。
以後、デイーゼルカー編に続きます。

# by blackcat_kat | 2019-03-23 14:40 | 電車
2019年 03月 01日

これからの車両を考える 電車編 【交通技術の記事から】

国鉄時代に計画された気動車の開発等
昭和56年の国鉄部内誌、交通技術で、続・これからの車両を考えると言う記事が出ていました。
電車編・気動車編と書かれているのですが、今回は電車を取り上げてみたいと思います。

今後考えられる在来線電車の姿

これからの在来線用電車
他の交通機関が発達している中では、接客設備の改善は、今後の電車として不可欠の最重点施策の一つであるとして、冷暖房設備の完備はもとより、冷し過ぎ、熱過ぎなどについても、十分きめ細かな配慮、が必要であるとしています。
また、以下のように幾つか箇条書きにして書かれています。
  1. 腰掛け改善あるいは天井・床などの室内配色なども常に時代にマッチしたものとする必要がある
  2. 乗り心地の改善として、近郊・通勤形などへも空気ばねの採用を行う必要がある
  3. 振子電車を基本に、都市間輸送の時間短縮を行う必要がある
  4. 最高速度についても、現状ではプレーキ距離の制限など制約事項が多いが、140~150krn/hを目標とした技術開発を行う必要がある
  5. 省エネルギー化として、直流・交流との回生プレーキの幅広い使用
  6. 車両軽量化について、車体の軽合金または軽量ステンレスの採用
  7. 電気品等の部品の軽量化
  8. 車体のステンレス化や経合金化は、腐食防止にもなり、寿命の延伸とともに、保守の省力化を図ることにもなる
  9. 個々の部品についても、保守の必要のないものや、保守回帰の長いものを採用(MGのブラシレス化や静止インバータ化など)
  10. MT比を小さくすること
といった内容が列記されていました。
これを受けて、下記のような車両が考えられるとしています。

あくまでも、国鉄時代に想定された内容であり、その後のJR各社の動きと比較して貰えると面白いのではないでしょうか。

在来線特急電車【直流編】
直流電車に関しては、381系と185系の各々改良型がその中心になるんではないかと予測しているようです。
本文から引用してみたいと思います。

直流電化区間のうち、比較的距離が長く、曲線も多い場合が多く、曲線でのスピードアップを行う必要があり、381系あるいはその改良版となるであろう、としています。
また、伊豆方面や房総地区のような、比較的距離の短い特急では、185系を基礎とした特急車となると予測しています。
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381系振り子式特急電車
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近距離特急は185系に


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現在の特急電車としては、直流では183系、交直流では485系、交流では781系が主体であり、また、曲線区間の高速化のための381系電車がある。
今後、東北・上越新幹線が開業すると、必然的にこの流れが変わってくる。直流用としては、中央線や紀勢・伯備線などのように比較的距離が長く、曲線も多い場合が多く、曲線でのスピードアップを行う必要があり、381系あるいはその改良版となるであろう。また、今回185系電車が誕生したが、伊豆方面や房総地区のような、比較的距離の短い特急では、むしろ185系を基礎としたものの特急車となろう。
在来線特急電車【交直流編】
予測では、485系電車は田沢湖線などで使われるであろうが、将来的には交流専用電車が増えて、全体としては、交直流電車の増備は減るのではないかと書いています。
また、交流電車で381系の振り子タイプを開発することになるのではないかと書かれています。
なお、肝心の485系の代替になる交直流電車は、北陸本線や、常磐線で残ることになるので、こちらでは、最高速度140km/h、曲線通過速度が本則+25km/h程度で走行できる電車を開発する必要があるとして、車両軽量化と軸重・ぱね下荷重の低減、さらには信号体系の見直しなどを行うとしています。
再び引用したいと思います。
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485系特急電車
交流特急、は現在、北海道のみで運用されていて、東北新幹線が開業後は485系が余剰となり、田沢湖線や九州島内でも交直流が走ることとなるが、数年して初期の交直流特急車が老朽取換えとなるため、その後は交流専用の需要が多くなろう。また、使用線区からみて曲線・勾配等も多く、381の交流夕イプとしての。振子構造とする必要がある。一方、省エネルギー上から交流回生ブレーキの採用などが考えられる。特急車では駅間距離が長く停止ブレーキを便用する機会は少ないが、ポイント制限や曲線などによる制限のため減速するチャンスが多く、一例として、札幌~函館間の比較的線路条件のよいところでも。シミュレーション結果では。回生ブレーキ (抑速付)により約10%の電力節減が図られる(特に交流回生では、同一き電区間に力行する車両がなくとも、回生ブレーキが可能である)。
 交直流の特急車としては、使用線区として常磐線や北陸線などが考えられ、485系の後継の車両として、特に北陸線では距離も長く、新幹線がなく。高速化が望まれるところである。この場合、さらに最高速度を上げたものの開発が必要であると同時に、曲線速度の向上も必要で、目標としては最高速度140km/h、曲線通過速度が本則+25km/h程度が必要である。このためには。車両軽量化と軸重・ぱね下荷重の低減、さらには信号体系の見直しなど、今後解決すぺき問題が多い。一方、常磐線用などでは、近距離でかつ大量輸送の必要性があり、485系あるいは185系を基本としたものの省力化版となろう。
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781系電車【画像wikipedia】

以後、急行電車編、通勤・近郊電車編に続く


# by blackcat_kat | 2019-03-01 22:44 | 電車
2019年 02月 06日

151系誕生で開発された技術 ディスクブレーキの話

新型特急電車誕生と技術開発
国鉄初の本格的特急電車は、151系ですが、151系を開発するために多くの技術開発が行われました、そこで、誕生までにに導入された技術を箇条書きで書いてみたいと思います。
以下のような新しい技術が開発されました。
  • ディスクブレーキ
  • 高速台車
  • 空気バネ
  • パンタグラフ
  • 冷房装置
高速電車のために開発が進められたディスクブレーキ

昭和33年2月号の、交通技術と言う資料によりますと、以下のように書かれています。
試験は昭和32年12月9日~14日に中央線で現車試験が行われたとされています。

試験に供されたのは、クハ76059で、中央線で行われたそうです。
上記写真のように、台車にディスクを取り付けていました。
当時の資料から引用してみたいと思います。
1.試験のための改造内容
クハ76059号をディスタブレーキ付に改造した。台車側の改造は、TR48台車をカット写真の如く、試験用のため1軸当りディスク並びにシリソダー各箇取付けたほか、第1及び第2軸には鋳鋼製ディスクを、第3及び第4軸鋳鉄製ディスクを取付け、その上第1及び第3軸に一体式プレーキライニングを第2及び第4軸に分割式のものを取付けた。車体側には試験でディスクプレーキのプレーキシリンダ圧力を調整するためのSC抑圧弁及び試験に必要な配管並びに測定用の圧力計などを取付けた
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試験は、試作台車を履いた、クハ76059+電動車の編成とした、A編成
同じく、クハ76059+電動車×2+制御車 の編成としたB編成が組まれ、以下の日程で試験が行われたとされています。

試験日程
昭和32年12月9日、10日・・・・A編成を使って、三鷹~浅川間で試験運転(予備試験)
     12月11日、12日・・・ B編成を使って、塩山~酒折塩聞で試験運転(高速試験)
     制動距離600m程度を狙って制動をかけディスクの種類などの違いによるライニソグの消耗状況等を調査
     12月13日、14日・・・ B編成を使って、初狩~塩山間試験運転(勾配線で連続ブレーキ)

試験の結果は、再び本文から抜粋して見ようと思います。
ディスク材料は、鋳鉄の方が鋳鋼よりも有利であり、ブレーキライニングの形状は一体式より、分割式の方が良いとして、新湘南電車(153系のこと)や特急電車の附随車として、試験程度のディスクを1輪に2筒使用すれば設計可能と云うことになるとしています。
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特急「こだま」に採用された、付随台車TR58形台車

ディスクが車軸の間に、設けられている。

動力台車にも、ディスクブレーキが採用されることに
昭和35年に大出力機関(DMF31HS系)を採用したキハ60が試作されました、この車両はエンジンの不具合などもあり量産されることはありませんでしたが、動力車にもディスクブレーキが試用されました。
キハ60は量産化はされなかったものの、キハ82を先頭車とする80系気動車では、この時開発されたディスクブレーキ方式が採用されたほか、155系(修学旅行用電車)のモハ車にも同様の構造のディスクブレーキが採用されました。
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車輪そのものをブレーキディスクとしたDT31A台車
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DT31A台車の外観

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# by blackcat_kat | 2019-02-06 23:08 | 電車
2018年 12月 29日

スラブ軌道の話

かつて、大阪に本社を置く軌道保守会社のホームページ製作のお手伝いをしたことが有り、【主に企画段階でのレイアウト及び調整事務等】その際少し軌道のことを勉強させていただきました。【現在その会社のホームページはリニューアルされていますので、見ることが出来ませんが、社長を擬人化したアニメーションGIFをトップページに持ってくるなど、堅いイメージを払拭するものでしたので、ご覧になった方も居られるかもしれませんね】

さて、余談はさておき、今回は軌道のお話のうち、「スラブ軌道」について簡単にお話をさせていただこうと思います。

スラブ軌道の開発が始まったのは、昭和40年だそうで、昭和42年12月には、東海道新幹線 名古屋、岐阜羽島両駅構内に試験敷設されたと記録されています。その後、北陸本線の浦本トンネル【浦本駅~能生駅間】他4カ所に敷設されたと書かれています。

以上 交通技術 昭和46年8月参照

スラブ軌道の特徴は、

  1. 道床作業が不要となり、大幅な省力化が可能
  2. 仕上り精度が良いので,乗り心地が良く、安全度が高い
  3. 修繕資が減少する。と同時に、高速化に対する追加投資は必要としない
  4. 土木桝造物の建設費の節減が期待でぎる
とされています。

実際には、高架軌道上にコンクリートで固定された軌道を据え付ける構造のため、騒音は大きくなる傾向になります。
最近は、ラダー軌道等と呼ばれる騒音に配慮した軌道が開発されています。
スラブ軌道の構造は?
さて、スラブ軌道の構造について少し見ていきたいと思います。
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路盤コンクリートの上に、軌道スラブと呼ばれる、ブロックを載せる方式で、路盤コンクリートの突起を挟むように設置されれています。
敷設後は調整モルタルで固める方式となっています。

交通技術の記事には、地平区間でスラブ化した記録が出ています。
少し見てみましょう。
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バラストから、アスファルトに変わっている区間が

スラブ軌道は、山陽新幹線をはじめ、当時高架化された区間では国鉄・私鉄を問わず採用されましたが、構造上コンクリートの上にコンクリートを載せる方式のため、騒音問題はクリアできず、スラブ軌道の下にゴムを敷く防振軌道などもの研究開発が行われています。
また、その後鉄道総研が開発した技術として、ラダー軌道というものがありますが、これは次回にでもお話をさせていただこうと思います。

参考文献
交通技術 昭和46年8月号

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# by blackcat_kat | 2018-12-29 12:46 | 線路
2018年 12月 02日

ワキ10000形貨車のお話

高速貨車が誕生した頃の国鉄を取り巻く環境
国鉄が、高速貨車を誕生させたのは、昭和41年でした。
名神高速に続き、東名高速も開通した頃で有り、本格的なトラック輸送が幕を開けようとしていました。
国鉄の貨物輸送は、旧態依然としたヤード系輸送が中心で有り、近距離を中心に貨物輸送が浸食されている時代でした。
そこで、国鉄としても貨物輸送の近代化を図るため、昭和39年2月14日に国鉄本社内に、貨車近代化委員会を設置し検討が開始されました。

  1. 輸送方式の近代化および、列車の高速化に対応し、かつ保安度を十二分に備えた貨車のあり方
  2. 積載貨物の品質および取引単位に適合する貨車のあり方
  3. 貨準近代化に伴う運賃料金その他輸送制度
などについて調査審議してきたが、貨車近代化の基本方向についてはおおむね次のような中間結論を得、去る十月二十七日第330回理事会において了承されたということで、下記の通り決定されました。
その方向性としては、
  •  全国主要都市に貨物拠点駅を設け,拠点駅間に高速貨物列車を設定する。列車の単位は600~1000 t とし、EF65形電機の単機または重連けん引とする
  • 列車の速度は,主要駅について貨物の有効時間帯輸送に対応する所要到達時間から最高110km/h以上とする
  • 高速性能を備える必要から,貨車は2軸ボギー車とする
  • 今後の貨物輸送形態は,コンテナ方式とパレット方式を主力とする
高速貨車、ワキ10000の試作

と言った内容で有り、この基本線に沿って高速貨車の具体的な開発計画が検討された結果,40年12月を目途に高速コンテナ列車1編成を試作し,東海道本線で試用することとなり,その先行試作としてこのワキ10000形式有ガイ車が試作されることになりました。
ワキ10000形は、ワム80000をベースにスペースを拡張して、ボギー車としたものでした。【同時期にワキ5000が誕生していますが、こちらは、ワキ10000をベースに85km/h車として量産した車両で基本的な荷室の構造は同じ。】
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ワキ10000をベースに量産されたワキ5000

ワキ10000は、貨車で空気バネを使用した貨車として注目されますが、止むに止まれぬ事情があったようです。
当時の交通技術という部内誌を参照しますと、その辺が記載されています。
問題点の第1は、積車時と空車時の重量差が非常に大きいこと、第2には、貨車は一定の配属個所がなく全国共通運用であることである。第1の問題点とは、たとえば自重30トンの通勤電車でも最大荷重はせいぜい20トン程度にすぎないのに対し、現用のコンテナ専用ボギー貨車でも自重16トン、荷重32トンで、積載重量48トンは空車重量の3倍にもなることである。
連結器の中心レール面上からの高さは、一般貨車では空車時最低835mm、積率時最低790mmと制限されているが、この制限内におさまるパネで、しかも高速性能をよくすることは、相反する条件をパネに要求することであり、その設計は極めて困難である。これの解決策としては、柔いコイルパネを使用する方法と、荷重の有無に関係なく車体の高さを一定に保つことができる空気パネを使用する方法との、2つの方法しかない。
試作車に関しては、比較検討のため、空気バネ台車の TR93 形(汽車製造東京支店製)とコイルバネ台車の TR94 形(三菱重工業三原製作所)の2種類が試用されました。)
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他にも貨物列車と言うことで、特殊な事情がありました、貨車の場合最高速度が低く抑えられてきた背景には、最高速度から非常ブレーキで600m以内に停車しなくてはいけないという基準でした。
特の貨車の場合、最高速度を上げてかつ、この距離を実現しようとすると、空走時間を短縮するための電磁弁の設置や、ブレーキの緩解を早めるために在来のブレーキ管に加えて、元空気だめ間を引き通さなくてはなら無いという問題が生じました。
高速化車の場合、こうした作業が従来の貨車のブレーキホースの接続以外に作業として増えることとなるわけです。
ただし、国鉄線上で運用する場合、1両単位で他の貨車と連結する場合も考えられるため、従来のブレーキホースも省略できないという問題を含んでいました。

そこで、そうした作業を少しでも軽減できるようにと考えられたのが、ブレーキ管と連結器を一体化した連結器が開発されることになりました。
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なお試作車は、緑2号(湘南電車の緑色1色)に塗られており、戸袋も、ワム80000と同じ鋼製で製作されていたため、非常に重く、具合が悪かったことから、量産車ではアルミ製引き戸に変更されています。
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白黒ではイメージ掴みにくいですが、緑1色だったそうです。

なお、その後試作車も量産貨車と同じ鶯色に変更されたそうです。

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量産型のワキ10000はアルミドアとなり無塗装化で目立つ存在に

参考文献
鉄道ピクトリアル、昭和40年6月・10月号
100年の国鉄車両
交通技術 昭和40年5月号

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# by blackcat_kat | 2018-12-02 18:23 | 貨車
2018年 10月 11日

気動車発達史 番外編 気動車寝台

寝台列車の常識を変えた、電車寝台

国鉄形の代表する電車として、寝台電車583系を御存じの方も多いかと思います、昭和42年10月改正誕生した寝台電車で、昼夜ともに走行できるように考えられた列車でした。
昭和40年代は、高速道路も開通しておらず、新幹線も東京~大阪間しか開通しておらず、長距離の移動も鉄道が主流でした。
寝台列車の需要も多いのですが、寝台列車はその性格上、昼間は客車区で留置せざるを得ず極めて効率の悪いものでした。
そこで、昼間も運転することで車両の使用効率を高めることを目的として開発されたのが581系電車でした。当初は、急行で検討されており、153系500番台の前頭にナハネ10を合成したようなイメージの車両で計画されたそうです。
その後検討段階で、急行だと折り返し時間に支障が生じることが判明したため、特急で運用することとなったそうで、その際従来の発想に捕らわれない形で計画されたのが581系でした。
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1等B寝台(A寝台開放式)を3段化した上で特急列車の昼行列車にも使用しようというもので、夜間の3段寝台は天井高さは圧倒的に低くて圧迫感はありましたが、下段で1m、中、上段で70センチメートルのベッドは快適で、浴衣も付くと言うことで、客車寝台よりも高めの設定でしたが、好評であったと言われています。

電車や気動車の寝台列車は、いつ頃から構想としてあったのでしょうか?

寝台電車構想は、いつ頃から有ったのでしょうか。
少し気になりましたので、調べて見ますと、昭和36年2月の交通技術という国鉄部内誌に次のような記述がありました。
昭和36年2月号 交通技術と言う雑誌の「車両運用の話」というタイトルで、気動車運用の向上に関する2~3の考察として、「夜行列車への使用」という記述が見られます。
少し長いですが、引用させていただきます。
iv)夜行列車への使用
気動車は支線区が多いため、夜間はほとんど滞泊の状態であるから、この時間帯を有効に使用できれぱ運用効率がよくなることは明らかである。現在、2,000両あまりの気動車を保有しながら.午前2時現在、運転している気励車列車は、広鳥~米子間の準急「夜行ちどり」号と、新宿~松本間の準急「第2白馬」号の2往復気動車として約20両にすぎない。これは、いままでの通念として、気動車は騒音が高いため夜行列車への使用は不可能とされているので、実際に使用するとなると、ちゆうちよされている場合か多い。しかし実際には。停車中の機関アイドル運転にいくぷん難があるとしても。走行中の騒音は電車に比較して。ほとんど差違はないのである。
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交通技術 昭和36年2月号から引用
これによりますと、「停車中は騒音や振動に難があるが、走行中は電車とさほど変わらない」として、可能性に言及しています。
もちろん、これは技術者の妄想の段階をでていないと言えるわけですが、昭和38年4月には、実際に気動車を利用して寝台気動車の計画がなされていたのでした。

電車寝台以外にも、気動車寝台も研究されていた?
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キハ52 画像 wikipedia

実は、昭和38年4月に、盛岡機関区所属のキハ52-107号車に改造を施したそうで、寝台間仕切りも仮設【ナハネ10タイプ】されていたと、鉄道ファン昭和38年7月号に出ていました。
これによりますと、寝台気動車を開発が目的と言うよりも、新構想の機関支持装置を使って優等気動車の乗り心地改善などを目的として計画されたものだと書かれています。
ただ、寝台列車への可能性もあったからか、室内には寝台を一区画だけ仮設しています。
なお、改造された当該車両と、一般車両を連結して乗り心地や振動などを比較するとされていました。

なお、試験日程は、4月15日、22日は盛岡工場で実施され、走行試験は4月16日、17日、23日の三日間、橋場線【現・田沢湖線、盛岡~雫石間】で運転されたと記録に残っています。


これによりますと、機関変速機を車体から切り離して中空に浮かせるようにするとともに、推進軸の応力を打ち消すための推進軸の下に軸を新設したと書かれています。下写真参照
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推進軸上の円柱状のものが変速機を支える懸架装置

車内の写真は下記の通り、寝台区画をイメージさせるために寝台のセットが作られています。左側上に上段?【中段】のベッドがチラッと見えます。
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屋上に放熱器が設けられており、その後キハ90などにも踏襲された。屋上放熱器が設けられています。
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いずれも、鉄道ファン昭和38年7月号【25号】から引用

記事では、貴重なデータを得られたと書かれていますが、実際には気動車寝台列車は誕生しなかったことを考えると余り成功とは言えなかった、のではないでしょうか。

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# by blackcat_kat | 2018-10-11 23:25 | 気動車
2018年 06月 13日

気動車発達史 番外編 客車改造客車

客車を改造して気動車にした話 50系客車を改造して、気動車に・・・。
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JR西日本では、1988年に50系客車を改造したキハ33形気動車が2両製造されました。
余剰気味の50系客車を改造して、ローカル気動車に改造しようとしたようですが、以外と改造に費用がかかったからかもしれませんが、試作の2両で終わってしまいました。
鬼太郎列車に改装されたりして、山陰本線・境線を走っていました。
聞けば現在は、1両は津山で保存されているとのことですが、実は客車を改造した気動車が、昭和30年代にもありました。
それが、今回お話しする客車改造気動車キハ08のお話です。

国鉄時代にも改造された、客車気動車
昭和35(1960)年に北海道支社長が、客車の気動車化を提案されたそうです。
当時は、毎年300~400両の気動車を増備していましたがそれでも十分に需要を満たせていないことと、余剰になるであろう客車の有効活用を目指して、試験的に改造されることになったもので、オハ62・オハフ62を改造して、それぞれ両運転台式の、キハ40【1両】、片運転台式のキハ45【2両】を製造することになり、苗穂工場で改造されており、昭和35年11月には改造車3両が落成したそうです。
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画像は、加悦鉄道に保管されているキハ08

余剰になるであろう客車を改造する事で車両の有効活用
改造要領は下記の通りで、当時の交通技術 昭和36年1月号から引用させていただきます。
キハ40の改造要領は、車体両端の出入台を一般動車と同様の運転室に改造するのだが、運転室側は開戸をやめて落し窓のみとした。乗降口及ぴ客室間仕切はそのままの形で内方に移設、客室内椅子はそれに伴なって8個撤去し更に両端部は長手腰掛とした。機関は車体台枠下面が狭いため、キハ80と同様横型DMHI7H(180PS/1500rpm)とし、上つり式である。変速機もキハ80に向じ補助噛合装置つきDF115Aである。
とされています。
更に、一般気動車と連結するため、密着自動連結器に変更した他、ブレーキも従来の液体式気動車に準じていましが、ブレーキ倍率を9.6に上げています。
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上記2枚は、交通技術昭和36年1月号から引用

鈍重な気動車で、運用にも支障が
ただ、同時期の普通気動車が自重30t~32t程度であったのに対して40t近くとなり、鈍重なイメージは避けられません。
なお、台車は動力伝達側はDT22A台車が使われ、反対側はTR11に代えて、TR23台車を履いていました。
車体塗色は、当時の国鉄気動車標準色である、(朱色4号とクリーム4号)に塗り分けられており。
歌志内線で運用されていたようです。

昭和37年には釧路地区で使用するため、キハ40【両運転台】並びにキハ45【片運転台】が増備されたそうです。この車両では、非動力側もTR23ではなく、気動車用のTR51Aが新製されたそうです。

また、キハ52との併結を前提として、エンジンを持たない車両が、小倉工場で昭和36年に1両、多度津工場で昭和37年に2両が、オハフ61形を種車として、キクハ45が誕生し、山形地区及び徳島地区で使用されたそうです。
他に、昭和38年には、同じくオハ62を気動車化した。キサハ45が北海道の五稜郭車両所で製造されたそうですが、昭和41年には早々と廃止されたとされています。

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# by blackcat_kat | 2018-06-13 23:27 | 気動車
2018年 06月 08日

気動車発達史 27-2 アルファコンチネンタルエクスプレスの話

久々に気動車発達史をアップしたいと思います。
国鉄末期にキハ28・58形を改造したアルファコンチネンタルエクスプレス(キハ59・29)に関するお話です。
アルファコンチネンタルエクスプレスは車両もさることながら、その販売方法はギャランティ方式と呼ばれるものが導入されました、この辺は技術的な部分とは外れますので詳細は省略しますが、買い上げ運賃のうち、国鉄側に不足が生じた場合はホテルがその不足金を充当するというもので、金額にして約7300万円であり、これは、昭和60年12月21日~61年4月13日までの期間の114日間、座席定員の80%に相当する額となっており、当然のことながら利用者が多ければ、国鉄にはプラスになるように考えられていました。
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ギャランティ方式の概念

実際には、大好評でキロ29を急遽追加で外観だけ塗り替えて投入しましたが落差が既存の車両と落差が大きいとクレームの元となり追加で1両改造されたのはご存じの通りです。

改造車として秀逸だった車両
キハ59・29は、キハ56・キロ26を種車として、が昭和60年未に誕生しました。
改造は、苗穂工場が担当し、詳細設計を含めて約4ヶ月で完成させたとされており、昭和60年12月21日から運転を開始しています。
従来の国鉄型と比べると下記のような大きな特徴がありました。
  • 前方展望室としたこと
    パス等とはひと味違った前方景観楽しんでもらうと同時に、運転しているようなダイナミックな気分にひたってもらおうというもので、国鉄としては初の試みでした。
  • 眺望性をできる限り広げるため、来務員室と展望室をオーフンタイプとしたこと
    客室からの音、光の反射などが懸念されたが、業務に支障をきたすものではないと実証されました。
  • 専用の荷物、スキー置場を客室と分離して設けたこと
    これは室内居住性を高める上で大いに役立ちました。
改造の概要
なお、車両の特徴としては、先頭から1/3程度を切断して新しい構体を別途取り付ける方法tなっていました。
前面の展望席は、床面から約60cm嵩上げしており、固定式の座席が3列、12人分設置されています。
なお、眺望を確保するため、後方に向かって5cmずつ高くなるように配慮されていたそうです。
又運転席との仕切りは、5mmのガラス窓のみとしており、後方からの眺望を極力妨げない工夫が施されており、夜間運転時などは、運転台直上に設けられた遮光カーテンを閉めて室内からの映り込みが無いように配慮されていました。
車両定員は3両編成で156名。各車両52人で統一、一般座席は従来の床面から座席は17.5cm嵩上げされたハイデッカーとなり足下の暖房管を隠す形となりました。
シートピッチは960mmで当時の183系気動車よりも200mm広くなっていました。
なお、内装については従来の発想に囚われず。住宅用に使われる素材などを試用したとされています。
こうした思い切った発想が、その後のJR発足後の車両に活かされたと言えそうです。

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# by blackcat_kat | 2018-06-08 00:09 | 気動車
2018年 05月 22日

気動車発達史 27 ジョイフルトレインの誕生

ジョイフルトレイン、覚えていますか?
ルーツは東京南鉄道管理局が製作した欧風列車「サロンエクスプレス東京」からと言われています。
大鉄局も一ヶ月遅れで、「サロンカーなにわ」を登場させるなど各管理局では、新しい団体旅行のスタイルとして、客車を改造したこうした車両をお座敷客車に代えて、若年層向けの車両の開発が行われていました。
並行して老朽化したお座敷客車も12系客車を改造されスロ81系は淘汰されていきました。
さて、今回はジョイフルトレインでも気動車のお話ですので、そこに絞ってお話をしたいと思います。
なお、これ以外にも国鉄時代に、「フラノエクスプレス」及び、「トマムサホロエクスプレス」もありましたが省略させていただきました。
又機会があれば、詳細調査してアップさせていただきます。
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アルファコンチネンタルエクスプレス

アルコンが気動車初のジョイフルトレインと言えますが
気動車のジョイフルトレインとしては、北海道総局が開発したアルファコンチネンタルエクスプレス(以下アルコンと略す)に注目が行ってしまいます、しかし、ジョイフルトレインという定義が曖昧なため、敢えて、「団体利用などを目的として、一般の車両より優れた設備を持たせた気動車」という定義をさせていただくと、実は九州総局が改造した「らくだ号」が昭和58年11月に改造されており、これがジョイフルトレインの最初と言えそうです。

らくだ号とは?
座席を廃車が進んでいた481系電車の普通車クロスシートに交換して、カラオケ装置を設置したもので、国鉄が販売していた「トクトクきっぷ」のイメージキャラクターからの流用したものでした。
アルコンは、国鉄総局と、石勝高原のホテルによるタイアップにより誕生したのですが、この車両については次回改めて車両面から検討したいと思います。
エレガンスアッキー誕生
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画像 wikipedia

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アッキーのロゴ

同様に、昭和59年には、アルコンが、誕生したことで気動車による座席車を主体としたジョイフルトレインを誕生させようという機運が生まれ、本州では秋田局で、本格的な改造気動車が誕生します。それ以前にも、秋田局では気動車を改造したお座敷車両「おばこ」が製作されており、番号もこの車両の追番となっていました。
種車では運転台後部の乗降ドアを埋めた程度でしたが、塗装の変更で大きく印象は変更されました。
その後は、昭和60年から61年にかけて、全国で急行用気動車の改造による列車が多数誕生しました。
国鉄時代に誕生したジョイフルトレイン【気動車】
主なものを拾ってみますと、
  • 「サロンエクスプレスアルカディア」 
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画像 Wikipedia
アルコンのデザインを流用した、新潟局が保有していました、JR発足直後の昭和63年3月に先頭車キロ59-508がエンジンの過熱から火災事故を起こして焼失、JR東日本でエンジン換装切っ掛けとなる事故でした。中学か小学生の旅行団体乗車中でしたが、幸い死傷者はありませんでした。
この事故で、残り2両も運用停止となり、その後先頭車を追加改造して、Kenjiとして復活しました。

  • 「ユートピア和倉」 
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    画像 Wikipedia

    同じくアルコンのデザインを流用して、和倉温泉までの乗り入れようにキハ65を種車として改造された車両で、485系雷鳥の後部に連結されて運転されるユニークなもので、全車両グリーン車の扱も異色でした。
    電車に牽引される方式は、その後JR西日本でよく行われ、非電化時代のエーデル丹後などにも使われました。
  • 「ふれあいSUN-IN」米子局の和洋折衷の車両
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    画像 Wikipedia


他にも、広島局ではキハ58を改造した、ふれあいパル【こちらはお座敷車両】、同じくといえましょう、その後JR発足直後は、国鉄時代の流れを汲んで同様のジョイフルトレインと呼ばれる車両が多数誕生しましたが、その多くは引退してしまいました。
なお、国鉄時代並びにJR発足直後は結構設計図の流用は会社間でも行われていたようで、スーパーエクスプレスレインボーの後部窓ガラスの下を詰めたものが、広島支社のフェスタの正面窓として設計されたのも結構有名な話ですよね。

現在のジョイフルトレインと言える、車両については割愛させていただきました。

続く

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# by blackcat_kat | 2018-05-22 20:20 | 気動車
2018年 05月 21日

気動車発達史 26 キハ38形 通勤形気動車

キハ38誕生の背景

キハ28が計画された背景には、ローカル線の廃止問題が絡んでいました、昭和58年には、ローカル線の基本仕様と言うべきキハ37が製作されました。
この車両はよく考えられていて、片運転台ですが、運転台後ろに出入り口があり、反対側は少し中心よりにドアが設けられており、将来ワンマン運転にも配慮された車両であり、窓割りもキハ40系列に準じており、クロスシートに置き換えることも容易な構造となっていました。
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キハ37形気動車

ただ、現在キハ35が活躍している線区、【八高線】のように非電化区間ではあるが相当数の需要がある路線でキハ37を投入するのは難しい。(八王子駅 - 高麗川駅間が電化開業は、1996年3月16日)さらに、キハ35初期車が経年でにより老朽化しており、更新の時期を迎えていたこともあり、キハ35の改造名義で各国鉄工場で製造されることになりました。

キハ38製造に当たっての理由が、国鉄の部内誌交通技術、昭和61年2月号(1986)に書かれていましたので、長いのですが、全文引用させていただきます。

キハ38形式が製造された背景について資料引用【交通技術資料から抜粋】

一般形気動車の老朽対策として、設備水準の高い急行形気動車のうち比較的経年の若い事両を対象として、特別保全工事による延命を図っているところであり、約900両を数える最新形式のキ〆40系と合わせて、当面約1500両のー般形気動車は確保できる見通しである。しかしながら、これらの形式はいずれも、片側2扉で座席配置もクロスシートまたはセミクロスシートであり、主として大都市近郊区間で使われている3扉・ロングシートのキハ35系については、代替車となり得なない構造であった。
また同時に、こうした3扉車が運行されている線区は、今後とも鉄道輸送の使命が残る線区であり、さりとて近い将来に電化も見込めないことから、何らかの老朽車両対策が必要となっていた。
そこで、一般形気動車の前給見通しが不明確な状況ではあったが、手戻りのない範囲として、また、優先順位の高い分野として、3扉・ロングシートの一般形気動車の取り替え用に、キハ37形式を基本としたキハ38形式を開発することとした。
なお、製作にあたっては、緊急の課題である設備投資の抑制と余剰人員の活用を図るため、キハ37形式で行った発生品活用の考え方をさらに徹底し、原則として老朽化した車体のみを新製して、主要な機器は再用する「車体更新改造」によることとした。
この車両の特徴は、液体変速機なども廃車発生品を流用したほか、側窓などにはバス用の汎用品を用いるなど、大幅なコストダウンを図ることを目的とており、国鉄工場の技術力維持のため5カ所の工場(大宮工場、郡山工場、長野工場、幡生車両所、鷹取工場)で7両が製作されました。
過員対策としても、行われたと書かれている点が時代を感じさせます。
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キハ38形気動車
キハ38形気動車の主な特徴

さて、キハ38形気動車の特徴を再び交通技術から引用させていただこうと思います。

  1. 片側3扉両開、ロングシートの通勤タイプとするが、性能・構造ほキハ37形式を基本としさらに徹底的な従来部品の再活用を図る。
  2. 機関は、今後の使用を考慮し、性能、燃費、重量、修繕費等を総合的に検討した結果、DMF13系機関とするが、室内騒音の低減を図るため、縦形とする。
  3. パス等の他輸送機関に対抗できるだけのサービスを提供すべく、冷房を装備する。
    なお、冷房装置には市場性の広いパス用クーラーを保用し、新製費を低減するとともに、1両単位での冷房を可能にする。
  4. 側引き戸は、キハ35系の外吊り式をやめ、戸袋万式とする。
    なお、一般形気動車で盲は従来、冬季、単線区間での対向列車の待ち時間等を考慮して、半自動ドア(聞きは手動、閉じは自動)としてきたが、キハ38形式では、扉付近の内外に開閉用のボタンを設け、停車中は来降客が、必要により押しボタンを押すことで、楽にドアの開閉ができるように改善した。
  5. 最低2両での運行を想定して、片運転台とじたまた、便所は2両に1カ所の割合で設けることとし、便所の有無で番号区分を行っている。
    キハ38   0代   便所あり
    キハ38  1000代  {更所なし
  6. 席配置は縦形(ロングシート)であるが、簡素な構造ながらもパケットタイプの区分座席とする予定で、暖色系の色彩とともに、温かい居住空間を目指している。
  7. 外観は斬新な前頭形状を採用し、外部塗色についても、従来のイメージを一新すべく検討中である。
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なお、キハ35形では強度の問題で外吊り式引き戸を設けていましたが、キハ38形では、多少の補強を行えば、3ドアでも大きな問題にならないとして、従来型の戸袋方式に戻りました。
また、八高線のキハ35で半自動ドアのボタンが試行されていましたが、キハ38では本格的にドア開閉用のボタンが採用されサービスが向上しました。
また、一般気動車としても初めて冷房装置が装備されることとなり、1台で最大2万6000kcal/hの安定した冷房能力の得られるサブエンジン方式のAU34形冷房装置を搭載されました。
ただ、これでも冷房能力は不足気味のため扇風機を併用することとすると、当時の資料を参照すると書かれています。

キハ37同様、量産に移ること無く、現在は廃車され、1両は水島臨海鉄道で活躍しているのはご存じの通りです。

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# by blackcat_kat | 2018-05-21 11:13 | 気動車