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2018年 03月 06日 ( 1 )


2018年 03月 06日

気動車発達史 15 急行形気動車の開発と発展 キハ28・58 第3話

少し間が空いてしまいました、久々に投稿させていただきます。
今回もキハ28・58のお話になります。
全国で1000両以上製造された名車、キハ28.58
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国鉄形の急行形気動車の顔と言えば、キハ28・58で異論は無いでしょう。
昭和27年当時のキハ44500がデビューした頃は2.6mの車体幅で高さも低く全体に貧相であった気動車もエンジンの出力は僅かに20 PS増えただけですが、車体幅は2.95mと特急車両と遜色なくなり、キハ55譲りの21.3mの車体長は全体に余裕のあるレイアウトを生み出すことになりました。
キハ28・58形気動車は、1000両以上製造され、晩年はローカル列車にも投入されましたが、本当に日本を代表する気動車と言えました。(キハ56・57を含めた延滞では1818両が実に昭和35年度から昭和43年度までに製造されました)
国鉄が民営化され、ロカール線の廃止なども行われたこともありこの記録は破られることは無いと思いますが、逆な言い方をすれば全国どこに行ってもキハ28・58が、いたものですからちょっと食傷気味にもなったものでした。
気動車急行の標準形 キハ28・58
急行形気動車の標準として誕生したキハ28・58は、先行して誕生したキハ56や57と基本的な構造は変わらないものの多少の差異はありました。
北海道向けのキハ56が床を木製としたのに対して、リノリューム張りとしたこと、キハ57がアプト区間を通過するため空気バネで車体の高さを調整し床下機器がラックレールに接触しないように配慮され、ブレーキ装置もディスクブレーキを採用していましたが、キハ58系は、台車もコイルバネに変更されるなどの違いがありました。
ただ、同じ形式のキハ58であっても製造年次が昭和35年から43年と9年の開きがあり、製造年次などで多少デザインが変わっていきました。
特に昭和42(1967)年度本予算車(誕生は1968年のため1968年製造の記述がある場合もあり)では、153系電車のように、パノラミックウインドウでスカートも設置されるなど外観が大きく変わりました。【それまでの気動車は、コストダウンのためパノラミックウインドウは省略され視界を確保するためできるだけギリギリまで窓を寄せるようになっていました。
これは、後述のキハ45とデザインを合わせる意味合いがあったのでは無いかと思われますが、軽快感は増したと言えます。
なお、キロ28・58は153系サロ152と同じ下降窓方式が採用されましたが、サロ152が蛍光灯カバーを設けていたのに対し、キロ28・58は蛍光灯カバーが省略されるなどコストダウンとはいえ格差を付けられているそんな感じでした。
ただ、当時の国鉄車両の特徴ですが、下降窓における水抜きの設計が拙かったようで、昭和50年代には、下降窓から上下2段のユニット方式の窓に変更される車両が現れ、優雅なイメージから一転、なんとも言えないスタイルになってしまいました。
長編成に対応したキハ28・58
液体式気動車は特急形を除けば基本的に足回りは共通で、エンジンはDMH17、ブレーキ装置はガソリンカー時代から使われている、DAブレーキ装置と呼ばれる自動空気ブレーキが採用され、制御は直流24V の電源を採用していました。
この場合、この方式ですと、長大編成になると、制御引通し線の電圧降下やブレーキの遅延が問題視され、編成で11両、エンジンは17台に制限されるなどその問題は深刻でした、そこで、昭和38年から落成するグループから、下記のように仕様が変更され、15両編成、エンジンまで対応可能なように仕様が変更されました。
各車に小型補助継電器を取り付けて、制御引き通し回路と接続して次車電源で各作用電磁弁を動作させることで、電流容量の逓減と電圧降下を避けるようにしたほか、ブレーキ装置も電気制御回路を付加した電磁弁式自動ブレーキを採用し、(DAE方式)としました。
これにより、最高15両編成、23エンジンまでの対応が可能になったとされています。
なお、国鉄時代の雑誌、交通技術昭和55年2月号を参照しますと、下記のような記事がありました。
これによりますと、
昭和35年より急行用気動車を新製しましたが、このうち信越線アプト区間来入用のキハ57等は、プレーキ力安定化のため中継弁付自動プレーキ(DAR)を採用、北海道用(キハ56等)、一般用(キハ58等)は途中から電磁自動プレーキ(DAE)が採用され、抑速用としてエンジンプレーキも採用した。
DAEは電車のAEと同じシステムである。
と書かれており、特急気動車のキハ80系は、一般形や急行用気動車とは異なるブレーキ装置が設けられていた記述されています。
再び引用させていただきます。
昭和35年新製の80系特急形気動車には電磁速動プレーキが採用された(第12図)。電磁速動プレーキは、基本的には自動プレーキであるが、制御弁とパラレルに補助ダメと中継弁を結ぶ電磁弁を通る空気回路が付加されている。
プレーキ弁を扱うとプレーキ管が減圧されるが、この時電磁弁が励磁され、制御弁が動作する前にバイパス回路を通って、補助ダメから中継弁へ空気が送られ、プレーキが作用する。このため通常、制御弁はユルメ位置をとったままである。
この方式は直通プレーキ同様、制御弁による作用おくれ時間がほとんどなく、小きざみなプレーキ操作ができる利点があるが、一方、プレーキ管と補助ダメがつながっているため、各車ごとにプレーキカが異なる場合がありうる欠点がある。国鉄では80系のみに使用している。
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参考までにアップしておきます。
この記事によりますと、80系気動車だけが結構特殊なブレーキを採用していたようですね。

続く

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by blackcat_kat | 2018-03-06 22:31 | 気動車