2018年 06月 13日
客車を改造して気動車にした話 50系客車を改造して、気動車に・・・。 余剰気味の50系客車を改造して、ローカル気動車に改造しようとしたようですが、以外と改造に費用がかかったからかもしれませんが、試作の2両で終わってしまいました。 鬼太郎列車に改装されたりして、山陰本線・境線を走っていました。 聞けば現在は、1両は津山で保存されているとのことですが、実は客車を改造した気動車が、昭和30年代にもありました。 それが、今回お話しする客車改造気動車キハ08のお話です。 国鉄時代にも改造された、客車気動車 昭和35(1960)年に北海道支社長が、客車の気動車化を提案されたそうです。 当時は、毎年300~400両の気動車を増備していましたがそれでも十分に需要を満たせていないことと、余剰になるであろう客車の有効活用を目指して、試験的に改造されることになったもので、オハ62・オハフ62を改造して、それぞれ両運転台式の、キハ40【1両】、片運転台式のキハ45【2両】を製造することになり、苗穂工場で改造されており、昭和35年11月には改造車3両が落成したそうです。 余剰になるであろう客車を改造する事で車両の有効活用 改造要領は下記の通りで、当時の交通技術 昭和36年1月号から引用させていただきます。 キハ40の改造要領は、車体両端の出入台を一般動車と同様の運転室に改造するのだが、運転室側は開戸をやめて落し窓のみとした。乗降口及ぴ客室間仕切はそのままの形で内方に移設、客室内椅子はそれに伴なって8個撤去し更に両端部は長手腰掛とした。機関は車体台枠下面が狭いため、キハ80と同様横型DMHI7H(180PS/1500rpm)とし、上つり式である。変速機もキハ80に向じ補助噛合装置つきDF115Aである。とされています。 更に、一般気動車と連結するため、密着自動連結器に変更した他、ブレーキも従来の液体式気動車に準じていましが、ブレーキ倍率を9.6に上げています。 鈍重な気動車で、運用にも支障が ただ、同時期の普通気動車が自重30t~32t程度であったのに対して40t近くとなり、鈍重なイメージは避けられません。なお、台車は動力伝達側はDT22A台車が使われ、反対側はTR11に代えて、TR23台車を履いていました。 車体塗色は、当時の国鉄気動車標準色である、(朱色4号とクリーム4号)に塗り分けられており。 歌志内線で運用されていたようです。 昭和37年には釧路地区で使用するため、キハ40【両運転台】並びにキハ45【片運転台】が増備されたそうです。この車両では、非動力側もTR23ではなく、気動車用のTR51Aが新製されたそうです。 また、キハ52との併結を前提として、エンジンを持たない車両が、小倉工場で昭和36年に1両、多度津工場で昭和37年に2両が、オハフ61形を種車として、キクハ45が誕生し、山形地区及び徳島地区で使用されたそうです。 他に、昭和38年には、同じくオハ62を気動車化した。キサハ45が北海道の五稜郭車両所で製造されたそうですが、昭和41年には早々と廃止されたとされています。 ******************************************************** 国鉄があった時代 JNR-era
by blackcat_kat
| 2018-06-13 23:27
| 気動車
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