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2018年 04月 15日

気動車発達史 21 高出力特急気動車 キハ181系誕生

特急用気動車 キハ181系誕生
昭和43年10月の改正で、中央西線に特急気動車による高速運転が計画され、その目的達成のために計画されたのが、キハ181系特急気動車でした。
既に、特急気動車としてはキハ80系気動車が走っていましたが、DMH17Hエンジンは1台あたりの出力が180PSと小さく、同一エンジンを普通列車も特急列車も使用することで得られたメリットも多かったのですが、特急気動車の場合編成あたりの出力は6.5PS/tにしかならず、平坦線でも100km/h 、25‰の勾配線区では42km/hしか速度が出ず、そこで昭和37年度から新系列気動車の開発が進められ、昭和41年には試作車としてキハ90(300PS)並びに、キハ91(500PS)が試作され、翌昭和42年には、量産型試作車として、キハ91形【キハ91-7両、キサロ90-3両が試作されました。
そして、今回試作されたキハ91をベースとして計画されたのが、先程申し上げたキハ181系特急気動車でした。
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キハ181系先頭車
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キハ180中間車
画像はWikipediaから引用

キハ181とデザイン
キハ181系は、キハ82系のデザインをほぼ踏襲した形ですが、ライトカバーが角形となるなど全体に厳つい印象をあたえることになりました。
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wikiediaの画像を一部加工

さらに、80系気動車と比べると一部設計変更がされており、主なところを上げると下記のようになります。

  • 蛍光灯の制御回路がDC24VからAC254Vに変更され交流発電機に変更されました。
  • 先頭車キハ181は、走行エンジン並びに発電用エンジンを搭載したため、軽量化に特に配慮し、室内にアルミ製放熱器を設置した、この結果機械室が長くなった。
  • 便所・洗面所を設置せず、先頭車の定員はキハ82と同じ58人を確保した。
  • 液体変速機は、DD51のような充排油方式に変更されました。
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181系諸元表

特に軽量化に意が払われた先頭車
先頭車のキハ181は、前述のとおりサービス用電源エンジン(DMF15H-G)エンジンと、DML30HSC形エンジンの両方を搭載しており、運転整備時の最大軸重を13t【後述】するために、特に軽量化に意が注がれましたが、それでも整備重量は51tに達したそうです。
なお、それ以外の制御回路はキハ91と同様のものが採用されましたので、キハ91とキハ181は連結が可能でした。
実際に、キハ181系トラブル時にキハ91を投入したと言う記録もあるそうです。
ただ、従来型気動車との併結は考慮されておらず、読替装置は設けらていません。

広域転配を考慮して計画された設計
キハ181は中央西線用として計画されましたが、中央線電化後は奥羽本線に転用することを考慮して6M1T編成で、機関1台が停止した状態でも34‰勾配を30km/hで走行できるように配慮したそうで、低速時での冷却不足を考慮して、キハ58で儲けられたと同じ強制送風式の放熱器も設けていたそうです。
それでも奥羽本線では、夏場などでオーバーヒート事故が多発して、当初は単独で走っていましたが、途中から電気機関車のお世話になったのはご存じの通りです。
なお、軸重を13tに抑えた背景には、最高速度を120km/hとした上で線路負担強度を検討した結果から、軸重を13tと言う数字が出てきたそうです。
最高速度を低く抑えれば、線路の負担強度は増しますが、そうで無い場合は速度を大幅に抑えなくては成らないからです。
余談ですが、現在の東海道・山陽新幹線の軸重は11tに抑えられていますが、これも同様の理由で、270km/h【300系計画当初】の振動や軌道破壊の特性と、0系車両の220km/hの値がほぼ同値で有るためと言われています。

中央西線のエースとして
中央西線の特急として、華々しくデビューしますが、山岳区間を縫う列車ということで最高速度は伸びず、表定速度は60.3km/hと特急列車としては最低を記録してしまいましたが、従前の急行列車と比べて約40分の短縮となっており、特急化による高速化の意図は十分果たせたと言えそうです。
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昭和44年5月の時刻表から

増備される、181系気動車
中央西線に投入されたキハ181系は、翌年度には「特急つばさ」に、昭和45年度には「特急やくも」、昭和46年度には特急「しおかぜ」・「南風」がそれぞれ181系特急車両で置換えられました。
なお、1次車は踏面ブレーキが採用されましたが、翌年度の増備車からは、キハ82で定評があったディスクブレーキ方式が再び採用されることとなりました。
これは、勾配線区で踏面ブレーキによる熱容量の問題があると判断されたからでした。

板谷峠では再び機関車のお世話に
「特急つばさ」として、キハ82系から置き換えられた、181系は当初は、板谷峠でハイパワーを活かして電気機関車の補機を必要としない単独運用が組まれていたが、屋根上の自然放熱式冷却器では長時間にわたる高速運転では十分冷却されず過熱状態となってしまううえ、通風量が不足することで冷却能力が著しく低下、奥羽本線の勾配区間に入っても、機関の定格出力いっぱいの運転が実施された結果、ヘッドガスケットの吹き抜け、排気マニホールドの過熱 → 発火・焼損等といった致命的な事故が頻発したため。予備車が不足する事態となり、単独運転とされていた板谷峠では再びEF71形の補機を連結するように昭和47年のダイヤ改正で変更されることになりました。
この措置は奥羽本線が交流電化される昭和50年の奥羽本線電化まで続けられることになりました。

関連
キハ90/91形試作車のお話はこちらも参照ください。

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by blackcat_kat | 2018-04-15 10:17 | 気動車


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