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日本国有鉄道研究家 blackcatの鉄道技術昔話

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2018年 02月 18日

気動車発達史 11 特急形気動車の開発

本日は、気動車発達史として特急気動車の開発についてお話をさせていただこうと思います。

日本最初の特急気動車が誕生したのは、昭和35(1960)年でした、設計から製作までの時間が短かったのですが、これは後述しますが、アジア鉄道首脳者会議(ARC)の展示物として計画されたものでした。
少し気動車のお話から外れるのですが、「アジア鉄道首脳者会議」について少しだけ語らせていただこうと思います。

「アジア鉄道首脳者会議」とは

十河総裁の提唱でこの会議は始まり、第1回目が昭和33(1958)年5月に開催されたとされています。
その目的は、「アジア地域各国の鉄道首脳者を日本に招致して、日本国鉄の躍進振りを紹介し、相互の親睦と提携により共通の目的達成の誓を固める」と昭和33年7月号の交通技術では書かれていますが、要は日本国鉄の復興ぶりをアピールして車両の輸出に繋げようというもので、運輸省が本来では企画すべきような内容も当時の国鉄は行っていた・・・といいうか、国鉄=鉄道省みたいなもので、運輸省とは別組織・・・みたいな時代ではありました。(より正確には、戦前の鉄道省から鉄道に関する部分だけを抽出したと言う方がより正確ですが)な雰囲気でもあります。
第1回目のARCの会合は成功裏に終わったようで、2年後に再びARC第2回会議は、昭和35(1960)年10月14日から20日までの約1週間、日本で開催されることとなり、このときは、国立に新設なった「鉄道技術研究所」(現在の鉄道総研)の車両70両が集められ、第1回目が施設の見学が中心であったのに対して、車両中心の展示になったようです。

特急気動車の開発はアジアへの売り込みが目的?
2回目のARCでは、車両の展示が中心となり前年にデビューした157系電車やレールバス(キハ02)や新形客車、貨車などが
展示されていたようです。




急いで設計されたキハ81

キハ81は昭和34(1959)年から計画されていたものの、ARCでの展示を経て12月の運用開始に合わせるためスケジュール的にはかなり厳しかったのではないかと思われます。
設計当時からDMH17系エンジンでは非力であることは憂慮されており、それ故に同時並行的に開発が進められたのがキハ60系列でした。
気動車発達史 11 特急形気動車の開発_a0091267_16025517.jpg
DMH17系エンジンも横型に設計変更したことで車内の点検蓋をなくすことが出来たのですが、潤滑不均一や、排気系の問題などが頻発し、発火事故等を何度も起こしてしまう事態となり、「はつかり、がっかり、事故ばっかり」と揶揄されたりしましたが、その反面特急気動車のフロンティアとして意欲的な取組も見られました。
その一つが、ボンネットの採用でした。
昭和33年に登場した151系のデザインは好評で、東北の気動車特急にも同様のスタイルを導入して欲しいという声があったそうです。
ただし、当時の東北本線はタブレット式の区間も多く、タブレットの授受に便利なように運転台は少し低くなり、またエンジンを横置きにするためボンネット全体も151系と比べると横に幅が広くて長さが短くなってしまいました。
その辺の事情は、昭和35(1960)年11月交通技術にも書かれていますので、少し引用してみたいと思います。

このディーゼル特急動車の目新しい点をあげてみる、
1.前頭の形は「こだま」と同じような形をしているが、単線区間でタブレットの扱いに便利なように、また信号が見易いように運転台が少し低くなっている。
この前頭のボンネットの中に電源としてのディーゼル発電機(I25kVA交流440V)が入っており、自動車のように上蓋を開いて内部の点検を行なうことができる。また食堂車の床下にも同じ発電機が吊ってあり、この3台の発電機はすべて運転台から操作できるようになっている。
2.車体外観・内部とも「こだま」とほとんど同じで色も「こだま」と同じであるが、ただ車体内張りにポリエステル化粧板(こだまはメラミン化粧板)を使用したことと、床がこだまとことなり、浮床構造で、客室全体がポリウレタンホームによって支持されていることなどが主な相違点である。(比較として一部の151系では従来の固定床を採用したので、このような記述になったと思われますが、これは執筆者の誤りと考えます)

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運転事故多発で信頼を失った「はつかり」形 キハ81

運転を開始すると、元々非力な上に高速・長距離運転と潤滑不均一による問題でエンジン停止してしまうものも多く、それが原因で発火事故を起こしたりすることも多く、せっかくの新型気動車も散々な結果となってしまうのですが、改良は進められ、昭和36年10月の改正からは、改良型のキハ82が誕生することになります。
キハ82については、別途章を改めて書かせていただきますが、徹底的な試運転が行われ改正ダイヤに沿っての運転が連日行われるなど徹底した初期故障の洗い出しが行われたと言われております。
結果的にそうした方法が功を奏して、キハ82は名車としての名をほしいままにすることになるのですがその辺は別途お話ししたいと思います。

続く



by blackcat_kat | 2018-02-18 21:13 | 気動車


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