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日本国有鉄道研究家 blackcatの鉄道技術昔話

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2018年 02月 17日

気動車発達史 10 高出力気動車の試作 キハ60形

キハ60に搭載されたDMF31系エンジン
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戦後、気動車のエンジンはDMH17エンジンの改良と言う形で進められていきました。
DMH17エンジンに過給器を接続して250PSまで引き出して機関車用として羽後交通のDC2に使用されたり、過給器並びにインタークーラーを付けて出力を300PSまで引き上げた DMH17SBと言う機関も存在したそうで、こちらも機関車用エンジンとして、釧路臨港鉄道D501や岩手開発鉄道DD43形に使用された実績があります。
国鉄ではDMH17系エンジンを機関車に採用した例は、DD11のみ(DD11も、元々は白棚線用に開発された機関車であり、キハ10000(後のキハ01)共々、戦後路線を復活させるに際してもその程度の輸送力であったということで、既に鉄道としての使命は終わっていた路線だったのかなと改めて思ってしまいます。
話を再び、DMH17系エンジンの話に戻しますと、国鉄では発電機用としてDMH17Sが使用されています。
20系客車の簡易電源車(マヤ20)の2次車(昭和40(1965)年)製造の際に発電用として搭載されていたようです、ちなみに20系客車のマニ20以降の新製車はDMF31系エンジンに発電セットを搭載していました。
そこで今回の主役である、DMF31系エンジンの話に入るのですが、このエンジンは、元を正せば戦前に鉄道省が、新潟鐵工所(現・新潟原動機)池貝製作所(現・株式会社池貝、株式会社 池貝ディーゼル)三菱重工業が各々製作したエンジンを便宜上総称したもので、戦後は大幅な設計変更をしたとも書かれており、同じ系列とするのは適切で無いと言う意見もありますが、ここではそうした議論をするのが目的ではありません。
少なくとも戦前のDMF31系(あくまでも便宜的な呼び方)をベースにして新設計されたのが戦後誕生するDMF31エンジン(ここでは縦型エンジン)であり、これを水平にしたものがDMF31Hエンジンでした。(Hは、Horizontalの頭文字)水平エンジンは「はつかり」に使われたDMH17Hと同様に潤滑が上手くいかずトラブルを起こしやすくなるのでした。
もちろん、戦前のキハ43000も同様の問題点を抱えていたと言われています。
そして、このDMH31Hエンジンを搭載して試作されたものがキハ60系気動車(キハ602両とキロ60でした)
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DMF31Hエンジン(上)と液体変速機
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キハ60が試作された背景
戦後、試行錯誤を重ねて液体式(当時は液圧式という呼称)気動車が一定の成果を上げると地方ローカル線の経営改善を求めて気動車の配置要望が増えました。
平坦区間だけであれば良かったのですが、勾配を含む線区が増えてくるとやがてその速度の遅さが問題となってきました。
旧北陸本線の柳ヶ瀬線では、当初はキハ17系あたりを入れていたのでしょうか、ダイヤ通り走れずに、いつもダイヤが乱れていたそうです。
そこで、2エンジン車を投入したら今度は、早く着きすぎたという笑い話がありました。
まぁ、そんなわけで2エンジン車も増備されたのですが、エンジンの台数が増えると当然のことながら整備に時間がかかるため高出力エンジンの開発が急務だったわけです。

キハ60の特徴

キハ60はそのような目的からDMF31系エンジンを横置きにしたうえで出力を400PS(過給機付き3段式変速機を搭載した意欲的なもので、当時の交通技術という部内向けの雑誌によりますと下記のように書かれています。
長いのですが、全文引用させていただきます。
交通技術昭和35年3月号
 去る1月29日に落成したキハ60形(2両〉とキロ60形(1両〉がそれである。
車両の外観や室内は従来のキハ55・キロ25と一見大差ないように見えるこの3両の試作事は、次のような特長をもっている。床下には水平6気筒400PS機関をl台持もち、液体変速機や液体接手によって、速度段は3段(直結2段を含む)に切換えできるほか、駆動は台車の2軸に伝達するような構造になっている。また機関冷却方式には静油圧駆動方式の自動制御を用いたほか、気動車で初めてディスク・ブレーキを採用した。
 動車発展を目的として試作した3両は、いずれも違った構造とした。2両(こだま)と同様な浮き床構造でハニカムボードを床板に採用し、キロは固定窓として徹底的な防音を試みたほか、機関の排熱を利用した冷房装置の開拓試験も施す考えもある。そのうえ台車は空気ばね付の軽量高速台車とした。最高135km/hまで出し得る設計のほかに、出入口の扉は、戸袋を要しない外吊り式という新型だが、これは閉った時、側面は完全に平面となる新式半自動開閉式扉である。この試作車は、当分御殿場線・中央本線で試験試用される予定だが、今年秋に登場の東北特急(はつかり〉などにも貴重なデータを提供するであろう。

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キロ60の室内、扇風機が設置されていますが、冷房装置はありません。
キハ60で採用された主な新技術は
  • 動力台車の2軸駆動・・・キハ65やキハ180で実用化
  • ディスクブレーキ・・・・その後80系気動車(キハ82以降の量産車やキハ57で採用)
なお、変速機はその後DD51などでも採用される充排油方式の変速機であり、プラグドア方式は交直流電車の451系・471系にも採用されました。
また、この記事では固定窓と書かれていますが、どうも2重窓の仕様となっており将来的に冷房装置の設置を考えていたためそのような記述になったと思われます。

キハ60の試用結果
当時の資料では御殿場線では、交通技術の昭和35年8月増刊号では下記のとおり書かれています
御殿場線で試験の結果、運転性能・騒音及び振動防止の効果・動力伝達装置の強度・乗心地など、いずれも所期の目標にかなうものであることが確かめられた。
しかし、別の資料などでは振動。特に。変速ショックは相当なものであったという記録もあり、もう少しこの辺は調査する必要がありそうです。
実際に、問題がないのであればDMH17機関に置き換えられることはないわけですので、部内的にさすがにダメでしたとかけずにこのような表現になったのではないかと推測されます。

画像は、交通技術、昭和35年の記事から引用させていただきました。

続く

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by blackcat_kat | 2018-02-17 14:13 | 気動車


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