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日本国有鉄道研究家 blackcatの鉄道技術昔話

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2018年 02月 13日

気動車発達史 9 一般形気動車 キハ20系の誕生

キハ55の成功を受けて
キハ44800(昭和32年の称号改正でキハ55)が製造されたのですが、この車両から車体幅が2800mmまで拡張されることになりました、キハ55の車体幅を大きく出来たのは車両の軽量化によると書かれている記事が多いのですが、それ以上に車両限界の拡張が行われたことも大きいようです。
日本における鉄道の車両限界の拡張が行われた事がより大きな原因であったと書かれています。
キハ55が製造される以前の車両限界は、第1縮小限界と呼ばれ、965mmの高さから一気に2600mmと狭くなっていました、国鉄では新しい車両限界の検討が行われ、昭和31年頃には新しい車両限界を適用できるようになりました。
新しい車両限界は、高さが引き下げられ820mmまで2850mm幅で車両を設計できるようになりました。
従前の気動車(キハ17系まで)が2600mm幅に抑えられていたのは出力もさることながら、こうした事情もあったと言われています。
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交通技術から引用

なお、その辺の事情については、交通技術昭和31年9月号の記載があります。
少し長いですが、全文引用してみたいと思います。
従来の第1縮小車両限界ではレール面上965mmにおいて、ぞれ以下の部分は幅が2,950mmから一度に2,642mmまで小さくなっていたものが、新車両限界によれば幅2,850mmではあるが、レール面上1,160mmから820mmまでまっすぐ下りる事になった。このお蔭で気動車の車体幅を客電車なみの2,800mmとした場合に、側出入口の踏段をも一緒にこの幅の位置までひろげる事が出来、ドア・エンジン付の側引戸も従来通りの寸法形状のまま、この2,800mmの幅の位置に造られた踏段上のレールにそって動かす事がすきるようになった。いいかえれば車とホームとのスキマが従来車よりも減ったということもできる。従来通りの第1縮小限界であれば、引戸の裾だけは幅2,600mmの位置に引込むように設計し、踏段や戸袋下部の形状も異様なものにせざるを得なかったであろう。またこれは従来キハが車体幅2,600mmでつくられるのが常識となっていた原因の一つでもあったのである。
また、記事では今後は車両限界も拡張されたことから、今後はキハ45000系の車体幅を大型化した一般気動車を誕生させる事も考えられると記されており、実際には昭和32年にキハ44500(キハ17)のに代えて、一般用にはキハ20が誕生しています。
再び、交通技術から引用させていただきます。
なお前にのべたように新しい車両限界で側出入口踏段が問題なく車体幅2,800mmの位置へ取付けられることとなったので、今後は従来のキハ45000系のものも車体幅2,800mmに大形化してつくられてゆくようになることも考えられる
ということで、国鉄ではキハ55で培われた軽量技術を活かして昭和32年から一般型としてキハ20系として製造されることになりました。
キハ55のように、キロ25のような優等車両は製造されず、一次形とも言えるバス窓タイプの車両と二次形と言える、2段上昇窓にしたタイプに分けることが出来ます。
20系気動車は基本番台である、キハ20が昭和32(1957)年から昭和40(1965)年まで製造されましたが、キハ28が横型エンジンを採用したのに対して、普通列車用気動車として誕生したキハ20は、キハ52の一部を除き最後まで縦型機関が搭載された形式となりました。
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画像 wikipedia

キハ20系列気動車の仲間
新製車グループ
  • キハ20・・・・両運転台の気動車
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初期型のキハ20はバス窓タイプを採用 交友社 100年の国鉄車両から引用

  • キハ21・・・・北海道・東北の一部地域向け、キハ20に準じた構造で二重窓になっているもののデッキが無いキハ20と同じ構造のため乗客サービスの上で難があり昭和32年に84両が製造されたが翌年からはデッキ付のキハ22に移行しました。
  • キハ22・・・・北海道・東北の一部地域向け、キハ21の改良型で、ドアを両端に寄せてデッキを設けた車両、準急形のキハ55系とそのスタイルにおいて遜色は無く、711系交流電車、キハ40 100番台の基準となり、昭和50年代では多く急行列車などにキハ22が使われたりしたものでした。
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交友社 100年の国鉄車両から引用北海道向けの初期車は、キハ20に準じた外観であり、サービス上に問題がありました。

  • キハ25・・・・キハ20の片運転台タイプ、初期の車両は白熱灯でしたがその後は蛍光灯に変更されました。
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交友社 100年の国鉄車両から引用 200番台からは、近代的な2段窓となりました。

  • キハ52・・・・キハ20の2台エンジンタイプ、大糸線で最後まで活躍したことは有名、前期型と後期形の分けることが出来、後期形はエンジンがDMH17からDMH17H(水平対向)に変更され、足回りに関してはキハ58と同一となりました。
  • キハユニ25・・・新製された、合造車、キハ21をベースに製作された寒冷地向け
  • キハユニ26・・・新製された合造車、キハ25をベースに製作された車両


改造車グループ

  • キユニ21・・・昭和41年にキハ21を改造して製作された車両

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by blackcat_kat | 2018-02-13 22:00 | 気動車


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