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日本国有鉄道研究家 blackcatの鉄道技術昔話

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2018年 02月 12日

気動車発達史 8 キハ44800(キハ55)の開発と発展


本格的準急気動車の誕生


連日、気動車発達史として書かせていただいておりますが、今回は本格的準急気動車キハ55を取り上げたいと思います。
キハ55は、キハ44600の成功を受けて、10系客車の軽量化の手法を応用した車両で、先行試作車としてキハ44800(後にキハ55に編入)が昭和31年に3等車のみ5両が試作、完成後は日光線に投入されています。
日光線にこうした新車が導入された背景には、当時は国鉄と東武の間で激しい競争を繰り返していたからであり、東武が1700系電車を投入したことで更に苦戦に立たされることになりました。
東武が1,700系を投入したことを受けて、キハ55を投入、その後、日光線電化で157系が投入されると、東武は1700系の投入を中止し、1720系(DRC)を投入するなど、当時の競争はかなり激しいものがあったものでした。
今回は、東武の1720系のお話では無く気動車発達史ですので、本題に戻りたいと思います。
キハ44800の特徴
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100年の国鉄車両から引用

先行して試作されたキハ44800は足回りはキハ44600とほぼ同等で台車も、キハ44600と同じ、DT19形台車が採用されました。
DT19形台車は枕バネの代わりに防振ゴムを使用した台車であり、私も経験がありますがびびり振動が多くて乗り心地は決して良いとは言えませんでした。
準急用としてはかなり問題があったかと思うのですが、当時は国鉄で用意できる気動車用の台車が無かったので、この台車で出場しています。

キハ44800とキハ44600比較

そこで、キハ44800とキハ44600の比較を試みてみようと思います。
  • エンジン キハ44600 DMH17 160PS キハ44800 左同
  • 車体幅 キハ44600 約2.6m  キハ44800 約2.8m
  • 車体長 キハ44600 20.6m キハ44800 約21.3m
  • 車体高 キハ44600 約3.7m キハ44800 約3.9m

    ちなみに、21.3mと言う長さはその後の気動車の標準となり、JR各社にも引き継がれています。

さて、21.3mとなった理由を探してみますと、昭和31年9月号の交通技術に下記のような記事がありました。

引用してみますと、

連結面聞が20mでなく更に延ばしたのは、20m車とした場合に客車の標準形20m車とほぼ一致するような設計をとり得る事が狙いであり、運転台のある場合にはそれだけつぎ足した形になるようにしたからである。将来キサハのような附随車或いは運転台のない動車を造るとすれば、形式図の動車から運転台の分だけやめた20mで造る訳である

将来的には運転台が無い車両の場合は20mの車体を作ると書かれていますが、キハ80系は中間車も21.3m製造されており、当初の狙いは無かったことになっています。

また、今回の21.3mとなったのですが、キハ44600で問題になった、デテクター・バー(転轍機が勝手に切り替わらないように制限する装置)ですが、これにつきましては、下記の通り限度いっぱいまで伸ばすことで、修正すること無く全国の線区で運用できるようにしたそうです。

再び、交通技術から引用させていただきます。

心皿中心間隔はl4.3mで、この値はデテクター・パーの長さl2.5mとの関係から定められた相隣る輪軸中心間の水平距離の限度12.3m一杯までとり、固定軸距2mの台車を使用する事からきまって来た長さである。
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キハ44800の車体の特徴


準急用車両として計画されたもので、キハ44,600と異なるのは車体幅だけでは無くデッキも設けられ、準急列車にふさわしい?内装にしたそうですが、エンジンは引き続きDMH17エンジンを採用していますので、床上の点検蓋は残りました。

それ故、オイル臭が残るなど、問題になったものでした。

余談ですが、初期に製作されたキハ44800ですが、その後誕生するキハ55と比較すると運転台の窓が小さいというか。バランスが悪いのですが、これはキハ44600のガラスを流用したので、先行試作の5両は運転台の窓が小さくなっています。


準急用として誕生した試作車キハ44800は、キハ55として増備されることになりましたが、昭和32年までの1~46までは通称バス窓と呼ばれるタイプとなり、昭和33年以降は1段上昇窓に変更されました。

更に、1エンジンとしたキハ26や優等車としてキロハ25や全室優等車のキロ25が増備されることとなり、準急の気動車化に大きく貢献することとなりました。
準急用の2等車は、特急の3等車(157系の3等と同じ)回転クロスシートを装備となっていましたが、準急自体が消滅したことから昭和42年から格下げが行われ、内装はそのままにキロ25→キハ26-400番台 キロハ25→キハ26-300番台に改番されました。

その後は、荷物気動車などに改造されますがその辺はまた別の機会にでもお話しさせていただこうと思います。


続く







by blackcat_kat | 2018-02-12 11:52 | 気動車


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