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2018年 02月 08日

気動車発達史 7 高出力機関気動車の試作

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キハ44600の試作と失敗
キハ44600(キハ50)形は、昭和29(1954)年に2両が試作されました。定員134人(座席92人、立席42人)でDMH17エンジンを初めて2台積んだ気動車でした。(当時の資料、交通技術。昭和30年1月号による)
このような気動車が誕生した背景には、DMH17系エンジンの出力不足がありました。
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キハ44600試作することになった理由を述べた交通技術の記事
25‰勾配で25km/hしか出せないが、キハ44600では45km/hまで向上できると記されています。
また、将来的には準急列車用にも発展できるよう考えたいと記されているのは興味深い内容です。

160PSのエンジン1台では、平坦線こそ蒸気機関車牽引の車両よりも高速で走れるものの勾配に入ると一気にスピードが低下してしまうことから、勾配線区への投入などが難しいと言う事情がありました。
そこで、抜本的な改善を図るために、下記のような方法が考えられました。
  1. 現行機関の部分改造による(180 PS化)
  2. 過給機を取付ける(200PS化)
  3. 1車に2機関を積む(160PS×2台)
  4. 別途大出力機関を新設計(370PS)→キハ60試作車
の4方式が考えられたそうです。
1)に関しては、プランジャーと言う装置(噴射ポンプ付近に設けられる装置のようですが詳細はご存じの方おられましたらご教示ください)の直径を8mmから9mmに変更することで160PS→180PSに変更したもので、東北線・日光線で使用され良好の成績を得たとされています。
その後の気動車のDMH17エンジンの出力は180PSとなりました。
2)に関しては、過給器を付けて出力の増大を図ったもので、200PS以上の出力を狙って試験が続けられましたが、半年間日光線で使用したところその成績は芳しくなかったと記録されています。
なお、その辺の事情はマラ別の機会にアップさせていただきます。
4)別途大出力機関を新設計するという方針は、昭和31(1956)年時点では設計中とされていましたが、結果的には失敗することになります。
概要としては、キハ43000系気動車で試用されたエンジン(当時はDD13に搭載されて使用されていた)を再び設計変更と出力を下げて370PSとした機関を搭載するというものでした。
結果的には、当時の技術では変速機とエンジンのスムーズな連携ができなかったり、潤滑が上手くいか無いという問題が多発(この問題はキハ81で繰り返されるのです)して、試用後キロ60は昭和37年にDMH17エンジンに、キハ60も昭和40年にはDMH17に換装されています。
http://blackcatk.exblog.jp/237662473/
もご覧ください。
結局、3案である、DMH17エンジンを2台搭載することが、当時としては時間的な制約があり、より最適な解であると考えていたようで、新機関による気動車に期待していたように見受けられます。
そこでキハ44500をベースに、2台エンジン車として製作されたのが、キハ44600でした。
この車両は、2台のエンジンを搭載するために車体長は22m、台車中心間(ホイルベース)は15,700mmという長大なものとなりました。
完成後は、早速関西線に投入され試験に供されましたが、試運転中にある問題が発生しました、それは、分岐器の通過時にポイントが途中で転換しないようにする保安装置((Detector Bar)と呼ばれるメカニカルストッパーを跨いでしまうタイミングがあることが判明したのでした。
走行に関しては、何ら問題が無かったため、保安装置の改修(バーの延長)を施すことで対処することとなりましたが、製造はこの試作2両でとどまることになりました。

キハ44700による量産型誕生
その後、キハ44600形の経験を活かして、車体長を再び20m(正確には20.6m)に抑えた気動車が製作されることとなりました。
この気動車に関しては、プロペラシャフトの短縮、ラジエーターの小型化などの措置が行わた結果、車体長を短くすることが出来たそうで、これにより使用線区の制約も無くなりました。
早速、関西線に投入されることになり、後述するように関西線における準急列車をすべて気動車に置き換えることになります。
キハ44700と準急気動車の誕生
黄は44600が関西線に投入された背景には、やはり近鉄の存在が大きかったと思われます。
まだ、当時は近鉄は大阪線が広軌(標準軌)、名古屋線が狭軌で、中川乗り換えを強いられていました事も関係していたと思われます。
キハ44600により準急気動車が昭和30(1955)年3月22日から準急気動車が1往復誕生しています。(キハ51+キハ17の組合せでした)
キハ44700(後の51)は翌年にかけて20両が製作されることになりました。
その後は後述するように、車体を10系客車の手法を取り入れたキハ44800(キハ55)に譲ることとなり、全国準急列車網を構築するための礎となっていきました。
明日は、「キハ44800の開発と発展」ということでお話をさせていただく予定です。
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by blackcat_kat | 2018-02-08 09:42 | 気動車


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