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日本国有鉄道研究家 blackcatの鉄道技術昔話

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2018年 02月 04日

気動車発達史 6 10系気動車の始祖 キハ17系気動車を中心にしたお話

本日は、液体式気動車の決定版となった、キハ45000(後のキハ17)についてお話をさせていただこうと思います。
キハ45000形は、分割併合も考慮した貫通スタイルとして、キハ44500をベースにした車両ですが、側面は電気式のキハ44100と同様の両端にドアがある構造になっていました。
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キハ45000(キハ17形)

キハ45000系について少しだけ解説を加えてみようと思います。
車体幅は、キハ44000に準じた2600mm幅で車体長は20m、内装も概ね準じたもので、白熱灯が2列で昔の客車と比べれば明るいとはいえ、かなり薄暗い車内でした。
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昭和28年製造の車両は背ずりが低く、大人だと頭が触れあうレベルでした。
ただし、通路側に肘掛けがありました。
気動車発達史 6 10系気動車の始祖 キハ17系気動車を中心にしたお話_a0091267_14072907.jpg
不評だったので背ずりを高くして、頭が触れあわないようにした、昭和29年から増備の改良型、
背ずりを高くした代わりに肘掛けが省略されました。

また、車体は軽量化のためシートも背ずりが低かったようです。昭和29年度増備の車両からは、背ずりが高くなりましたが、肘掛けを省略など、引き続き軽量化を意識した車両となりました。
100年の国鉄車両に当時の車両の内部写真がありましたので引用させていただきます。

また、キハ45000系列の車両としては下記のようにいくつかの車両が製造されました。
  • 片運転台 キハ45000(トイレあり)後のキハ17
  • 片運転台 キハ45500(トイレなし)後のキハ16
  • 運転台無 キハ46000(トイレなし・運転台なし)後のキハ18
  • 運転台無 キロハ47000(トイレあり・運転台なし)後のキロハ18 トイレは優等車側
  • 両運転台 キハ48000(トイレあり)後のキハ11
  • 両運転台 キハ48100(トイレなし)後のキハ10
  • 両運転台 キハ48200(トイレあり)後のキハ12(初の北海道向け)
  • 片運転台 キハ44600(トイレあり 2エンジン)後のキハ50
  • 片運転台 キハ44700(トイレあり 2エンジン)後のキハ51

注:キハ44600は、車体長が長すぎて転轍機の保護装置に抵触するため使用線区を限定され、増備も2両だけで終わりました。
なお、1両は新潟地震の際に陸橋の下敷きとなって大破し解体されました。


キハ45000は、増備が進むにつれて編成で運用されることが多くなり、運転台を省略して中間車を作ろうということで、キハ46000形(後のキハ18)が45000形の増備と平行して製作されることになりました。
この車両の特徴は、キハ45000から便所と運転台を撤去したもので、定員が8名増となりました。

また、翌年昭和29(1954)年には地方線区でも優等車の必要があるということで、2・3等合造車のキロハ47000(後のキロハ18)形が5両製造されています。
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キロハ47000
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キロハ47000の車内

なお、wikipediaを参照しますと、「千葉県庁と千葉市役所から「気動車にも二等車を連結されたい」という強い圧力があり、やむなくこれに対処したものであるという」等の記述がありました、手元にそれを証明する資料がないのでそのまま掲載させていただきます、以下は導入された経緯に関する私的な推測ですが、出張に際して、経費の関係で連結を要望したものであろうと思われます。(公務員の旅費規程では部長級以上は、優等車の連結された列車が1本でもあれば、優等車両の運賃で旅費が計算されたため)実際に千葉県庁なり市役所の部長級が実際に利用したかもしれませんが・・・。規程を生かすための方策であったのではないかと推測されます。急行砂丘に半室グリーンが連結されていたのも同様の理由からと考えます。)
さらに、昭和31(1956)年には2両増備されており、こちらは「準急かすが」に連結するためのものであり、キハ51を両端に連結して準急色を纏った統一された編成で湊町から名古屋間を近鉄特急に対抗するように走っておりました。

キロハ47000形の2等車部分は、当時の並ロと呼ばれた向かい合わせ式の車両で少し高めの背ずりと肘掛けが付く車両でした。

次回は、キハ44600についてもう少し掘り下げてお話をさせていただこうと思います。




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by blackcat_kat | 2018-02-04 14:19 | 気動車


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