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2018年 01月 28日

気動車発達史 4 天然ガス動車

戦後のあだ花 天然ガス動車

本日も気動車史をご覧いただこうと思います。
今回は、戦後のわずかの間だけ活躍した天然ガス動車のお話をさせていただこうと思います。天然ガス動車自体が活躍期間も短かったこともあり、あまり資料も探せなかったのですが、できるだけ技術的な話を中心にまとめさせていただこうと思います。

天然ガス動車が誕生した理由
その前に、天然ガス動車なるものがどうして運転されることになったのかを知っていただこうと思います。
気動車が自動車と同様に、石油で走ることは皆さんよくご存じだと思いますが、日本にあっては、日華事変以降石油は統制品となり自由に民政レベルでは使えなくなりました。
当時も日本は石油の92%を輸入に頼っており、その81%が実にアメリカからの輸入であったと言われています。
そして、アメリカは昭和16(1941)年6月には、米国、石油全般の輸出許可制実施(第1次石油禁輸)を実施、さらに同年8月には更に制裁を強化して、(第2次石油禁輸,対日輸出全面停止)として、全面的に石油が入ってこなくなる自体となりました。
そうなってくると、使えるのは備蓄した石油だけとなり、2年分がやっとであり、本格的な戦争状態になれば半年や1年で使い切ってしまうだけの備蓄量しか無い状態に置かれたと言われています。
それにより日本は蘭印の石油を求めて蘭印へ石油を求めることとなるのですが、こうした行為が更にアメリカの圧力を強めることとなるのですが、こうした一連の流れはアメリカを含む欧米のパワーバランスに日本が乗せられたという側面もありますし、アメリカとしても新たな権益として中国大陸を欲していたことに対する日本が目障りであったのでは無いかという仮説も立てられますが、私自身は鉄道史以外は詳しくないので、この辺にさせていただきますが、違った視点から考えることもトキには重要では無いかと思っております。
さて、こうした一連の流れの中で皆さんもよくご存じの通り、昭和16(1941)年12月8日には大日本帝国は戦争に突入していくこととなり、昭和20(1945)年8月15日、無条件降伏を受け入れて戦争は終結に至るのですが、戦争終結=石油禁輸解禁とは当然のことながらならずでした。
ただ、いつ頃から石油事情が好転したのかは判らないのですが、昭和23(1948)年には、GHQ、ジョンストン報告により石油精製装置スクラップを撤回とありますし、昭和24(1949)年には、東亜燃料工業、スタンダード・バキューム石油(後のEsso)と資本提携契約締結していますのが、天然ガス動車が国鉄で運転を始めたのは、昭和24年からでした。
結果的に昭和27年(1952)に石油の統制は解除され、天然ガス動車は再びディゼルカーに再改造されることとなり、活躍期間は非常に短く、実際に天然ガス動車が活躍したのは4年ほどでした、

天然ガス動車は千葉と新潟だけで運転された。
天然ガス動車は、千葉と新潟地域だけで運転されました、その理由はいずれの地域も天然ガス田があり、自給できることが大きかったと言われています。
古い資料を参照しますと、最初にガス動車が運転されたのが、昭和16年5月に木原線で運転開始されたのが最初だそうです。
戦後は、昭和22年3月10日から木原線で再び運転開始されたと記録されています。

天然ガス動車の実力はいかに?
実際には、天然ガスはガソリンやディーゼルエンジンと比較すると出力も低く(概ね70%から80%)であり、かつ、当初はガスボンベを床下に搭載する方式であったためかなり非効率であったことは容易に判断できます。
それでも、輸送力増強の要望もあったことから、昭和25年(
1950)4月に新小岩工場で9両のキハ42000形が改造されたのを皮切りに、千葉県内では、久留里線、房総東線、房総西線、木原線、東金線で、同様に天然ガスを産出した新潟近郊の越後線、弥彦線、信越本線(新津~新潟、直江津~新井)、磐越西線(馬下~新津)にも投入され、長野工場でも11両が改造された。同年10月には、千葉地区用に2両が増備されて、計22両が天然ガス動車が誕生しました。

天然ガス動車は、ガスボンベを床下に積む方式であり、木原線で使用されたキハ41000では20本のボンベを搭載し、1本のボンベで走行できる距離は10km~12km程ですので、200km~240km程度しか走れず、4往復程度するとボンベを積み換える必要があったようです。
キハ42000形の場合は、ボンベの数は24本搭載しており、ガスの価格が高く非常に不経済であったと言われています。
その後、200気圧の親ボンベから充填してもらう方式に変更され、更にその後は専用線を設けて直接ガス供給業者から直接供給してもらう方式に変更されたとされています。
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交通技術昭和25年6月号から引用

そんな、天然ガス気動車ですが、石油事情も好転したことから、昭和26年からはガソリン動車より経済的なディーゼルエンジン搭載の気動車のみが新製されることとなりました。
なお、昭和25年度にキハ41000形から11両、キハ42000形から7両がガソリン動車から
ディーゼル動車に改造されています。

当時の資料記事から
なお、天然ガス動車、ディーゼル動車の経済比較などをまとめた表が同じく、
交通技術昭和26年1月の号に掲載されていましたので、併せてこちらでアップさせていただきます。
ディーゼル動車として使われたエンジンは、日野DA55形エンジンであり、出力は75PSで、天然ガス動車と同じ出力であり、力不足は否めませんでした。
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その後、DMF13に換装した車両や、換装されなかった気動車は、DA55形エンジンを出力強化改造したDA58形エンジンを搭載した車両が登場し、形式もキハ41500→キハ41400に改番(出力75PS→100PS)される車両が誕生したとされています。

続く

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by blackcat_kat | 2018-01-28 22:39 | 気動車


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