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2018年 01月 22日

気動車発達史 3 戦前の電気式気動車

キハ43000その後
キハ43000は、完成後試験に供されたようですが、自動車の水平対向エンジンでも弱点として指摘されている、「水平シリンダー配置の場合には、シリンダー内面の不均一な潤滑油膜による偏摩耗など、潤滑に起因する問題」が発生し、当時の技術力では十分にカバーできなかった部分もあったようです。 【前述】
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基本的には、キハ43000形についてもう少し書いてみますと。
3両固定編成で、両端先頭車が動力車 20m車体で、エンジン出力は、240PS(1300r.p.m)でした。
中間付随車 17mと、車体長が異なっていました。
出入り口は、前後2カ所にあり、キハ17などと同様に客車に近いレイアウトであり、先頭車の運転台後ろの出入り口が片引戸に対し車端部の扉は内開戸でデッキ付と変わった構成となっていました。【中間車は、両端とも内開き戸でした】
なお、蒸気暖房が採用され、付随車に専用ボイラーが搭載されていたそうです。
さらに、車両間は密着連結器が採用されて板と記述されています。
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キハ43000編成写真 鉄道ジャーナル1974-7月号記事から引用
元画像は、国鉄提供

試用を開始した昭和12(1937)年は日華事変が始まった年であり、6月9日に商工省局として鉱山局から分割、当初は石油業法の運営を掌どり、第1部の油政課は石油業の統制等を行ったと記録されており【第2部は人造石油などの製造】、昭和18(1943)年中には休車となってしまいました。
その後、浜松工場で保管されていたようですが、空襲で被災、戦後は復活することなく、昭和23年には廃車となっています。
中間車は一時期、飯田線で付随車として、活躍したとされています。

明日は、戦後の内燃機関事情として、天然ガス動車のお話をさせていただきます。


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by blackcat_kat | 2018-01-22 22:50 | 気動車


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