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日本国有鉄道研究家 blackcatの鉄道技術昔話

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2018年 01月 15日

気動車発達史 1

気動車の発達
今回から、気動車発達史として何回かに分けてお話をさせていただきます。
第一回目は、内燃気動車の戦前までのお話をさせていただく予定にしております。

翠明期

気動車の歴史を振り返るとき、第一号と言えるのは、蒸気動車と呼ばれるものが最初で、湊町~橿原間に運転開始されたものが最初と言われています。
蒸気機関車の小型版のようなもので、ボイラーで発生した蒸気により車輪を駆動するもので、ハンガリーガンツ社製で4両(2両と言う記述もあり、また関西鉄道時代に導入されたようで、その後国鉄で使用)が輸入されたと記録されています。
ただし、ガンツ式は構造が複雑で、当時の日本の技術力では整備しきれなかったとも言われています。
その後汽車会社で、工藤式蒸気動車が開発されます、性能はガンツ式に劣りますが、当時の技術水準には合っていたようで、私鉄の他、鉄道院にも明治45(1912)年、から大正4(1915)年までの間に18両ほど納入されたと記録されています。
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工藤式蒸気動車 画像 Wikipedia

明治村に保存されているのは、工藤式蒸気動車になります。
その後、地方私鉄でも大正末期から小規模なガソリン動車が誕生し、鉄道省でも、昭和4(1929)年に12両が製造されました。
しかし、10mの車体で2.8m車体幅でありエンジンの出力に対して、重量が過大(19t(公称は15.5t)であり、走行性のも低く成功とは言えませんでした。)
気動車発達史 1_a0091267_11340292.jpg
画像 Wikipediaから

製造後は、姫新線 姫路 - 播磨新宮間や播但線 姫路 - 寺前間等で使用された他、東海道本線 大垣~美濃赤坂~(西濃鉄道)市橋間等で使用されたと記録されています。
北陸本線 長浜 - 彦根間
さらに、2年後の昭和6(1931)年には、20m級のキハ36450形と呼ばれる内燃車が開発されますが、これもエンジンの出力に対して、重量が重く北陸本線で使用され、総括制御方式を採用の基礎データを提供できたようですが、燃費は非常に悪く、kmあたりのガソリン消費量は1.414L【約700m】】という不経済な車両だったそうです。
本格的な機械式気動車としては、私鉄向けに日本車輌が製作して経験が豊富であった日本車輌が開発に参加することとなり、キハ36900【後のキハ41000】形により一応の完成を見たと言えそうですが、キハ36900自体は国鉄というよりも、日本車輌が製造した車体がベースとなっているとした記述もあります。
気動車発達史 1_a0091267_11362560.jpg
キハ41000形。その後改良型のキハ42000形とともに戦前を代表する内燃動車となります。


その後製造された、キハ42000形【後のキハ07形】は戦前を代表する内燃気動車【ガソリン動車】となりました。
以下、続きます。
製造量数に誤りがありましたので削除させていただきました。
失礼いたしました、お詫びして訂正いたします。

併せてご覧ください。 

気動車の発展と開発  戦前の気動車のお話 第1話


戦前の試作気動車【キハ43000】

戦後気動車の復活【天然ガス動車】


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by blackcat_kat | 2018-01-15 11:37 | 気動車


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