2017年 12月 16日
久々に投稿させていただきます。 白棚線という名前を聞いて、ピンとくる方はどれほどいるでしょうか。 東北本線の白河と水郡線の磐城棚倉駅間を結んでいた白棚鉄道が、その前身で、昭和16年には国鉄に買収されて白棚線と、なったそうですが、当時から輸送量は小さく、昭和19年には休止となっています。 戦後は、鉄道として復活が試みられますが、最終的に復活することはなくバス路線となりました。 白棚線の歴史をWikipediaで見てみますと、
となっています ただし、実際に軌道の建設が断念されるのは、昭和29年以降であり、昭和31年には軌道時期を専用道化して現在に至っています。 そこで、古い資料を参照していますと、興味ある記事を見つけました。 それは、白棚線専用にレールバスを開発するというものでした。 それが、下記の図です。 まず、出入り口の両端のステップが極端に長く、本当にバスのようなイメージとなっています。 これは、白棚線に復活させる駅は、ホームを設けない方針であったた(路面電車の安全地帯のような低いホームを想定していたと思われます。このようなドアがレール付近まで伸びていたそうです。 当時の交通技術(昭和29年5月号の記事では、下記のように書かれています。) 一部本文から抜粋します。 設計の要点としてはさきに述べたように、出来るだけ小形軽量、価格低廉なものとするため、機関をはじめクラッチ、変速機、プレーキなどはパスと同一のものを使用し、冷却器。運転制御装置、プレーキ装置。電気装装置なども極力同一部品が使用出来るよう考慮し。車体走行部分なども寿命をある程度犠牲にして思いきって軽量の設計としてある。 こちらは、DMH17(気動車の標準エンジン)を2基積んだ機関車でした。 次ページの最後の方には、現在はバスが11往復であるが、この気動車を導入することで13往復まで増やして利便性がさらに高まると書かれています。 バス代行で復活後も鉄道への輸送が考えられていたようですが、鉄道を復活させるよりもバスを走らせた方が多少経費がは上がりますが、フリークエンシー(頻発運転)が行いやすいとし、鉄道として復活することはありませんでした。 なお、設計が進められていたキハ10000形気動車は、前後のステップの長さを切り詰めた形に設計変更され、そのまま木原線(現在のいすみ鉄道)に投入されることになりました。 その後製作されるレールバスは、車掌が乗務するので、両端に出入り口を設ける必要がなくなり、中間ドアに仕様変更(後にキハ02と改番)されました。
by blackcat_kat
| 2017-12-16 07:32
| 気動車
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