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日本国有鉄道研究家 blackcatの鉄道技術昔話

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2017年 09月 06日

昼間はのんびり日向ぼっこ、サヤ420

昭和39年新幹線が東京~大阪間に開業し、それまで東海道線の華であった151系電車は一斉に西下し、一部車両は上越線「とき」増発用に残された他は、西下して向日町運転所に配属になりました。
そのうち、特急つばめ(新大阪~博多)間で運転されることとなったのですが、151系は当然のことながら直流電車なので直接博多まで自力で走ることが出来ません。
そこで、下記の4案が考えられたそうです。

  1. 151系を現行交直流電車と同様な方式の交流直流両用電車に改造
  2. 交流区間での補機電源をサシ151形に搭載
  3. 交流区間での全編成分の補機電源容量を持つ電源車を新製
  4. 交流区間での全編成分の補機電源容量を持つ交直流電気機関車を新製

当初は、151系を交直流電車に改造する予定だったそうで、当時の国鉄部内誌(交通技術8月号)を参照しますと、151両のうち120両を使用し、31両でひとまず九州乗入させながら、順次改造していくと言った記事が出ています。
昼間はのんびり日向ぼっこ、サヤ420_a0091267_17160815.jpg

実際に1案は手戻り工事が多くて、改造期間も長期(約8か月)を要することから現実的とは言えず、481系特急電車も製作されていたため、乗入期間は限定的になることから、151系の補機類への電源を確保することを主な目的とした電源車を投入することとなり、モハ420からモーターなど走行関係機器を設けず、平滑リアクトルや電動発電機(20KVA)のものを床上に装備したサヤ420と呼ばれる電源車を3両製作することとし、下関~門司間はEF30、門司~博多間はED73がけん引することになりました。
この時に改造された151系は6編成ですが、サヤ420の運用区間は、下関~博多間で2編成使用の1両予備として使われたようです。(記述が下関~門司と間違えておりましたので訂正しました。謹んでお詫び申し上げます 2022/9/22)
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「つばめ」は20:24門司駅に到着 「はと」はが見えませんが,21:34 門司着です。
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「はと」は、明朝7:10 博多発、「つばめ」は8:45 博多発
時刻表では綴じ目付近なので読めませんが・・・。

列車は、朝・夕に偏っているため、昼間は2両並んで日向ぼっこしていたそうです。(^^♪

サヤ420の特徴
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鉄道ピクトリアル 19659月号から引用

サヤ420の使用は当初から1年程度と想定されていたため、内装を含めて殆ど近郊型電車として製作され、実際に座席まで設けられていました。
ただし、出入り口付近の通路を中心にMGや元空気だめ、平滑リアクトルが設置されていました。
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平滑リアクトル

交直流の切り替えは機関車からの指令で自動で行えるようになっていましたが、整備性を高めるため、単独で運転整備が出来るように車端に簡易操作盤が設けられていました。
下の写真が、簡易操作盤、運転は行わないのでマスコン等は当然のことながらありません。
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さらに、鉄道ピクトリアルの1985年9月号の401系421系特集で、サヤ420の機器配置図などが出ているのですが、床上にMG(MH97-DM61 20kVA)のMG、補機電源用平滑リアクトル(整流した交流をきれいな直流にするための装置)等も設けられていました。
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なお、この電源車から直接機関車並びに、151系電車と直接通話ができるように電話器が設けられていたそうで、このサヤ420にも乗務員が乗務するようになっていたと言われています。
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鉄道ピクトリアル 19859月号から引用
151系電車の改造。
151系電車に対しても最低限の改造が施され、スカートの左右共に大きく切り欠きが設けられ、向かって右側に制御用、左側には補助高圧用のジャンパ栓受けを付けるとともに、連結器カバーも外され自動連結器がむき出しとなり、さらに元空気だめ管及びブレーキ管の空気ホースが吊り下げられて、東海道本線を優雅に走っていた頃のイメージとは大きく異なる外観となってしまいました。
実際の電車側の電源は、サヤ420から +・- 2本の高圧ジャンパー線から供給されることで電車側のMGやCPを起動させており、直流区間では自力で走るため、マイナスをレールと接地できるように回路が工夫されていたそうです。
機関車の改造
機関車側はEF30は重連総括制御機能を元々持っていたため、サヤ420との運用ではジャンパ線の運用変更などで対応可能であったそうで最小限の改造で済みましたが、ED73は、元々非重連の貨物用機関車であったため、大幅な改造が必要になったそうで、151系電車への補助回路用引き通しとサヤ420形の非常パンタグラフ下げ回路を装備することとし、15~22の8両が専用機に指定されました、逆にEF30は量産機若番の2~8の7両が改造されました。
余談ですが、ED73はプレート周りを黄色で囲みアクセントになっていたそうです。

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画像はイメージです。
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九州鉄道記念館に保存されているED72 ED73は貨物専用機で中間車が無い分車長が短かったが基本的なイメージは72と同じでした。



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by blackcat_kat | 2017-09-06 19:38 | 電車


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