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日本国有鉄道研究家 blackcatの鉄道技術昔話

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2017年 08月 23日

挫折した試作車・・・キハ60

皆さまこんばんは、本日もしばしお付き合いください。
今回取り上げるのは、昭和34年度に試作車として3両が製作され昭和35年1月末に誕生したキハ60及びキロ60を取り上げてい見ようと思います。

新たに開発が急がれた気動車エンジン

すでに、気動車用エンジンとしてDMH17エンジンが標準エンジンとして使われていましたが、改良を図って出力を上げたとはいえ、180PSはあまりにも非力であり、優等列車等に使おうと思うと自ずとエンジンの数を増やさなくてはならず経済的ではないため、大出力エンジンの開発が急がれていました。

機関車のエンジンを気動車に

キハ60に搭載されたエンジンは戦前の電気式気動車キハ43000に搭載されたDMF31Hと呼ばれるエンジンがベースで、DMF31H型エンジンは戦後、DD13用エンジンとして縦型エンジンとしたうえで、過給機の搭載で出力を370PSとして実用化されました。その後改良されて500PSまで出力が向上していました。
挫折した試作車・・・キハ60_a0091267_23290410.jpg
DD13形 画像Wikipedia

キハ60はこのDD13で採用されていたDMF31系エンジンを再び横型に設計変更して水平として出力も400PSに下げたものでした。
ただ、ここでの失敗はキハ81でも繰り返されることとなるのですが、それは水平にしたことでエンジンの潤滑が思うように行かなかったと言われています。
なお、昭和41年に試作されるキハ90及びキハ91で試作されたDMF15HSA及びそれを12気筒化したDML30系エンジンは、新たに国鉄が、新潟鐵工所、ダイハツディーゼル、神鋼造機の各社と共同開発したものであり、キハ60系のエンジンの発展型ではありません。
ちなみに、キハ60の最高速度は設計上は135㎞/hまで可能だったそうで、最高速度は110km/hの営業運転速度を目指していたそうです。
挫折した試作車・・・キハ60_a0091267_23391823.png
キハ60 鉄道技術昭和35年3月号から引用
新機軸が導入された意欲的な気動車


さて、最初に気動車の外観的特徴ですが。
同時期のキハ55形気動車と似ていますが、運転台横の扉が、その後のクハ451やクハ471にも見られたプラグドアが採用されていました。これは、車体強度の関係もあったのではないかと思われます。
また、外観からは判りにくいのですが、同時期に制作されたキロ60は防音対策として二重窓になっていました。(固定窓であり、冷房装置の設置も検討されていたという記述もあります。)
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キロ60 鉄道技術昭和35年3月号から引用
また、外観からは判りませんが、ディスクブレーキの採用や2軸駆動等、動力を効率的に伝える工夫がなされていました。
また、151系電車で見られたように浮き床構造が採用され防音性も配慮されていました。(キハ60-2及びキロ60-1のみ)


特急気動車にも引き継がれた技術

御殿場線・中央本線で試用された後に、エンジン換装
しかし、結果は散々だったようで、エンジンとトルクコンバーターの細やかな制御が出来ず昭和37年には早々とDMH17エンジンに積み替えられてしまいました。
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ディスクブレーキは、キハ60系の台車で開発されたタイプが採用された 撮影 加藤好啓

しかしこの時に開発された、ディスクブレーキなどはその後のキハ81系等で採用されたほか、2軸駆動の考え方はキハ65やキハ181で採用されることとなった訳で、失敗作とはいえその後の車両に与えた影響は大きかったと言えましょう。



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by blackcat_kat | 2017-08-23 23:59 | 気動車


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