2023年 10月 01日
パンタグラフがない電車 最近の地下鉄は、他社路線と乗り入れる場合が増えていますので、地下区間でもパンタグラフ付きの車両が一般的ですが、関西では御堂筋線と直通運転する、大阪では、御堂筋線と直通する、北大阪急行線や中央線と直通運転する近鉄けいはんな線のようにパンタグラフがない電車が走る場合もあります。 架線柱が無いためすっきりとした外観となりますが、どこから電気を集電しているのでしょうか。 線路の横に設置されたもう一つの線路 実は線路の横にもう1本線路を敷設しているのです。 この線路を第3軌条と呼び、この方式を第3軌条方式といいます。 元々車両限界を小さくしたかった、地下鉄の電化方式として発達したため、古い地下鉄などでは一般的な電化方式です。 と言う大きな特徴があります。 さらに集電用レールに直接、集電靴と呼ばれる台車に取り付けられたで集電装置から電気を得るようになっています。 基本的に中央に軌道は設置されるが、セクションごとに空間を設けるほか、場所によっては軌道外側に設置される場合もあります。 基本的には駅構内を含めて軌道内側に設置するのが原則です。 これは、乗客が誤って線路に転落した場合などの危険を避けるためと言われています。 集電靴の様子 最新の400形電車の集電靴も先頭車の台車に設置されているのがわかる。 レールに密着させながら走る、第3軌条ですが、地下鉄以外ではあまり見かけません。 これは何か理由があるのでしょうか? 確実に集電できるが、あまり普及しないのは? 以下のような、、問題点があると言われています。
と言った理由が上げられます。 近鉄けいはんな線では最高速度が90km/h 中央線と直通する近鉄けいはんな線(長田~生駒)は、線と同様最高速度が70km/hに制限されていますが、その後延長された、生駒~学研奈良登美ヶ丘間は90km/hと第3軌条方式ではありますが、高速運転に耐えるようになっているそうです。 ******************************************************** 取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、コメントにて お待ちしております。 国鉄があった時代 JNR-era ******************************************************** #
by blackcat_kat
| 2023-10-01 09:36
| 線路
2023年 07月 01日
119系電車とは 国鉄末期、飯田線の旧型国電を一掃すべく、国鉄が開発した近郊型電車が119系電車でした。 1982(昭和57)年12月から1983年6月にかけて投入された電車で、外観は105系0番台と同じで、セミクロスシートの3ドアとなっていました。 電気的にも105系1M電車がベースとなっていました。 今回は、この119系電車についての経緯等を国鉄部内紙。交通技術を参照しながらアップさせていただきます。 105系のシステムを利用した近郊電車 119系電車は、合計で57両が製造されたもので。 その内訳は上記の表の通りです。 基本方針は以下のようになっていました。
車体外観は、105系同様の3ドアですが、105系0番台で計画された中間電動車は製造されず、最低2両で編成が組めるようになっていました。 他の特徴としては
3ドアで、設備はセミクロスシートの近郊型仕様 交通技術 1983年3月号 119系近郊型直流電車 P24から引用 電気回路及び電気機器 モーターは103系・105系と同じMT55Aで、4個永久直列となっています(1Mユニットのため) 直並列制御は行わず、12段(全界磁8段、弱界磁4段)、ブレーキ13段は、105系と同じであるが、抑速発電プレーキ付加に伴い抑速ノッチとして、B1~B4を充てている 他にも、制御器はMGが故障しても最寄り駅まではバッテリーで走行できるように充電容量は確保している。 なお、105系との相違点としては、抑速ブレーキを使うようにしたため、制御器の形式が変更になったことや。 主抵抗器も105系と同様の自然冷却式ですが、容量を増大したため新設計のものが採用された。 パンタグラフはPS23が採用され、レール面上4000mmとした。 等の特徴が有りました。 するがシャトルへの転用と再び飯田線へ 飯田線に当初投入されたものの、1986年には一部が静岡地区の列車増発(するがシャトル)に2両×8本が転用され、下記のように塗装変更された。 1989年には東海道区間での運用終了に伴い、再び飯田線に戻ることとなり、JR東海標準塗装に変更されています。 元々ローカル線向けの仕様であったことも有り、更に冷房改造で自重が重くなったこともあって、比較的早い時期に東海道線から引退することとなりました。 その後、再び飯田線で過ごすこととなり、増結編成のMc車の一部は両運転台化されたものもありました。 2011年には全車引退し、一部はえちぜん鉄道に譲渡され、改造の上MC7000形として活躍しているのは皆さまもよくご存じのとおりです。
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by blackcat_kat
| 2023-07-01 15:34
| 電車
2023年 04月 27日
日本初の直接式交流電車クモヤ791形のお話 交流電化では、比較の結果機関車にあっては、間接式と呼ばれる整流器式が標準化されました。
しかし電車にあっては、その構造の簡便さから直接式の電車によるメリットも捨てがたいとして、改めて交流整流子電動機を用いた車両の開発が、昭和33年の技術課題として取り組まれました。 昭和34年3月26日、交流(60Hz専用)専用電車としてモヤ94000として誕生しました。 新製直後、敦賀機関区に配置され、4月7日~17日の10日間試験が実施されたと記録されています。 外観は、153系低窓電車に似た形状ですが、貫通路は無くヘッドライトも一灯で頭上に設置されており、印象はかなり異なります。 1両単車で運用できるようになっており、車内には座席も設置され営業運転も考慮された形になっていました。 機関車は整流器式が基本方針でしたが、それでも電車が試作された背景は? 機関車では整流器式が決定的でしたが、電車の場合機関車ほどの負荷も無いことから、直接式のメリットも捨てがたく、更に以下のような利点があるとして試作されることとなりました。
ということで、この辺も後年に試作された、クモヤ493と同じ理由です。 ただし、直接式の場合はトルクが細いこともあり特性上加速はかなり低いものとなります。 更に、直流方式の電車と比較して、以下のようなメリットがあるとされました。
実際には、落成後の、北陸本線で試験を行った結果、電気ブレーキから空気ブレーキへの切替時のショックが大きかったので調整が必要となったそうです。 クモヤ791は即営業可能仕様? 下の図は、交通技術1959年2月号クモヤ791の交流専用電車の記事から引用したものですが、前面は153系に似たスタイルですが、ヘッドライトは一灯式で、側面のドアは戸袋無しの4枚折り戸となっています。 室内は出入り口付近にロングシートを配し中央部分はクロスシートが設けられており、営業運転も見越した設計でした。 なお、モーターに関しては車輌製造会社6社の競作となり。強制式と自然冷却式として3社ずつ割り当て、出力は110Kw~150Kwとなっていました。 試作された3種類のモーター 単車・2両・3両編成での運転を想定 車両の構成と性能は以下のようになっていました。
交流(60Hz)用であるが、簡単な改造で50Hz用に変更できるとされて います。 なお、4枚折り戸は同じ時期に製造されたクロ157に採用されたほか、711系 試作車でも採用 されましたが、他の列車に普及することは有りませんでした。 #
by blackcat_kat
| 2023-04-27 00:25
| 電車
2023年 04月 08日
ED60・61形電気機関車のお話 ED60形電気機関車は、その後の直流電気機関車の基礎を作ったと言っても過言ではない車両ですが、あまりメジャーな機関車ではなくて、現在ED60-1が唯一長野総合車両センター(国鉄時代の名称では長野工場)に保存されています。 今回は、国鉄近代化直流機関車の始祖とも言える、ED60・61のお話を中心にさせていただきます。
なぜ、D形直流機関車だったのか? 幹線では、戦後旅客用としてEF58形、貨物用としてはEF15形が量産され、東海道・山陽区間向けにはEH10形も完成していましたが、亜幹線級の路線に適合した機関車は未だ生産されていませんでした。その理由としては、昭和初期に外国から導入した機関車がED形であり、これらを転用して賄ってきたという歴史があります。 当然のことながら形式により出力もバラバラな上、部品も統一されていませんので保守の面からも問題は大きく、更に老朽化も進んでいたことから、現場からも新設計の亜幹線用の機関車の開発を求める声が大きくなってきました。そこで、ED60形及びED61形の二種類をせいさくすることとなり、ED60形は3両、電力回生ブレーキを搭載したED61形は2両が製造されることとなりました。 新形ED形機関車の特徴
ED70交流機関車の成功を受けて ED60形は、交流機関車ED70形の成功を受けて製造された機関車ですが、モーターなど主要機器は全て新設計となりました。以下に、ED70とED60の諸元を比較した表をアップしておきます。 ED60がEF60以降の機関車のお手本に ED60形機関車は、従来の機関車と大きく変わった点は以下のような装備が付加されたことでした。
その為、その補償が必要になります。 従来型では軸箱守の周囲に摺り板があり、この保守が手間でしたが、ED60では両側を防振ゴムで挟むこととして保守の省力化を図っています。 ED60と61形の違いは? ED60形と61形の違いは、電力回生ブレーキの装置の有無だけです。 ただし、ED61はその装置のお陰で、1.3mほど車長が長くなっています。 それ以外には殆ど同じとなっています。以下に基本的な相違を示させていただきます。 ED61形改造して誕生したED62 長らく、飯田線ではED18形やED19形が活躍していましたが、老朽化のため、これをED61で置き換えることとしましたが、そのまま転用させると軸重制限により入線が困難なことから、回生制動装置を撤去の上、床下の空気だめを回生制動装置の場所に移設、空いたスペースに中間台車を設置することで、全体の軸重を13tとしていました。 ******************************************************** 取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、コメントにて お待ちしております。 国鉄があった時代 JNR-era ******************************************************** #
by blackcat_kat
| 2023-04-08 23:33
| 電気機関車
2023年 02月 08日
北海道 小樽~旭川間の電化に際して、投入された711系交流電車 北海道に投入された711系電車は、北海道初の電車として昭和41年に試作車が誕生し、先行して電化された、手稲~銭函間で試験が行われたそうです。 当時の記事を参照しますと、元々は通勤・通学輸送を中心に据えた車両を計画していたそうですが、途中から急行列車などにも使えるようにという方針に変更されたとされています。 試作車4両(Tc 2 Mc 2)が製造されるとしており、交通技術には以下の車両図が掲載されています。 イラストは901として落成するタイプでしょうか。 結局4枚折り戸も、ユニット式の窓も量産車には反映されることは有りませんでしたが、室内配置は量産車にも引き継がれることになったのはご存じの通りです。 構造及び概要
2)台車は特急や急行に使われているDT32系ですが、円筒ころ軸受を採用し、軸ばねもゴムで被覆されるなどの特殊な台車となった。 出々 吾壱 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10 6315208による
711系電車が発電ブレーキを使わない理由 711系電車ではサイリスタ位相制御により連続的に電流量を調整する無接点化が完成したわけですが発電ブレーキを採用するとすれば、発電ブレーキ線用の抵抗器や制御装置を搭載しなくてはならず重量的にも厳しくなることから、採用は見送ったとされています。 更に、制御器の接点が増えるわけでメンテナンスフリーの観点からも好ましくないとして採用は見送られました。 その後、781系導入時には抵抗器が搭載されることとなりますが、これは暫定的に投入した485系が抵抗制御方式であり、電気ブレーキを採用していたため、当時の動労からに強い要望で電気ブレーキが搭載されることとなったとか。 その為、屋上に冷房装置の他に抵抗器が搭載され、補機類はT(付随車)に搭載される事となり、TA車という名称で使われていたのはご存じの通りです。 尚、当時の記述を見ますと将来的にはサイリスタ位相制御での回生ブレーキが考えられるから現時点で採用はしたくないと明記されています。 711系電車が1M方式となった理由 711系電車は量産車では1M2Tの中間電動車方式が採用され(試作車では1M1T)ましたが、その理由は下記の通りでした。 711系電車の車体の特徴について 1)モーターは113系などと同じMT54であるが、一部構造を変更したMT54A形とし、冷却風循環式の強制通風方式となっており、車端に雪切り室が設けられています。
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by blackcat_kat
| 2023-02-08 22:05
| 電車
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