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2016年 12月 24日

回転式火の粉止めの話

ATSのお話は、改めて書かせていただきますが、今回は古い鉄道ピクトリアルで見かけた回転式火の粉止めのお話をさせていただこうと思います。
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その昔蒸気機関車から出る火の粉で沿線が火事になるという例が多数あったそうです。
「機関車やえもん」という童話でも、そのような記述がありましたね、もっともこの辺のお話は創作だとも言われていますが、
その前に、少し鉄道と沿線火災ということでお話をさせていただこうと思います。

日本で最初の火災事故は、明治6年1月27日であったそうで、北蒲田村で3戸、町屋村で1戸、八幡塚村で1戸、それぞれ民家が焼けたそうで折からの北風に煽られて被害が拡大したと記録されているそうです。
ただちに、東京府知事から工部省鉄道寮(当時の名称)に対して被害者に対する見舞金の給付の上申がなされたが、前例がなく、落雷による被害みたいなものだから補償はしないと言い切ってしまったそうで・・・。
ただ、最終的には、鉄道による火災事故は落雷による被害に様なものではあるが、「鉄道に対して悪い評判が出ても困るので、今回に限っては見舞金を出す」という方向で決まったそうです。
今から考えれば、何とも上から目線な意見なのですが、それでも地域住民は大いに感激して見舞金を受け取ったそうです。

その後も、当然のことながら鉄道が延伸することで同様に問題が発生するわけで、そうなってくるとさすがに沿線の人も公害として認識してくるわけで、放置するわけにもいかず、鉄道長官名で各私設鉄道に対して下記のような通牒が発せられたそうです。

「機関車火粉噴出のため危険の虞ありとし沿線住民に於いて疑懼(ぎく)の念を抱くもの少なからざる趣地方庁より上申あり、これが取締方に付一層の警戒を加ふるに非ざれど沿道住民をして鉄道を嫌悪するの情を起こさしめ、その信用を害し、発達を阻止するに至るやも計り難し、依って各会社は其使用する機関車に構造完全なる防火網を装置するは勿論、その燃焼方法等を考慮し万一過失なきを期すへし。

と書かれており、「防火網」すなわち、火の粉止めの網を設けるということにされたようです。

さて、ここから本題なのですが。
回転式火の粉止め、現場では通称「クルクル〇ー」と俗語でも言われていたようですが、正式名称は「回転式火ノ粉止メ器」と称するもので理研金属工業株式会社が開発した実用考案品だそうです。
昭和29年から国鉄蒸気機関車に採用され、昭和32年からはほぼ全ての蒸気機関車に使われたと言われています。

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鉄道ピクトリアル1969年5月号 P80から引用

この、火の粉止め装着によるシンダ(煤)をかなりの範囲で防止できた反面、煙突内にシンダが多く残ることとなり使用しない場合よりも2.6倍も付着したほか当然のことながら燃焼効率も下がるので機関士には嫌われ、保守する側でも火の粉止め自体が煙突と固着してして外しにくかったりとかなり保守には手を焼いたそうです。

その後練炭や無煙炭などを使用することにより煙の発生を抑えることが出来るようになってきて外される例もあったようです。
特に当時の記録を見ていますと、数少なくなったSL(蒸気機関車)を撮影に行って回転式火の粉止めが付いていると外れだとぼやいたとか。機関区にお願いして外してもらうように依頼した・・・なんて記事もあったりしますが。

蒸気機関車と回転式火ノ粉止めは切り離せなかったようですね。
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by blackcat_kat | 2016-12-24 14:38 | 蒸気機関車
2016年 12月 03日

ATSと車内警報装置

ATSと言う言葉は聞いたことがあると思いますが、ATSの歴史について簡単に振り返ってみたいと思います。
出来るだけ、判りやすい言葉で書かせていただこうと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
本日は、ATSのお話をさせていただこうと思います。

現在はJR各社並びに中堅私鉄などでは保安装置の一環としてATSですが、日本工業規格JIS E3013(鉄道信号保安用語)によりますと、下記のように定義されています。

「自動列車停止装置」 列車が停止信号に接近すると,列車を自動的に停止させる装置。ATS (automatic train stop device) ともいう。

ATS前史

ATS自体は戦前からあり、銀座線で採用されていたような打子式(信号が赤の場合、バーが立ち上がり車両の非常ブレーキバーを操作するもので、非常ブレーキがかかると言う原始的な方式。
昭和16年には当時の鉄道省でリレーを使用した速度照査式のATSが開発されましたが、太平洋戦争が始まったこともあり設置は結局中止となってしまいました。

軌道電流方式のATSが採用されたのは、 都営地下鉄1号線(現在の浅草線)に相互乗り入れの京成押上線とともに採用されたのが最初だそうです。
国鉄に有ってはATS設置の機運となったのは昭和37年の三河島事故がその起因とされており、それ以前は国鉄にはATSすら設置されていませんでした。

ただ、東海道線などの列車本数が多かった区間ではATSのもととなった車内警報装置が設置されていました。

前置きが長くなりましたが、今回はATS-Sの前身である車内警報装置についてお話をさせていただこうと思います。

車内警報装置に関する話を昭和32年の国鉄線から抜粋したいと思います。

昭和32年に計画された車内警報装置は、3種類で、A型・B型・C型に分類されていました。
いずれも、警報を発するだけで、非常ブレーキの動作などを行うことは無く、運転士の注意を促すものでしかありませんでした。

以下、国鉄線から記事を参考に書かせていただきます。

A型・・・自動信号機用軌道回路の信号現示に応じた信号電流を流すもので、将来車内信号表示や自動列車制御装置などを作る際に手戻りなく移行させることが出来るそうで、重要幹線(東京〜姫路間)で採用、速度もブレーキ距離も異なる列車が混在すため、警報発信後も赤ランプなどを点灯すると言った方式を考えており結果的には導入されなかったようです。・・・1970年までにATS-Sに移行されています。

B型・・・山手、京浜東北線の昭和28年頃から採用されている方式で、昭和32年度中には、中央線、総武線の電車にも取付けられる予定となっているそうで、自動信号機が赤の場合に流れる電流値が異なることを利用して、警報を発すると同時に車内警報ランプを白色灯から赤色灯に変えるそう、乗務員がこれを確認して押ボタンを押すと、警報が止み白色灯となる。というものです。
当然のことながら自動停止機能はありません。

C型は非自動信号区間(腕木式信号機&タブレットを使用する線区)にも取付けられるので、急行、準急等の高速度列車が運転される区間でA型、B型が取付けられない線区に設けられるもので、誘導電流の応仕組みを応用したものでした。
下図を参照
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腕木式信号機が進行の場合は、車上子の回路が出来ていますので誘導電流が発生する、逆に停止現示の場合は誘導電流は発生しないのでリレーが作用してベルが鳴動するようです。

なお、車内警報装置は、昭和34年5月までには下記の線区で整備されたそうです。

A形(東京〜大阪556.4km)
B形(南武線・阪和線・城東線・西成線・片町線)
C形(裏縦貫(日本海縦貫)線で設置、南部線を除くB形は使用、その他は試用を開始

昭和33年3月17日には、西成線(後の桜島線)及び片町線で試験が行われたそうです。
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ただし、こうした車内警報装置はあくまでも、警報を発するだけであり、確認操作後ブレーキ操作をしなければ衝突する事故を起こしかねず、実際昭和35年1月1日は、準急「はまな」号が東京駅構内で停車中の横須賀線電車に追突して、重軽傷者23人を出す事故を起こしています。
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この時は幸い死傷者が無かったのですが、さらに2年後の昭和37年には三河島事故を起こして死者160人、負傷者296人を出す大惨事となり、この事故をきっかけにATSの本格的導入が検討されることとなりましたが、この時も車内警報装置に自動停止機能を加えたものであり、ATSとしては不十分なものでありその後も何度か追突事故などを起こしていました。
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運輸省制定のATSの話はまた別の機会にさせていただきます。

なお、ATSに関するさらに詳細なお話などは、後日もう少し調べてからアップさせていただきます。m(__)m
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by blackcat_kat | 2016-12-03 09:11 | 線路
2016年 10月 30日

安全側線

久々にこちらにも投稿させていただこうともいます。
今後は出来るだけ投稿をしていきますので、よろしくお願いいたします。

さて、今回は安全側線についてお話したいと思います。

皆さんは、単線区間でこんな風景を見たことは無いでしょうか。
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これは、列車交換で屋名倉駅に停車中に車内から撮影したものですが、左側の線路、左側にさらに延びる錆びた線路が見えるでしょうか。

さらに、注意深く見ていただくと左側の線路に乗っかるように線路がかぶさっています。
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これでは、電車が脱線してしまいますよね。
これはわざと脱線させるための、脱線転轍機と呼ばれるもので、
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赤い丸で囲んだところに、白地に赤の板が見えると思いますが、これが脱線転轍機標識になります。

なぜ、このような設備があるのでしょうか。

これは。万が一信号現示を無視した場合でも本線に列車が進入しないようにするため、わざと脱線させることを目的としているのですが、昭和31年10月15日18時22分に発生した、参宮線での六軒駅事故や三河島事故などは安全側線があっても守れなかった事故であり、必ずしもこの機械的装置があることで十分な安全を確保できるものではありませんが、現在も単線区間ではこうした設備が残っているところがあります。

この転轍機は、実は進行方向を遮る
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この方向が定位(正常な位置という意味)であり、
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このように通常の列車の進行を妨げないようになっている状態を反位(正常な位置ではないと言う意味)という言い方をします。
奈良線のように、CTC化されている場合は集中制御盤で信号機と連動して動作するようになっており、自動信号化前は、信号係(掛)が重いバーをひとつづつ確認しながら連動させて操作していました。

今回図らずも、奈良線を見ていますと。
こうした古い側線が多数みることが出来ました。

ただ、新しく部分複線にした区間などでは、安全側線の転轍機が従来の脱線転轍機ではなく普通の転轍機でを使っている場合が多いようです。

画像の説明文字が間違えていました。転轍機→転轍器の誤りです。お詫び申し上げます。
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by blackcat_kat | 2016-10-30 23:09 | 線路
2016年 06月 26日

旧型国電と冷房

今でこそ、冷房は当たり前になってむしろ窓が開く鉄道車両のほうが珍しくなってしまいました。
窓を固定式にするというのは、鉄道事業者にとってもメリットが実は大きいんですね。
窓が開くということは、底から乗客が手や顔を出すリスクがあります。
下降式窓なら手や顔を出すことは考えにくいですが、上昇式窓などでは手や顔を出してなんていうことはよくありました。

国鉄の場合特急は157系以外は製造当初から、157系は元々準急用としてデビューしたので冷房改造が行われたのは、昭和38年から、寝台車などは昭和40年代から現在のB寝台が冷房化が始まり急行列車もその前後から冷房改造が始まりました。

通勤電車に至っては昭和45年頃に冷房の試作改造などが行われたころからであり、旧型国電と呼ばれる、73形通勤電車や70系・80系と通称される電車にあっても冷房化はなされることはありませんでした。

個人的には300番台はデザイン的にもその後誕生する113系などと比べても見劣りしなかったので冷房化改造や新性能化改造して欲しかったなぁと個人的に思っているのですが、実は80系電車1両だけ冷房化された車両がありました。

これは、151系を設計する際に実際にユニットクーラーを取り付けてみることで夏場の空調の問題点を探ろうとしたもので、1957年8月にサロ85020に大井工場で改造工事が施され、屋根上に分散式冷房装置4基、床下にMGを搭載する改造工事が施工されたそうです。
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これが旧型国電では唯一の冷房改造車だと記憶しています。

なお、この話には後日談があるようで、試験終了後はクーラーは取り外されたそうで、当時の国鉄における考え方がよくわかるというものです。

昭和30年代というのは1等車・・・冷房付き、2等以下。基本は冷房なし、食堂車・・・冷房付き(黄害対策)のためであり、それでもすべての食堂車が冷房化されていたわけではなく、半室食堂車(オハシ30)などは最後まで冷房化されることはなかったですね。

歴史にIFはないですが、せめて模型の世界だけでも80系電車300番台に冷房装置を付けたりして遊んでみたいものですね。

鉄道・飛行機

歴史
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by blackcat_kat | 2016-06-26 13:05 | 電車
2016年 06月 21日

幻に終わった151系電車、宮原配置計画 昭和36年10月鉄道ピクトリアルの記事から


昭和36年の改正「通称、サンロクトウ」と呼ばれた改正で、全国に特急網が誕生した画期的なダイヤ改正でもありました。
特急「白鳥」や「まつかぜ」「かもめ」といった気動車特急が誕生したのもこの改正でした。
特に前年の「はつかり」の失敗から80系気動車にあっては約1か月実際のダイヤで試運転が行われたといいます。
流石に往復1000kmを越える距離を走ってくると所々エンジンは不具合を出して停止してお、ガスケット割れによるオイル漏れ等を起こしたりということが多発したそうで連日その修理に追われたと言われています。

さて、そんな中で興味を持ったのは宮原区に151系を配置すると言う記事でした。
既にご存知の方も多いかと思いますが、特急こだまを含む151系はすべて東京田町に配置してあったことから何らかの理由で大阪まで151系電車が到着できなかった場合は宮原区の153系が臨時特急として向かうこととなり、国鉄としては100円引き(現在の価格であれば1000円程度)割引で対応したと記録されていますが、旅客サービス上、好ましいことではないことはもちろんです。

かなりの頻度であったようで、当初は153系の種別表示板は巻取り式ではなくアクリルの板をはめ込む方式だったそうですが、「特急」という表示も用意されていたそうですからかなりの頻度で走ったのではないでしょうか。
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この記事を見ますと、サービスアップのため本年度中(昭和36年度)にもう11両を作成して、これを大阪に配置するというものでした。

余談ですが、昭和39年に静岡で発生したクロ151とダンプカーの衝突事故ではその煽りを受けて、大阪〜宇野間の区間運転の列車として80系旧型国電が7両編成で急きょ運転されたと記録されています。


80系電車による代用運転

資料画像は、Wikipedai参照

歴史にIFはないですが、仮にここで書かれているように、大阪に予備車配置が行われていたら、上記のような措置は無かったかもしれませんね。
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by blackcat_kat | 2016-06-21 21:08 | 電車