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2017年 03月 23日

貨車ブレーキのお話、足ブレーキのお話。

皆さまこんばんは、本当に久しぶりに更新させていただきます。画像は、京都の鉄道博物館に保存展示されている、ワム車の足ブレーキ部分をアップで撮影したものです。
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こうした、古い2軸貨車自体が殆ど廃車されてしまいましたので若い方ご存じない方も多いかと思いますが、1984年(昭和59年)まではこうした貨車が一般的であり、操車場と呼ばれる貨物の仕分けをするところでは数多くのこうした貨車を入替するために連結手が貨車に飛び乗ってブレーキをかけていたものでした。
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天鉄局のアルバムから

画像では判り難いですが、貨車に乗ってブレーキをかけている図になります。
ただ、このブレーキの装置が昭和27年頃までは上記の写真のような構造ではなかったそうで、ブレーキを踏んでもシューは固定せず、ピンを差し込む構造になっていたそうです。
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画像は当時の改良型の写真(第1図)(ブレーキイージー8形)

実際には、走行中に作業をしていたため、熟練を要するとともに触車事故なども多く、問題であったと昭和28年の国鉄線で出てきます。
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下記は当時の国鉄線昭和28年2月号に掲載されていた記事から引用させていただきます。
この記事によりますと、

一部本文から抜粋
簡易側ブレーキの取付
 従来からおこなわれている貨車のピン止式ブレーキについては、テコから足をすべらせたり、あるいは
いはピンをさず時尻を突き出したために傷害を受けるというような面、又は貨車の転動事政が各地に発生するといった面からこれが対策について研究されていた・・・一部略
改良された簡易側ブレーキは第一図に見られる通りである.本機の取付により、従来はビンの差し込みにかなりぶ熟練を嬰したのに比べ、新規採用の連結手も直ちに仕事につけうる点、傷害事故防止に役立つ点、制動効果が大きく.制動時分、制動距離が短縮される。

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出典 公益財団法人 交通協力会 国鉄線昭和28年 2月号から引用

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京都交通博物館で保存展示されているヨ50000緩急車

併せてこちらもご覧くださいませ。

http://blogs.yahoo.co.jp/blackcat_kat_2014/14320098.html

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by blackcat_kat | 2017-03-23 21:10 | 貨車
2017年 02月 01日

緩衝器のお話 (寝台車の乗り心地のお話)

今回は、緩衝器のお話をさせていただこうと思います。

客車の連結部を見ると連結器は目に入ってきますけれど、緩衝器と言うのはその後ろにあるものですから外観からは判り難いと思います。
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緩衝器と言うのは連結器の後ろに設けられる衝撃を緩和する装置で、車両相互の連結時や列車の発進(起動)、加速、減速、停止などの際に生じる、ショック(正負の加速度)を吸収して、衝撃による破損や不具合を防ぎ、乗り心地を良好に保つための装置ですあり連結器の間に設置されています。

20系寝台列車は、前位(下関方)側に油圧式、後位(東京方)側にゴム式の緩衝装置を設けることで衝撃を吸収出来る設計を採用しており、乗り心地は良かったと言われています。

それ以外の電車などでは、バネによる方式が開発されて使われて行ったようです

なお、参考に参照させていただいた写真等は、「日本製鋼所技報 No.66(2015.10)鉄道製品の歩みと将来展望」から引用させていただきました。
自動連結器の後ろにゴムなどによる緩衝装置を使っていましたが、昭和30年代には渦巻ばねを使った緩衝器も開発されたそうです。
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その後、昭和40年には、鉄道の輸送力増強に伴う編成成の長大化ならびに高速化が図られたことから、従来の渦巻きばね緩衝器では容量不足、更にはメンテナンス性の改善が考慮され始めたため、新しい国産形のゴム緩衝器が開発され。1965(昭和40)年に角型ゴムブロックによるゴム緩衝器が開発されたそうです。
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この緩衝器が、国鉄に採用されたことで、電車、機関車、気動車や貨車用と幅広く使用されたそうです。
それが、下図のシングル型緩衝器とよばれるもので、ゴム自体に圧力5t程度を加えた状態で押さえつけらた状
態になっています。
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ただし、この方式は、前後衝動をほとんど吸収・緩和できないため、乗り心地と言う面では大きく問題が残ることになりました。
20系ではその辺を配慮して油圧・ゴムと交互に緩衝器を並べることでその辺の問題を解決していたのですが、14系寝台車や24系寝台車では結果的には乗り心地が悪くなるという悪影響を与えることとなりました。
そこで、昭和55年には改良型の緩衝器が開発されました。
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(RD011形緩衝器)と呼ばれるタイプであり、従来の14系寝台や24系寝台のシングル形はこのタイプに改造されることになりました。
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構造的には、シングル形が常に一定の圧力(負圧)をかけられていたのに対して、ダブル形は両方から挟む形となっており負圧が0となっています、これにより引き出し方に問題があってもその差を吸収することが出来るようになりました。
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下記の図のように、合成された力により、前後衝動を吸収・緩和出来るようになったと言われています。

図表等は、日本製鋼所技報 No.66(2015.10)鉄道製品の歩みと将来展望のPDFから引用させていただきました。





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by blackcat_kat | 2017-02-01 00:06 | 客車
2017年 01月 10日

20系客車 ブレーキのお話

20系客車誕生

20系寝台列車は皆さんよくご存じだと思います。
昭和33年、「特急あさかぜ」としてデビューしたわけですが、この車両はそれまでの客車と大きく異なっていたのは、全車冷暖房装備の客車だったということです。
そのために、専用の電源車(マニ20)も用意され、専用電源車で発生した電力でオール電化された食堂車や冷暖房を行えるようになっていました。

ほんの3年程前までは冷房装置は1等寝台車と洋食堂車だけしかついていなかっただけに、大幅なサービス改善であったと言えましょう。
同時期に走っていた特急つばめ・はとが展望車以外は非冷房であったのと比べれば3等車まで冷房装備の「あさかぜ」がいかにあこがれを持ってみられていたかは容易に想像できそうです。
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さて、今回は20系客車のうち概略だけですがブレーキのお話をさせていただこうと思います。
客車としては、在来型の客車とは一線を引いていましたが、電化区間も東京~姫路まででありそれ以西は蒸気機関車牽引と言ううこともあり、ブレーキに関しては従来の客車と同じ方式が採用されました。
いわゆる自動ブレーキと呼ばれるもので、AS弁方式と呼ばれるもので、機関車側でブレーキ操作すると順次後方の客車にもブレーキがかかっていく方式であり、ブレーキの応答性は良いとは言えませんでした。
そのため最高速度も95km/hに制限されていました。
ただ、逆に在来型の客車とブレーキ方式が同じであったことから、昭和36年12月29日「特急さくら」に「準急あきよし」が追突、後部を大きく破損するなどした際には、10系客車を機関車の間につなぐことで混結運転が出来たという事実もあります。
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自動ブレーキ構成図 wikipediから引用

自動ブレーキの特徴は、構造が比較的簡単ですが、応答性が悪いという問題がありました。
それを改良したのが電磁弁を使った、電磁直通ブレーキと呼ばれるものが誕生しました。
20系客車も、元々は自動ブレーキであるASブレーキと呼ばれる従来のブレーキ方式でしたが、昭和43年10月のダイヤ改正に向けて速度向上の準備が昭和40年頃から進められていきました。

電磁弁により車両応答性を向上

さて、そんな20系客車ですが、電化の進展に伴うサービスの向上として昭和40年10月のダイヤ改正で製造された20系客車89両は、中継弁 (Relay valve)・電磁給排弁 (Electro-pneumatic valve)・ブレーキ率速度制御機能を付与した、「AREB増圧装置付き電磁自動空気ブレーキ」仕様で製造されました。
EF65-500番台(P型)が運用を開始したのも昭和41年からですので、新製された20系客車から110km/h運転がなされたのではないかと思慮しております。

その後、昭和43年の10月のダイヤ改正までに従来車も改造されて、20系客車の最高速度は110km/hとなりました。
これにより、機関車にも、下記のような特別な装備が必要となり、EF65(P)形には下記のような装備が付加された。
  • 編成増圧ブレーキ装置
  • 電磁指令ブレーキ回路
  • 元空気溜管 (MRP) 引き通し

なお、ブルートレイン増発が行われた際、東京発着がEF65で、関西発着のブルトレに関してはEF58がカムバックすることとなりましたが、関西ブルトレの場合最高速度を95km/hに抑えても十分ダイヤが組めたことも理由だと言われています。

それ故に、昭和50年頃でも特急あかつき・彗星などはEF58で牽引されていました。

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塚本駅にて撮影 EF58牽引の特急「彗星」






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by blackcat_kat | 2017-01-10 18:36 | 客車
2016年 12月 24日

回転式火の粉止めの話

ATSのお話は、改めて書かせていただきますが、今回は古い鉄道ピクトリアルで見かけた回転式火の粉止めのお話をさせていただこうと思います。
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その昔蒸気機関車から出る火の粉で沿線が火事になるという例が多数あったそうです。
「機関車やえもん」という童話でも、そのような記述がありましたね、もっともこの辺のお話は創作だとも言われていますが、
その前に、少し鉄道と沿線火災ということでお話をさせていただこうと思います。

日本で最初の火災事故は、明治6年1月27日であったそうで、北蒲田村で3戸、町屋村で1戸、八幡塚村で1戸、それぞれ民家が焼けたそうで折からの北風に煽られて被害が拡大したと記録されているそうです。
ただちに、東京府知事から工部省鉄道寮(当時の名称)に対して被害者に対する見舞金の給付の上申がなされたが、前例がなく、落雷による被害みたいなものだから補償はしないと言い切ってしまったそうで・・・。
ただ、最終的には、鉄道による火災事故は落雷による被害に様なものではあるが、「鉄道に対して悪い評判が出ても困るので、今回に限っては見舞金を出す」という方向で決まったそうです。
今から考えれば、何ともい上から目線な意見なのですが、それでも地域住民は大いに感激して見舞金を受け取ったそうです。

その後も、当然のことながら鉄道が延伸することで同様に問題が発生するわけで、そうなってくるとさすがに沿線の人も公害として認識してくるわけで、放置するわけにもいかず、鉄道長官名で各私設鉄道に対して下記のような通牒が発せられたそうです。

「機関車火粉噴出のため危険の虞ありとし沿線住民に於いて疑懼(ぎく)の念を抱くもの少なからざる趣地方庁より上申あり、これが取締方に付一層の警戒を加ふるに非ざれど沿道住民をして鉄道を嫌悪するの情を起こさしめ、その信用を害し、発達を阻止するに至るやも計り難し、依って各会社は其使用する機関車に構造完全なる防火網を装置するは勿論、その燃焼方法等を考慮し万一過失なきを期すへし。

と書かれており、「防火網」すなわち、火の粉止めの網を設けるということにされたようです。

さて、ここから本題なのですが。
回転式火の粉止め、現場では通称「クルクル〇ー」と俗語でも言われていたようですが、正式名称は「回転式火ノ粉止メ器」と称するもので理研金属工業株式会社が開発した実用考案品だそうです。
昭和29年から国鉄蒸気機関車に採用され、昭和32年からはほぼ全ての蒸気機関車に使われたと言われています。

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鉄道ピクトリアル1969年5月号 P80から引用

この、火の粉止め装着によるシンダ(煤)をかなりの範囲で防止できた反面、煙突内にシンダが多く残ることとなり使用しない場合よりも2.6倍も付着したほか当然のことながら燃焼効率も下がるので機関士には嫌われ、保守する側でも火の粉止め自体が煙突と固着してして外しにくかったりとかなり保守には手を焼いたそうです。

その後練炭や無煙炭などを使用することにより煙の発生を抑えることが出来るようになってきて外される例もあったようです。
特に当時の記録を見ていますと、数少なくなったSL(蒸気機関車)を撮影に行って回転式火の粉止めが付いていると外れだとぼやいたとか。機関区にお願いして外してもらうように依頼した・・・なんて記事もあったりしますが。

蒸気機関車と回転式火ノ粉止めは切り離せなかったようですね。
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by blackcat_kat | 2016-12-24 14:38 | 蒸気機関車
2016年 12月 03日

ATSと車内警報装置

ATSと言う言葉は聞いたことがあると思いますが、ATSの歴史について簡単に振り返ってみたいと思います。
出来るだけ、判りやすい言葉で書かせていただこうと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
本日は、ATSのお話をさせていただこうと思います。

現在はJR各社並びに中堅私鉄などでは保安装置の一環としてATSですが、日本工業規格JIS E3013(鉄道信号保安用語)によりますと、下記のように定義されています。

「自動列車停止装置」 列車が停止信号に接近すると,列車を自動的に停止させる装置。ATS (automatic train stop device) ともいう。

ATS前史

ATS自体は戦前からあり、銀座線で採用されていたような打子式(信号が赤の場合、バーが立ち上がり車両の非常ブレーキバーを操作するもので、非常ブレーキがかかると言う原始的な方式。
昭和16年には当時の鉄道省でリレーを使用した速度照査式のATSが開発されましたが、太平洋戦争が始まったこともあり設置は結局中止となってしまいました。

軌道電流方式のATSが採用されたのは、 都営地下鉄1号線(現在の浅草線)に相互乗り入れの京成押上線とともに採用されたのが最初だそうです。
国鉄に有ってはATS設置の機運となったのは昭和37年の三河島事故がその起因とされており、それ以前は国鉄にはATSすら設置されていませんでした。

ただ、東海道線などの列車本数が多かった区間ではATSのもととなった車内警報装置が設置されていました。

前置きが長くなりましたが、今回はATS-Sの前身である車内警報装置についてお話をさせていただこうと思います。

車内警報装置に関する話を昭和32年の国鉄線から抜粋したいと思います。

昭和32年に計画された車内警報装置は、3種類で、A型・B型・C型に分類されていました。
いずれも、警報を発するだけで、非常ブレーキの動作などを行うことは無く、運転士の注意を促すものでしかありませんでした。

以下、国鉄線から記事を参考に書かせていただきます。

A型・・・自動信号機用軌道回路の信号現示に応じた信号電流を流すもので、将来車内信号表示や自動列車制御装置などを作る際に手戻りなく移行させることが出来るそうで、重要幹線(東京~姫路間)で採用、速度もブレーキ距離も異なる列車が混在すため、警報発信後も赤ランプなどを点灯すると言った方式を考えており結果的には導入されなかったようです。・・・1970年までにATS-Sに移行されています。

B型・・・山手、京浜東北線の昭和28年頃から採用されている方式で、昭和32年度中には、中央線、総武線の電車にも取付けられる予定となっているそうで、自動信号機が赤の場合に流れる電流値が異なることを利用して、警報を発すると同時に車内警報ランプを白色灯から赤色灯に変えるそう、乗務員がこれを確認して押ボタンを押すと、警報が止み白色灯となる。というものです。
当然のことながら自動停止機能はありません。

C型は非自動信号区間(腕木式信号機&タブレットを使用する線区)にも取付けられるので、急行、準急等の高速度列車が運転される区間でA型、B型が取付けられない線区に設けられるもので、誘導電流の応仕組みを応用したものでした。
下図を参照
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腕木式信号機が進行の場合は、車上子の回路が出来ていますので誘導電流が発生する、逆に停止現示の場合は誘導電流は発生しないのでリレーが作用してベルが鳴動するようです。

なお、車内警報装置は、昭和34年5月までには下記の線区で整備されたそうです。

A形(東京~大阪556.4km)
B形(南武線・阪和線・城東線・西成線・片町線)
C形(裏縦貫(日本海縦貫)線で設置、南部線を除くB形は使用、その他は試用を開始

昭和33年3月17日には、西成線(後の桜島線)及び片町線で試験が行われたそうです。
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ただし、こうした車内警報装置はあくまでも、警報を発するだけであり、確認操作後ブレーキ操作をしなければ衝突する事故を起こしかねず、実際昭和35年1月1日は、準急「はまな」号が東京駅構内で停車中の横須賀線電車に追突して、重軽傷者23人を出す事故を起こしています。
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この時は幸い死傷者が無かったのですが、さらに2年後の昭和37年には三河島事故を起こして死者160人、負傷者296人を出す大惨事となり、この事故をきっかけにATSの本格的導入が検討されることとなりましたが、この時も車内警報装置に自動停止機能を加えたものであり、ATSとしては不十分なものでありその後も何度か追突事故などを起こしていました。
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運輸省制定のATSの話はまた別の機会にさせていただきます。

なお、ATSに関するさらに詳細なお話などは、後日もう少し調べてからアップさせていただきます。m(__)m
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by blackcat_kat | 2016-12-03 09:11 | 線路
2016年 10月 30日

安全側線

久々にこちらにも投稿させていただこうともいます。
今後は出来るだけ投稿をしていきますので、よろしくお願いいたします。

さて、今回は安全側線についてお話したいと思います。

皆さんは、単線区間でこんな風景を見たことは無いでしょうか。
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これは、列車交換で屋名倉駅に停車中に車内から撮影したものですが、左側の線路、左側にさらに延びる錆びた線路が見えるでしょうか。

さらに、注意深く見ていただくと左側の線路に乗っかるように線路がかぶさっています。
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これでは、電車が脱線してしまいますよね。
これはわざと脱線させるための、脱線転轍機と呼ばれるもので、
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赤い丸で囲んだところに、白地に赤の板が見えると思いますが、これが脱線転轍機標識になります。

なぜ、このような設備があるのでしょうか。

これは。万が一信号現示を無視した場合でも本線に列車が進入しないようにするため、わざと脱線させることを目的としているのですが、昭和31年10月15日18時22分に発生した、参宮線での六軒駅事故や三河島事故などは安全側線があっても守れなかった事故であり、必ずしもこの機械的装置があることで十分な安全を確保できるものではありませんが、現在も単線区間ではこうした設備が残っているところがあります。

この転轍機は、実は進行方向を遮る
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この方向が定位(正常な位置という意味)であり、
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このように通常の列車の進行を妨げないようになっている状態を反位(正常な位置ではないと言う意味)という言い方をします。
奈良線のように、CTC化されている場合は集中制御盤で信号機と連動して動作するようになっており、自動信号化前は、信号係(掛)が重いバーをひとつづつ確認しながら連動させて操作していました。

今回図らずも、奈良線を見ていますと。
こうした古い側線が多数みることが出来ました。

ただ、新しく部分複線にした区間などでは、安全側線の転轍機が従来の脱線転轍機ではなく普通の転轍機でを使っている場合が多いようです。

画像の説明文字が間違えていました。転轍機→転轍器の誤りです。お詫び申し上げます。
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by blackcat_kat | 2016-10-30 23:09 | 線路
2016年 06月 26日

旧型国電と冷房

今でこそ、冷房は当たり前になってむしろ窓が開く鉄道車両のほうが珍しくなってしまいました。
窓を固定式にするというのは、鉄道事業者にとってもメリットが実は大きいんですね。
窓が開くということは、底から乗客が手や顔を出すリスクがあります。
下降式窓なら手や顔を出すことは考えにくいですが、上昇式窓などでは手や顔を出してなんていうことはよくありました。

国鉄の場合特急は157系以外は製造当初から、157系は元々準急用としてデビューしたので冷房改造が行われたのは、昭和38年から、寝台車などは昭和40年代から現在のB寝台が冷房化が始まり急行列車もその前後から冷房改造が始まりました。

通勤電車に至っては昭和45年頃に冷房の試作改造などが行われたころからであり、旧型国電と呼ばれる、73形通勤電車や70系・80系と通称される電車にあっても冷房化はなされることはありませんでした。

個人的には300番台はデザイン的にもその後誕生する113系などと比べても見劣りしなかったので冷房化改造や新性能化改造して欲しかったなぁと個人的に思っているのですが、実は80系電車1両だけ冷房化された車両がありました。

これは、151系を設計する際に実際にユニットクーラーを取り付けてみることで夏場の空調の問題点を探ろうとしたもので、1957年8月にサロ85020に大井工場で改造工事が施され、屋根上に分散式冷房装置4基、床下にMGを搭載する改造工事が施工されたそうです。
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これが旧型国電では唯一の冷房改造車だと記憶しています。

なお、この話には後日談があるようで、試験終了後はクーラーは取り外されたそうで、当時の国鉄における考え方がよくわかるというものです。

昭和30年代というのは1等車・・・冷房付き、2等以下。基本は冷房なし、食堂車・・・冷房付き(黄害対策)のためであり、それでもすべての食堂車が冷房化されていたわけではなく、半室食堂車(オハシ30)などは最後まで冷房化されることはなかったですね。

歴史にIFはないですが、せめて模型の世界だけでも80系電車300番台に冷房装置を付けたりして遊んでみたいものですね。

鉄道・飛行機

歴史
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by blackcat_kat | 2016-06-26 13:05 | 電車