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日本国有鉄道研究家 blackcatの鉄道技術昔話

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2021年 10月 03日

小田急電鉄における強制振子試験が行われた話

私鉄でも研究された振子電車(小田急電鉄の場合)

現在、JRでは国鉄形の381系電車や、JR九州の881系、883系、JR四国では8000系、8600系、JR西日本では283系等が走っていますが、実は小田急でも振り子式電車の試験が行われたことがありました。
実は、小田急の振り子電車が歴史としては一番古いのではないでしょうか。
今回は、小田急が実施した振り子式電車の話を中心に振り子式電車の歴史を語っていきたいと思います。

自然振り子式で研究開始

小田急では、NSE車製造に際して、自然振り子式の台車を開発して連接部に使用することが計画されたそうです。

小田急電鉄における強制振子試験が行われた話_a0091267_21250371.jpg
画像 wikipedia

右図参照
小田急電鉄における強制振子試験が行われた話_a0091267_23224561.jpg
 この台車は、小田急と住友金属工業の共同設計で製作されたもので、車体の高い位置に空気バネを持ってきて、重心より車体支持点が高いことを利用して、車体を傾斜させようとしたものでした。
右の図を見ていただくと判りますが、かなり上部に車体支持点が来ることが判っていただけると思います。

試験の結果、この方式では、
  • 横剛性の不足
  • 左右振動性能の低下
がみられる(まぁ、空気バネ自身が変位して行くわけですから当然と言えば当然なのですが)ことから、 実用化は見送られたそうです。

小田急電鉄における強制振子試験が行われた話_a0091267_22383517.jpg

こうした自然振子式は、重心が外側に大きく傾くことから、離心率が高くなり、転ぶくに対する安全率がやや低くなるので、車体の心皿附近を中心に内傾させる方が安定を得られるのではないかというアイデアに発展したそうで、この方式を最初に採用したのが、国鉄の591系振子式試験電車でした。【後述】

強制振り子式の試験

昭和37年には、油圧制御による強制振子方式が試験されることとなり、( CI 車・・ Curve Inclination car)と呼ばれる車両が試作されました。
油圧による強制車体傾斜を行うもので、車体を 8度まで傾けることが可能で、半径400m と 360mの S 曲線を速度 95km/hで走行して、効果を実証することができた、と記録されています。
C I 車は、車体強制傾斜の自動制御として新技術開発については、高く評価されたものの、構造上並びにコスト上の問題を解決する必要があるとして見送られることとなりました。

小田急電鉄における強制振子試験が行われた話_a0091267_22381360.jpg
振り子式の場合、制御に際しては、万一、カントを逆方向で通過しようとした場合にも支障が無いようにする工夫が必要でした。

自然振り子式は、構造的に重心が高くなるので、乗り心地が悪くなると言われています。
また、車体の回転部の摩擦で、振り遅れが生じるとも言われています。
強制振り子式の場合は、事前に傾けておくことが可能ですが、前述のようにカントを逆方向で通過しようとした場合にも支障が無いような補償が必要になります。
小田急電鉄における強制振子試験が行われた話_a0091267_23450677.jpg




















画像は、いずれも交通技術1971年1月号の記事から引用

斯様に、小田急では比較的早い時期から振子台車の研究が進められましたが、結果的には十分な成果が得られず、NSE車【小田急3100形】導入時には、振り子式は導入されませんでした。
その後も強制式振子台車の研究は進められ、昭和43年には空気バネのダイヤフラム部分を伸縮させる方法を研究したそうです。さらに、昭和45年には「運輸省試験研究補助金」を得て、「空気ばねを利用した車体傾斜制御による高速車両の試験研究」として研究が行われ三菱電機・住友金属・小田急の3社で以下のような試験が行われたそうです。
小田急電鉄における強制振子試験が行われた話_a0091267_21491435.jpg

CIカーの場合は油圧制御でしたが、この場合は車両の台車に空気を入れて傾けるという方式であった、ただし空気の場合は油圧と異なり圧縮性が高いので十分な空気を適切なタイミングで送り込まないと十分な傾斜を得られないという問題が生じることとなり、その辺は特に考慮されたようです。
以下は、試作のダイヤフラム型の台車で、動力の伝達はボルスタアンカーで伝達するようになっているのがご理解いただけるかと思います。
小田急電鉄における強制振子試験が行われた話_a0091267_21522312.jpg
小田急電鉄の資料によりますと、空気バネのストロークは、一般の台車が40mmであるのに対して、100mmと倍以上のストロークがあり、理論上は6度まで傾けることが出来るが、車両限界などを考慮して、5.5度に設定したと書かれています。
なお、車体の傾斜に関しては横Gを検知してから空気バネへ指令を出すとのことであり、多少のタイムラグが生じることはやむを得ないと言うことであったようです。



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# by blackcat_kat | 2021-10-03 22:22 | 電車
2021年 07月 22日

幻に終わったEH50形電気機関車


古い鉄道ピクトリアルの記事を参考に幻の機関車夜なったEH50のお話をさせていただきます。

東京~大阪間 6時間30分の可能性

昭和31年11月19日、最後まで残っていた、米原~京都間が電化され、晴れて東海道本線は、支線の美濃赤坂線、北方貨物線を除き全線電化が完成し、EH10による貨物列車の運転が始まると、旅客列車も2500Kwの強力機関車で東京~大阪間を6時間半程度で運転できないかと言う意見が起こってきました。

そこで、実際に高速列車に必要な条件を探るべく、EH10 15号機で高速試験を行うこととなりました。
幻に終わったEH50形電気機関車_a0091267_21514102.png
この時製作されたEH1015は、昭和30年度に製作された23両中の1両で、特に高速試験用と指定して製作されたもので、次ページのように他の車両とは異なる特徴がありました。
幻に終わったEH50形電気機関車_a0091267_21532555.png
EH10 15は特別仕様?

機関車のモーターは、新技術を採用して、小型軽量化されており、従来のEH10用モーターMT43よりも1,000kgも軽い、2,500kgとなっていました。
また、モーターはH種絶縁ですが、試験に際してはB種までの温度しか許容しないとしています。回転数も更に上げることも可能でしたが、将来的にEH10に戻すことも考慮して、モーターの回転数は1000rpmで押さえるとともに、性能的には歯数比を変更することで本来の貨物用機関車に戻せるようになっていました。
歯数比は、旅客用 23:71、貨物用 17:77であり、歯数比を貨物用にすれば、15も貨物用として活躍できるようになっていました。
また、通常のEH10が黒色であったのに対して、ぶどう色二号の塗装となりました。

幻に終わったEH50形電気機関車_a0091267_21574513.png
ブレーキ装置は、高速運転に備えて、電磁直通ブレーキを採用し、当時としては画期的な方法であった。列車を貫通する直通管と電気回路引き通しを設け、空気指令を受けて各車両の電磁弁を作用、各車両のブレーキをほぼ同時に掛けることができ、空走時間も小さく、小刻みなブレーキ操作ができるなどの特徴が有りました。【80系電車などで採用された方式】


高速試験開始前に、特急つばめ牽引

12月5日と6日の二日間、東京~米原間で特急つばめ牽引による試験が行われた。EH10の後部に試験車、次位に客車暖房用をかねてEF58+つばめ号の編成で、12月5日は下り列車、翌6日は上り列車を牽引して東京に戻ったそうです。

高速試験 昭和30年12月11日~15日

満を持して、高速試験が昭和30年12月11日から以下の日程で開始されたそうです。
12月11日 準備及び打合せ
12月12日 試験、但しEH1015機関車振動関係の測定
12月13日 試験、但しEH1015機関車振動関係の測定
12月14日 ナハ10、車両振動関係の測定
12月15日 測定装置取り外し
試験区間等は下記の通り

試験区間 東海道本線 金谷~浜松間下り本線
測定箇所・試験計画速度 (測定箇所は省略)
車両振動関係、ナハ10台車応力関係、列車風(窓に及ぼす風圧)関係の測定は車上でおこなった。
幻に終わったEH50形電気機関車_a0091267_21593207.png
120km/hの速度試験が行われた結果は、結論から言うと機関車側は問題は無いが客車に関してはもう少し検討を要するということでした。
特に、ナハ10の場合軽量化していることもあって横圧が意外と大きいこと、車輪の偏心などによる振動が大きいことなど、問題があったとされていますが、EH10に関しては非常に良い乗り心地で、EF58よりも乗り心地は良かったと言われており、95km/hで80km/hで運転中のEF58よりも乗り心地は良かったと記録が残っています。

その後昭和31年にも空気ブレーキの試験なども行われたそうです。

並行して計画された高出力電気機関車計画

機関車、客車双方の試験を行った結果、ナハ10形客車による横圧の問題や、応力の問題なども含めて全体で考慮する点はありましたが、6時間半程度の運転であれば、機関車列車でも問題は無いのではないかと言うことで、新形機関車の設計構想もスタートしていたようです。

幻に終わったEH50形電気機関車_a0091267_22024612.png
最終的には、電車に軍配が

昭和30年代当初、試験結果から120km/h運転は可能であるが、ナハ10が軸重が軽い割には、曲線区間における横圧【レールを外に押し出そうとする力】が大きい傾向にあるほか、橋脚では、その構造物(レンガ部分)に亀裂を生じさせるほどの力が働く可能性があると指摘されており、軌道の強化を必要とすると考えられているようです。

さらに、101系電車による高加減速が実現しつつあるとき、勾配や曲線の多い在来線では、床下に電気機器が多いことによる保守費の増大などを考慮しても、トータルで判断すると、電車での可能性が高いとして、その後は寝台車などの特殊な例を除き、原則として動力分散方式で行われることとなりました。


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# by blackcat_kat | 2021-07-22 22:06 | 電気機関車
2021年 05月 30日

国鉄における保安装置、デッドマン装置とEB装置 第二話

電車には改良型デッドマン装置、機関車にはEB装置の改良型

電車には昭和35年頃からデッドマン装置の設置が検討され、昭和36年からは本格的な開発が始まりました。
同じように、機関車でもデッドマン装置の開発は進められていたようで、昭和32年にDD13形に採用されたデッドマン装置

国鉄における保安装置、デッドマン装置とEB装置 第一話

に記載しましたが、一定時間(4秒以内)の猶予を置いて瞥報及びプレーキの非常吐出を行い、機関車の停止を行わせるという装置が採用されていましたが、この場合は、ハンドルから手を離しても、4秒以内に主ハンドルを押下げれば機関の遊転、非常プレーキはかからないで原状のままで運転を継続することが出来るとあるように、常に押さえつけておくことが組合からは、「肉体的苦痛である」として反対の対象となりました。

EB装置は、ED30で試用

に記載しましたが、主幹制御器の主または単弁ハンドル或いは逆転・交直切換ハンドルが、いずれかの位置をとってから30秒(25~90秒に調整可能〉経過する間に確認ボタンを押すか、なんらかのハンドル操作を行なわなければ、自動的に非常プレーキがかかつて列車は停止するようになっている。【下線筆者】と有るように、現在のEB装置に近いものが試作されました。
これにより、その後国鉄はEB装置の整備を行うことで、機関助士を廃止して、一人乗務を導入しようとするのですが、組合【特に動労】の強い反対を受ける事になりました。
電車は、さほど底まで強い反対運動がなかったというか、もともと電車の場合は原則一人乗務(特急など一部列車を除く)であったことから、大きな問題とはなりませんでしたし。デッドマン装置も足踏み式だけでなく、手で操作可能な手スイッチ追加されていきますが。当初の予定では、昭和39年度までに電車・気動車に設置するとされていました。
国労では、デッドマン装置を労働強化として反対

国鉄では、デッドマン装置は常にハンドルを押さえつけておくことは、労働強化になるとして一貫として反対を唱えていました。
まぁ、その辺の資料を今一度探してみたのですが、動労の記述にあったように思うのですが、すぐに出てきませんのでまた見つけることが出来れば追記したいと思います。
ただ、昭和30年代は、国鉄当局側に組合を押さえ込もうという気概があり、組合としても強くい踏み出せないところが有ったの事実のようです。
しかし、その転機はやはり三河島事故にあると思えます。
ここでは、その責を問われるのは、機関士が信号を冒進したことでブレーキ操作が遅れ安全側線に進入して脱線したこと。
その後の列車防護がまずく、対向列車の停止手配などが遅れたことで、より多くの犠牲を出してしまったのですが、この頃から組合の活動【特に動労】が強くなっていくようで、徐々に動労に押されていく当局の姿が見えます。
その辺は技術解説と趣旨ではないので省略します。

国鉄時代はEB装置は、初期は機関車のみ
EB装置自体は昭和44年頃から設置されていましたが、昭和45年6月から12両で試行を開始、問題点を解消しながら、昭和46年9月15日からは、拡大試行として300両で試行を行なったそうです。
一人乗務に対する反対闘争もあって、実施が遅れたものの、昭和46年7月15日に組合との協議が整い、昭和47年6月15日から全線区一斉にEB装置の使用開始とELの一人乗務が始まったそうです。
国鉄における保安装置、デッドマン装置とEB装置 第二話_a0091267_21305127.jpg
たそうで、これに伴い深夜に渡る業務以外は一人乗務化が行われることになったと言われています。
交通年鑑 昭和48年 動力車乗務員の運用 EB装置の本格実施と言う項目には以下のように書かれていました。
少し引用してみたいと思います。
EB装置はEmergencyBrake (緊急自動停止装置〕の頭文字をとってEB装置と呼んでいる。乗務員の仮眠あるいは失神時など乗務員が作業のできない状態であることを感知し、警報を発し、列車を停止させる装置であり、乗務員の運転操縦を補完する機器である。この装置はELとDLに取付けられ47年3月末に約3000両に達した。第3次にわたる試行を重ねた結果、47年5月に各労組間で使用にともなう労働条件が締結し、47年6月15日を期して全線区一斉に使用開始した。これにともないEL・DL乗組基準の一部改正が行なわれた。すなわち2人乗務の対象であった深夜2時間30分以上の列車に乗務する場合とノンストップ2時間以上の列車については人乗務とすることになったのである。
電車にEB装置が試行されるのは昭和55年以降
なお、電車や気動車のEB装置試行はずっと遅くて昭和52年頃には既存車両にもEB装置を設置するとされていますが、実際に試行が始まったのは昭和55年度に入ってからのようです。 
さらに、本格的にEB装置の使用を労使交渉でまとまったのは、昭和60年であった(交渉日付は未確認)そうです。
国鉄における保安装置、デッドマン装置とEB装置 第二話_a0091267_21462765.jpg

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# by blackcat_kat | 2021-05-30 21:47 | 電車
2021年 05月 02日

国鉄における保安装置、デッドマン装置とEB装置 第一話


保安設備と鉄道
鉄道は装置産業と言われるほど、多くのシステムで構成されています。現在の列車の保安装置だけを見ても、ATS・ATC・EB装置・TE装置と言った感じで、ATSとかATCといえば、何となく判るかと判るかと思いますが、EB装置とTE装置の違いはと言われて明確に判るでしょうか?
実は私も曖昧だったので、今一度その歴史を含めて見直してみたのがこちらのblogになります。
基本的には、ATSやATCが信号と連動する保安装置であるのに対して、EB装置や、TE装置は途中で何らかのトラブルが発生したときに対応する装置であると言えそうです。
特に、EB装置は、乗務員が不測の事態(失神などで意識を失った状態など)になった時に非常ブレーキをかけて停止させることを目的としたもので。EBの意味は、(Emergency Brake)の略とされています。詳細は後述します。
また、TE装置は、(One Touch Emergency Device)のTouch Emergencyの略とされていますがこちらも、詳細は後述します。
さらに、EB装置が開発される以前には、デッドマン装置と呼ばれる保安装置が電車などに設置されていました。
なお、国鉄では昭和36年以降デッドマン装置の開発が進められ、電車・気動車と機関車で異なるデッドマン装置が開発されることとなりました。
なお、国鉄ではデッドマンという呼称が余りよくなかったからか、デッドマン改め、EB装置という言い方をしていますが、実際には動揺のものです。
ただし、私鉄などで採用されるデッドマン装置が常にスイッチを押し続ける(マスコンハンドルのレバーと一体化したものが多い)のに対して、国鉄(JR)の装置は一定時間操作しないと警報を発して、停止措置を行なうと言う点で異なっています。

TE装置以降は、次回に詳細を書かせていただきます。

デッドマン装置とは
読んで字のごとくですが、運転士が不測の事態(意識を失うなど)の状態になった際に、直ちにブレーキがかかると言うことを目的としたもので、運転中に運転士が常に保持していなければならない装置部品が取り付けられているものとされており、ワンハンドルマスコンの場合は、両側のバー下部にスイッチが設けられているほか、足踏み式のレバーであったり、マスコンを抑え込んでいないと直ちにブレーキがかかるといったものが一般的でした。
他にも、国鉄の車両の場合は、機関車に設置されたEB装置(後述)が一般化しており、一定時間何らかの操作を行なわないとブレーキ装置がかかるというもので、後述のDD13形で試用されているデッドマン装置が、その原形と言えそうです。
なお、デッドマン装置は電車にも装備され、古い101系などでは足踏み式のデッドマン装置が残されたりしていました。
(電車も後に、機関車で使用されたEB装置に変更されることになります)

国鉄時代に設置された、デッドマン装置
機関車では、DD13形にデッドマン装置が設備されたという記録があります。
以下、交通技術という国鉄部内紙に掲載されていた記事から引用します。
v)デッドマン装置もこの機関車の特徴の一つである。即ち在来の動力車に用いられたデッドマン装置は単に力行回路をしゃ断するに止ったが、この機関車では、さらに瞥報及び一定時聞を経てプレーキの非常吐出を行い、機関車の停止にまで発展せしめたもので、一般動力車にも適用しうるようその成績が期待される。即ち逆転機の中立、主ハンドルの切位置以外にあるときは、主ハンドルを常時下方に押下けていなければならない。手を放すと接点が切れてベル瞥報が鳴り、約4秒後には機関を遊転に、変速機を中立にもどすとともに非常プレーキを作用させる。一度非常プレーキが作用すると、ハンドルを切位置に戻さぬと元に復さないが、4秒以内に気付いたときは主ハンドルを押下げれば機関の遊転、非常プレーキはかからないで原状のままで運転を継続することが出来る。

交通技術_1957-11から引用
内容的には、デッドマンと言うよりも後のEB装置に近いもののように見えます。
実際、機関車乗務員の助士廃止に際しては、この改良型と言える装置(EB装置)が昭和44年中に改造工事で機関車に取り付けられています。
合わせて無線による入換え作業の実施などの合理化が行なわれています。

電車のデッドマン装置の設置は、三河島事故が契機とされています。
このときデッドマン装置の整備と合わせて、前照灯の強化、車内放送装置の整備などが併せて行なわれています。
国鉄における保安装置、デッドマン装置とEB装置 第一話_a0091267_09401642.png
出典:国鉄監査報告書 昭和37年

なお、デッドマン装置自体は昭和36年から技術課題として設置されていた模様で古い101系などに足踏み式のデッドマン装置が設置されたそうですが、その概要を当時の国鉄部内紙、交通技術(1963年10月号)に掲載されていましたのでアップさせていただきます。

電車の仕組は、足踏スイッチとブザ・限時継電器とからなり、その機能は、運転士が足踏スイッチを踏んでいるときは、ブザや継電器に通電せず、非常プレーキ回路にも通電しない、ところが何等かの事故で足踏スイッチ上の足を離すと、パネでスイッチ接点がつき、ブザ鳴動と同時に限時継電器が動作し、一定時間を過ぎると接点を閉じ、非常プレーキがかかるようになっている。この余裕1時間は0.3~180秒間変化さられるが、現在10秒を標準にセットされており、足踏スイッヲの2段踏込みにより笛弁テコをj-1\1し空気筒のl火も可能である。ディーゼル動半の場合は、限時継電器動作と同時に機関をアイドルにする。
なお、機関車の場合は一定時間の操作がないと警告がなるというもので、EB装置の原形といえるもので、ED30形電気機関車に導入されました。
再び、引用させていただこうと思います。
ED30形機関車のものは、小型継電器・コンデンサや抵抗器を組み合わせて時限を取る投入遅延時限継電器二組と速度継電器一組を組み合わせてデッドマン装置として動作させるもので、速度検出器・主幹制御器ハンドル・確認押しボタン・警報ブザ等から構成されている。その機能は主幹制御器の主または単弁ハンドル或いは逆転・交直切換ハンドルが、いずれかの位置をとってから30秒(25~90秒に調整可能〉経過する間に確認ボタンを押すか、なんらかのハンドル操作を行なわなければ、自動的に非常プレーキがかかつて列車は停止するようになっている。反対にハンドル操作・確認扱いによって、一旦回路を切れば、つぎにその時点を起点として、再び30秒間が刻まれる。もちろん動いていないときは、速度検出器が動作しないから、デッドマン装置は作用しない。
引用:交通技術(1963年10月号)

ED30形に設置されたデッドマン装置は後のEB装置に近いものであることが判ります。

電車にはその後改良型デッドマン装置を取り付け
電車に関しては、その後改良が加えられて、足踏ペタルを左右二カ所設置したうえ、手で操作可能な手スイッチ追加されて、そのいずれかを作用させていることでデッドマン装置が作用するようになっていたようです。

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# by blackcat_kat | 2021-05-02 10:41 | 保安装置
2021年 02月 22日

交流電気機関車の話 第1話

動画でも解説していますので合わせてご覧ください。


商用周波数による交流電化の成功
交流電化のメリットは、以下のようなメリットがあるとされていました
  • 高電圧で送ることで、熱損失などの送電ロスが少なく、架線を直流電化と比べれば細くできる上、き電線も不要となる。
  • 電動機制御は、変圧器で任意に選べるので、モーターの効率は良い。
  • 上記に関連して、空転を制御しやすいくなるので結果的に粘着が容易になる
と言ったメリットがある反面、後述する整流器式を採用したため、機関車に直流変電所を設置したようなものとなりますので、不経済ではないかという意見がありました。
なお、交流電化に関してはフランスの事例を参考にしていますが、フランスの方式の模倣ではなく、独自路線による開発でした。
これは、当初フランスからの試作機関車を導入しようとした際、本格的な電化時にも大量の機関車購入が条件だったとかで、国鉄側が難色を示し、結果的にメーカーと国鉄技術陣による開発であったと聞いています。
さて、国鉄として交流電化は、それまでの従来の直流電化方式と比べて、変電所の数を減らせることなどから、工事費が大幅に安くなるとして、亜幹線と呼ばれる地方線区であっても電化のメリットが十分得られるとしていました。
叉、交流電化の場合帰線(レールを通じて電流が帰る)際に、地中などに埋め込まれている通信線に誘導電流が流れる事による通信障害が発生するため、その対策が必要でした。

交流機関車の試作
国鉄では、比較のため、直接式(交流電源をそのまま変圧器で電圧を下げてモーターの直接流す方式で、当初は本命視されていました)

  • 直接式
  • 間接(整流器)式

直接式の構造
直接式機関車は、変圧器で降圧した電気を直接モーターに流す方式で、変圧器の低圧側を直流機関車の抵抗に見立てるもので、回転子と固定子の間で起電力(回転する力が生じる)上、起動時には派手な火花がでることを抑えることが出来ないため、走行中は派手に火花が飛ぶと言われています。
実際に、試験中にも派手な火花を飛ばしながら起動したと言われており、決して効率の良いものではなかったそうです。

間接(整流器)式の構造
間接(整流器)式は、機関車に変電所を設けたようなもので、変圧器の他に水銀整流器(詳細は後述)を搭載して、さらに整流された電流を平滑リアクトル(大きなコイル)と呼ばれる装置で、なめらかな直流にするための装備が必要になり、機関車自体は重くなります。
そうした意味で、技術陣としては、まだまだ当時の軌道は貧弱であったため、少しでも軽量化できる車両を求めていたのでした。
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整流器式の整流のイメージ。整流器を通しただけでは半波整流となるため、これをリアクトルを通すことで、脈流を減らすことになります。
リアクトル、大きなコイルに電流を流すと電磁石になるのは、実験で習ったことが有るかと思いますが、リアクトルは大きな電磁石を作ることで山を削り、その土を谷に埋めるそんなイメージを電気的に作り出していきます。
強力なリアクトルにするほど平滑度は高まりますが、その分コイルの巻き数が増えるので重くなるという欠点があります。

整流器式で使われる水銀整流器とは?

  • 水銀整流器とは?
水銀と炭素棒を電極にして、その間に電流を流すもので、内部は真空となっています。
陰極(炭素棒)が過熱しないように、冷却されやすいように大きな空間が設けられていました。
下の写真は、水銀整流器の写真です。
交流電気機関車の話 第1話_a0091267_12414407.jpg
川崎市 電車とバスの博物館 内展示物 水銀整流器

水銀整流器の原理

 一言で言えば、水銀蒸気で、電極を構成するものです。
 ただし、蒸気が消えないうちに再度電極が戻ると逆弧と言ってショートしてしまうため、冷却させる必要がありました。
下図は、代表的な水銀整流器の回路図を示したもので、励弧極から陰極に最初アークが走り、その後陽極から陰極の間にアークが流れることで整流が開始されます。(当然のことながら、極性が変わるとアークが消滅と発生を繰り返す、ただし過熱してくると、陽極からのアークが消えないうちに極性が変わるのでショートするため、冷却管で冷やすようにされていました。
実際には、連続運転では過熱する事もあるので、その対策には苦慮したとも言われています。
交流電気機関車の話 第1話_a0091267_12413630.gif
図はwikipediaから引用

鉄道用の場合振動も多く、熱も持つため金属製で冷却装置を付加した。鉄製の水銀整流器が使われていました。
交流電気機関車の話 第1話_a0091267_20365116.jpg
画像はED72・73に使用されていた鉄製水銀整流器(上部の黒い部分が冷却装置)白いカバーがあるのが主陽極。京都鉄道博物館にて撮影

本命は、直接式ではなく、整流器式になった理由は?

比較試験の結果、当初技術陣が本命と思っていた、直接式ではなく整流器式の方にその軍配が上がることとなりました。
その、主な理由は下記のような点があったと言われています。

  • 整流器式は、牽引力が大きかったから
  直接式が25‰勾配上における列車の引き出し試験では420tしかなかった。(整流器式は600tが可能だった)
  • 位相制御による連続的な制御が行えたから
  整流装置の出力を連続的に変更することで制御が可能となっていた。

ただし、以下のような欠点もありました。
  • 車体重量は、変圧器に加えて整流器を搭載するため、直接式よりも重くなる
  • 水銀整流器の寿命が当時は5年から10年と言われていた。

国鉄としては、交流電化に際しては電気機関車は、4動軸で6動軸並みの粘着力を期待できる機関車として、重量面での不利はあるとしても圧倒的に有利な間接式を採用することとし、引き続き比較のために、ED45形の2次形として下記の二両が製造されることになりました。


ED45 11後に改番で(ED91 11)東芝製
  • ED45 1で保守上問題となった変圧器を保守の楽な乾式とし、整流器は風冷式とした。
  • 低圧無電弧タップを切る方式を開発した。
  • 駆動方式は従来の吊りかけ式を採用
交流電気機関車の話 第1話_a0091267_21070312.jpg
ED45 21後に改番で(ED91 21)日立製
  • 同社が得意としたエキサイトロン水銀整流器を採用。東芝が提示したイグナイトロンとの比較が行われた。
  • 高圧タップを採用することで制御電流量の増加を図り、弱め界磁を併用することで出力を1,640kWまで引き上げた。
  • 駆動方式はクイル式を採用
交流電気機関車の話 第1話_a0091267_21071026.jpg

二枚ともwikipediaから引用しました。



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# by blackcat_kat | 2021-02-22 21:10 | 電気機関車