鉄道ジャーナリスト blackcatの鉄道技術昔話

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2016年 10月 30日

安全側線

久々にこちらにも投稿させていただこうともいます。
今後は出来るだけ投稿をしていきますので、よろしくお願いいたします。

さて、今回は安全側線についてお話したいと思います。

皆さんは、単線区間でこんな風景を見たことは無いでしょうか。
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これは、列車交換で屋名倉駅に停車中に車内から撮影したものですが、左側の線路、左側にさらに延びる錆びた線路が見えるでしょうか。

さらに、注意深く見ていただくと左側の線路に乗っかるように線路がかぶさっています。
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これでは、電車が脱線してしまいますよね。
これはわざと脱線させるための、脱線転轍機と呼ばれるもので、
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赤い丸で囲んだところに、白地に赤の板が見えると思いますが、これが脱線転轍機標識になります。

なぜ、このような設備があるのでしょうか。

これは。万が一信号現示を無視した場合でも本線に列車が進入しないようにするため、わざと脱線させることを目的としているのですが、昭和31年10月15日18時22分に発生した、参宮線での六軒駅事故や三河島事故などは安全側線があっても守れなかった事故であり、必ずしもこの機械的装置があることで十分な安全を確保できるものではありませんが、現在も単線区間ではこうした設備が残っているところがあります。

この転轍機は、実は進行方向を遮る
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この方向が定位(正常な位置という意味)であり、
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このように通常の列車の進行を妨げないようになっている状態を反位(正常な位置ではないと言う意味)という言い方をします。
奈良線のように、CTC化されている場合は集中制御盤で信号機と連動して動作するようになっており、自動信号化前は、信号係(掛)が重いバーをひとつづつ確認しながら連動させて操作していました。

今回図らずも、奈良線を見ていますと。
こうした古い側線が多数みることが出来ました。

ただ、新しく部分複線にした区間などでは、安全側線の転轍機が従来の脱線転轍機ではなく普通の転轍機でを使っている場合が多いようです。

画像の説明文字が間違えていました。転轍機→転轍器の誤りです。お詫び申し上げます。
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# by blackcat_kat | 2016-10-30 23:09 | 線路
2016年 06月 26日

旧型国電と冷房

今でこそ、冷房は当たり前になってむしろ窓が開く鉄道車両のほうが珍しくなってしまいました。
窓を固定式にするというのは、鉄道事業者にとってもメリットが実は大きいんですね。
窓が開くということは、底から乗客が手や顔を出すリスクがあります。
下降式窓なら手や顔を出すことは考えにくいですが、上昇式窓などでは手や顔を出してなんていうことはよくありました。

国鉄の場合特急は157系以外は製造当初から、157系は元々準急用としてデビューしたので冷房改造が行われたのは、昭和38年から、寝台車などは昭和40年代から現在のB寝台が冷房化が始まり急行列車もその前後から冷房改造が始まりました。

通勤電車に至っては昭和45年頃に冷房の試作改造などが行われたころからであり、旧型国電と呼ばれる、73形通勤電車や70系・80系と通称される電車にあっても冷房化はなされることはありませんでした。

個人的には300番台はデザイン的にもその後誕生する113系などと比べても見劣りしなかったので冷房化改造や新性能化改造して欲しかったなぁと個人的に思っているのですが、実は80系電車1両だけ冷房化された車両がありました。

これは、151系を設計する際に実際にユニットクーラーを取り付けてみることで夏場の空調の問題点を探ろうとしたもので、1957年8月にサロ85020に大井工場で改造工事が施され、屋根上に分散式冷房装置4基、床下にMGを搭載する改造工事が施工されたそうです。
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これが旧型国電では唯一の冷房改造車だと記憶しています。

なお、この話には後日談があるようで、試験終了後はクーラーは取り外されたそうで、当時の国鉄における考え方がよくわかるというものです。

昭和30年代というのは1等車・・・冷房付き、2等以下。基本は冷房なし、食堂車・・・冷房付き(黄害対策)のためであり、それでもすべての食堂車が冷房化されていたわけではなく、半室食堂車(オハシ30)などは最後まで冷房化されることはなかったですね。

歴史にIFはないですが、せめて模型の世界だけでも80系電車300番台に冷房装置を付けたりして遊んでみたいものですね。

鉄道・飛行機

歴史
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# by blackcat_kat | 2016-06-26 13:05 | 電車
2016年 06月 21日

幻に終わった151系電車、宮原配置計画 昭和36年10月鉄道ピクトリアルの記事から


昭和36年の改正「通称、サンロクトウ」と呼ばれた改正で、全国に特急網が誕生した画期的なダイヤ改正でもありました。
特急「白鳥」や「まつかぜ」「かもめ」といった気動車特急が誕生したのもこの改正でした。
特に前年の「はつかり」の失敗から80系気動車にあっては約1か月実際のダイヤで試運転が行われたといいます。
流石に往復1000kmを越える距離を走ってくると所々エンジンは不具合を出して停止してお、ガスケット割れによるオイル漏れ等を起こしたりということが多発したそうで連日その修理に追われたと言われています。

さて、そんな中で興味を持ったのは宮原区に151系を配置すると言う記事でした。
既にご存知の方も多いかと思いますが、特急こだまを含む151系はすべて東京田町に配置してあったことから何らかの理由で大阪まで151系電車が到着できなかった場合は宮原区の153系が臨時特急として向かうこととなり、国鉄としては100円引き(現在の価格であれば1000円程度)割引で対応したと記録されていますが、旅客サービス上、好ましいことではないことはもちろんです。

かなりの頻度であったようで、当初は153系の種別表示板は巻取り式ではなくアクリルの板をはめ込む方式だったそうですが、「特急」という表示も用意されていたそうですからかなりの頻度で走ったのではないでしょうか。
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この記事を見ますと、サービスアップのため本年度中(昭和36年度)にもう11両を作成して、これを大阪に配置するというものでした。

余談ですが、昭和39年に静岡で発生したクロ151とダンプカーの衝突事故ではその煽りを受けて、大阪〜宇野間の区間運転の列車として80系旧型国電が7両編成で急きょ運転されたと記録されています。


80系電車による代用運転


歴史にIFはないですが、仮にここで書かれているように、大阪に予備車配置が行われていたら、上記のような措置は無かったかもしれませんね。
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# by blackcat_kat | 2016-06-21 21:08 | 電車