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2017年 04月 05日

国鉄時代に開発された新幹線自動分割・併合システム

みなさんこんばんは、久しぶりに投稿させていただこうと思います。
山形新幹線「つばさ」や秋田新幹線「こまち」を連結するためにE5系とE6系が連結して運転されることは当たり前の風景になりましたが、この技術は国鉄時代に開発されたもので、昭和60年から研究されていたようです。
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東京駅にて

元々、この技術は山陽新幹線の段落ち輸送に対応するためのもので16両で運転しても博多まで同じ編成では輸送力過剰になってしまいます。
そうかといって、本数で調整するとレダイヤに柔軟性が取れなくなるため、8+8で東京を出発し、新大阪等で分割することを前提で考えられたのがこのシステムです。

下図を見ていた概要を当時に鉄総ジャーナルの記事を参照しながら簡単に記してみますと。
1)列車の連結は一旦停止を行わず連結させることとすると書かれていますが、これは走行中に連結するわけではありません、連結までに何度も停止と進行を繰り返す在来線のような方式ではなく、機械ということです。
2)停車中の車両に後方から連結する速度は1㎞/h以下とする。
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鉄道技術 昭和60年7月号から引用
3)分割併合で電気連結器も含む連結器と光前頭カバーの自動開閉装置の開発(実際には連結器部分だけの開閉装置となりました、)
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鉄道ジャーナル RAILWAY TOPICSの記事から引用

4)それと関連してATCの改修(駅への進入などでかなり長い距離から減速を伴っていたのでこれを少しでも解消するようにパターンを改修する、)
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鉄道技術 昭和61年7月号から引用

と言った点も同時に開発されることとなりました。

この開発は昭和62年の分割民営化までに間に合わせることが出来て、実際にJR西でも2編成を連結して多客時などに走ったそうですが、途中駅での分割・併合は無かったようにきおくしています。

これは、JR東海が定員の異なる車両を導入することを嫌ったことも原因ではないかと思っています。
結局この自動連結装置の技術は、JR東日本が自社の新幹線での分割併合のシステムの中に取り込んで現在に至っています。
当時の鉄道御ピクトリアルの資料などを見ると、0系で貫通ドアを新たに設置させたり、ユニークなアイデァが書かれています。

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鉄道ジャーナル RAILWAY TOPICSの記事から引用

鉄道・飛行機歴史



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by blackcat_kat | 2017-04-05 21:49 | 電車
2016年 06月 26日

旧型国電と冷房

今でこそ、冷房は当たり前になってむしろ窓が開く鉄道車両のほうが珍しくなってしまいました。
窓を固定式にするというのは、鉄道事業者にとってもメリットが実は大きいんですね。
窓が開くということは、底から乗客が手や顔を出すリスクがあります。
下降式窓なら手や顔を出すことは考えにくいですが、上昇式窓などでは手や顔を出してなんていうことはよくありました。

国鉄の場合特急は157系以外は製造当初から、157系は元々準急用としてデビューしたので冷房改造が行われたのは、昭和38年から、寝台車などは昭和40年代から現在のB寝台が冷房化が始まり急行列車もその前後から冷房改造が始まりました。

通勤電車に至っては昭和45年頃に冷房の試作改造などが行われたころからであり、旧型国電と呼ばれる、73形通勤電車や70系・80系と通称される電車にあっても冷房化はなされることはありませんでした。

個人的には300番台はデザイン的にもその後誕生する113系などと比べても見劣りしなかったので冷房化改造や新性能化改造して欲しかったなぁと個人的に思っているのですが、実は80系電車1両だけ冷房化された車両がありました。

これは、151系を設計する際に実際にユニットクーラーを取り付けてみることで夏場の空調の問題点を探ろうとしたもので、1957年8月にサロ85020に大井工場で改造工事が施され、屋根上に分散式冷房装置4基、床下にMGを搭載する改造工事が施工されたそうです。
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これが旧型国電では唯一の冷房改造車だと記憶しています。

なお、この話には後日談があるようで、試験終了後はクーラーは取り外されたそうで、当時の国鉄における考え方がよくわかるというものです。

昭和30年代というのは1等車・・・冷房付き、2等以下。基本は冷房なし、食堂車・・・冷房付き(黄害対策)のためであり、それでもすべての食堂車が冷房化されていたわけではなく、半室食堂車(オハシ30)などは最後まで冷房化されることはなかったですね。

歴史にIFはないですが、せめて模型の世界だけでも80系電車300番台に冷房装置を付けたりして遊んでみたいものですね。

鉄道・飛行機

歴史
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by blackcat_kat | 2016-06-26 13:05 | 電車
2016年 06月 21日

幻に終わった151系電車、宮原配置計画 昭和36年10月鉄道ピクトリアルの記事から


昭和36年の改正「通称、サンロクトウ」と呼ばれた改正で、全国に特急網が誕生した画期的なダイヤ改正でもありました。
特急「白鳥」や「まつかぜ」「かもめ」といった気動車特急が誕生したのもこの改正でした。
特に前年の「はつかり」の失敗から80系気動車にあっては約1か月実際のダイヤで試運転が行われたといいます。
流石に往復1000kmを越える距離を走ってくると所々エンジンは不具合を出して停止してお、ガスケット割れによるオイル漏れ等を起こしたりということが多発したそうで連日その修理に追われたと言われています。

さて、そんな中で興味を持ったのは宮原区に151系を配置すると言う記事でした。
既にご存知の方も多いかと思いますが、特急こだまを含む151系はすべて東京田町に配置してあったことから何らかの理由で大阪まで151系電車が到着できなかった場合は宮原区の153系が臨時特急として向かうこととなり、国鉄としては100円引き(現在の価格であれば1000円程度)割引で対応したと記録されていますが、旅客サービス上、好ましいことではないことはもちろんです。

かなりの頻度であったようで、当初は153系の種別表示板は巻取り式ではなくアクリルの板をはめ込む方式だったそうですが、「特急」という表示も用意されていたそうですからかなりの頻度で走ったのではないでしょうか。
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この記事を見ますと、サービスアップのため本年度中(昭和36年度)にもう11両を作成して、これを大阪に配置するというものでした。

余談ですが、昭和39年に静岡で発生したクロ151とダンプカーの衝突事故ではその煽りを受けて、大阪〜宇野間の区間運転の列車として80系旧型国電が7両編成で急きょ運転されたと記録されています。


80系電車による代用運転


歴史にIFはないですが、仮にここで書かれているように、大阪に予備車配置が行われていたら、上記のような措置は無かったかもしれませんね。
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by blackcat_kat | 2016-06-21 21:08 | 電車