鉄道ジャーナリスト blackcatの鉄道技術昔話

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2017年 05月 20日

ワンハンドルマスコンのお話 手前?それとも押し込むの?

久々に投稿させていただこうと思います。
電車では最近、ワンハンドルマスコンも増えています。
画像は阪急の9300系ですが、このワンハンドルマスコンを本格的に採用したのは1969年に誕生した東急8000系電車が最初と言えそうです。
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撮影 blackcat

このワンハンドル式の歴史は古く、1930年代には既に開発され、遅くとも1940年後半までにはニューヨーク、シカゴ、ボストン市などの地下鉄および高架鉄道等で、ワンハンドルが採用(現在の横型とは異なり縦形だったそうです。

ワンハンドル式は日本だけでなく国外でも採用されているのですが、ヨーロッパやアメリカではその操作方法に相違があるそうです。

それは、ブレーキをかけるときに馬の手綱を引く要領で手前に引くのか、それとも現在日本で採用されているように、前のめりに押すのかということです。
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画像 Wikipwdia

日本でも東急が8000系に採用する際にはその辺で賛否両論あったそうで、当時の運輸省の見解としてはどちらでもよいが一度決たらめ安全面の問題であるから変えてはならないと言われたそうで、最終的には手前で力行(加速)押すと減速(最大まで押し込むと非常ブレーキ)がかかる仕組みに決定されました。
これはワンハンドル式に限らず、横軸式の制御装置では統一された方式となっています。
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画像 Wikipwdia

なお、ワンハンドル式ではありませんが、横軸式としては昭和41年に試作されたキハ90が最初であり、右側がブレーキ、左側がマスコンとなっており、当時は国鉄の研究所の一つであった鉄道労働科学研究所にて研究が進められており、人間工学的観点から失神した場合などは前のめりになることからブレーキレバーを前に倒すようにしておくことが提言されたようで、キハ91、キハ181、その後試作されたクモハ591も同様の運転台でした、量産型の381系では従来の方式に変更になりましたが。)
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画像 Wilkipedia キハ181系運転台

逆に、馬車鉄道から発展したヨーロッパ等の鉄道では、ワンハンドル式のマスコンは手前に引いてブレーキ、押して加速が一般的であり日本と全く異なっています。

近年はJRで廃車になった車両が発展途上国等に譲渡される場合が多いのですが、ここで電車の制御方式が異なる。(真逆)ということで、戸惑が有ったようです。
ただ、譲渡先のインドネシアでも日本式の方が理にかなっていると言われているそうです。

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# by blackcat_kat | 2017-05-20 11:19 | 電車
2017年 04月 29日

アンヒビアン・バス・・・世にも奇妙なバスのお話

JR北海道が開発を続けていたDMVですが、阿佐海岸鉄道で導入を進める計画があるとのことであり、これが実用化されればローカル線の在り方を変えることが出来るかもしれませんね。

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[実はこの方式は、昭和30年代(1960年代)に既にドイツで実用化されており、運転席側に台車を付けて後部車両は、タイヤが直接レールと接する方式だったそうで、DMVに限りなく近い車両であったそうです。」
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当時の記事 公益財団法人 交通協力会 鉄道技術昭和36年11月号から引用

この情報を受けて、日本でも同じようにローカル線輸送の切り札としてこの鉄・道両用バスが計画されました。
それがこちら、
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バスの両端に台車が乗っかる、不思議なスタイルです。
ジャッキでバスを持ち上げ、両端に台車を挟み込む方式と言われており、台車自体は路面電車並ので66cmの車輪を採用していました。
また、ステップを装備しており、ドアと連動してせり出したそうです。
特長としては、バスに余分な車輪等の死荷重を持たないことでした。
その反面、車をリフトで載せる手間や、ブレーキホースの装着などの余分な作業があるため、5分程度で切り替えできると計画では書かれていましたが本当に5分で行えたのか、いささか疑問です。
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出入り台付近にステップが設けられている様子が伺えます。
バスの前から出ているホースはブレーキ用ホースで、先頭台車の2軸目が動力台車となる。
以下の図を参照
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真ん中に突き出す軸が動力伝達用、バスのドライブシャフトと繋がるらしい。

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バスの車体はこのピンを通じて台車と連結される


計画では、ローカル線での運用を計画するとして23線程候補があったそうですが、実際には実用化されずに終わっています。
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車内はバスそのものとなっています。
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鉄道の場合左右いずれにもホームがあるため、バス用非常口も出入り台として使われることになっている。

以下に、当時の仕様書を基に書き出してみました。
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画像は、公益財団法人 交通協力会 電子図書館 国鉄線8月号から引用させていただきました。

こちらも併せてお読みくださいませ。 





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# by blackcat_kat | 2017-04-29 13:13 | 気動車
2017年 04月 23日

冷凍コンテナの話

皆さまこんばんは、3週間近く放置してしま申し訳ございません。
本日は、昭和42年に試作された冷蔵コンテナのお話をさせていただこうとと思います。

国鉄時代に試作されていたクールコンテナが有ったそうです。

国鉄線昭和42年10月号の記事から引用させていただきます
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試作品のR91形コンテナ
元々冷蔵車は誕生以来、氷式もしくはドライアイス式で使われていましたが、昭和30年代後半から、コールドチェーンの考え方が浸透したことから、国鉄でも昭和37年にはレ90(ディーゼルエンジンで発電機を駆動して冷凍機を動かす電気式とと、ディーゼルエンジンで直接冷凍機を動かす直結式が試作されました。
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画像は、100年の国鉄車両 交友社から引用
この冷蔵車は、マイナス5度~20度の間で一定の温度に調整できるように設計されていたそうで、自動車(トラック)ではこうした冷凍システムが装備された車が増えつつあった時期であり、アメリカでも半ばそうした輸送は常識になっていたそうです。

5tコンテナによる冷凍コンテナを試作

国鉄としても、技術課題として、昭和42年に2両の冷凍コンテナが試作されたそうです。

昭和42年8月上旬には試作車のコンテナが完成し、各種試験を実施されたと記録されています。
コンテナの概要は、5トンコンテナに国産冷凍機を動力源として取り付けることとしたもので、その仕様は下記のようなものでした。
ア)幅2300mm、高さ2350mm、長さ3240mmの中で着脱可能な動力源を含む冷凍機にユニットを取り付ける
イ)冷凍機を付けることによって減少する内容積が出来るだけ少ないことにする(R10形の11㎡に比して10㎡弱)
ウ)狭いコンテナ内の一隅から冷風が吹き出し均一に分散する
エ)コンテナの重心位置と荷役機械の関係(からの場合は350mmユニット側に重心が移るため)
オ)動労運送中にデイゼル機関の排気処理や騒音を出来るだけ少なくする工夫
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取扱面について
詳細な寸法は書かれているのですが、冷凍装置は「独立ユニット」とのみ書かれており直接式だと思われます。
冷凍能力は外気温40℃で貨物室内の温度をマイナス20℃に保持でき。72時間運転が可能(予冷したものを積載することを前提)となっています。
なお、エンジンの異常、過熱等の場合はエンジンが自動停止するように設計されており、異常表示灯が点灯するようになっていました。

ただ、こうして作られた試作コンテナですが結局国鉄としては冷蔵コンテナに関しては国鉄が冷凍貨物輸送自体にあまり興味を示さなくなってしまったのか結局量産されることはありませんでした。

歴史にIFはありませんが、仮に国鉄がコールドチェーンの流通システムを国鉄が中心になって構築していれば鉄道コンテナによる鉄道輸送はもっと発展していたかもしれません。

取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。

国鉄があった時代 JNR-era




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# by blackcat_kat | 2017-04-23 21:44 | 貨車
2017年 04月 05日

国鉄時代に開発された新幹線自動分割・併合システム

みなさんこんばんは、久しぶりに投稿させていただこうと思います。
山形新幹線「つばさ」や秋田新幹線「こまち」を連結するためにE5系とE6系が連結して運転されることは当たり前の風景になりましたが、この技術は国鉄時代に開発されたもので、昭和60年から研究されていたようです。
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東京駅にて

元々、この技術は山陽新幹線の段落ち輸送に対応するためのもので16両で運転しても博多まで同じ編成では輸送力過剰になってしまいます。
そうかといって、本数で調整するとレダイヤに柔軟性が取れなくなるため、8+8で東京を出発し、新大阪等で分割することを前提で考えられたのがこのシステムです。

下図を見ていた概要を当時に鉄総ジャーナルの記事を参照しながら簡単に記してみますと。
1)列車の連結は一旦停止を行わず連結させることとすると書かれていますが、これは走行中に連結するわけではありません、連結までに何度も停止と進行を繰り返す在来線のような方式ではなく、機械ということです。
2)停車中の車両に後方から連結する速度は1㎞/h以下とする。
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鉄道技術 昭和60年7月号から引用
3)分割併合で電気連結器も含む連結器と光前頭カバーの自動開閉装置の開発(実際には連結器部分だけの開閉装置となりました、)
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鉄道ジャーナル RAILWAY TOPICSの記事から引用

4)それと関連してATCの改修(駅への進入などでかなり長い距離から減速を伴っていたのでこれを少しでも解消するようにパターンを改修する、)
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鉄道技術 昭和61年7月号から引用

と言った点も同時に開発されることとなりました。

この開発は昭和62年の分割民営化までに間に合わせることが出来て、実際にJR西でも2編成を連結して多客時などに走ったそうですが、途中駅での分割・併合は無かったようにきおくしています。

これは、JR東海が定員の異なる車両を導入することを嫌ったことも原因ではないかと思っています。
結局この自動連結装置の技術は、JR東日本が自社の新幹線での分割併合のシステムの中に取り込んで現在に至っています。
当時の鉄道御ピクトリアルの資料などを見ると、0系で貫通ドアを新たに設置させたり、ユニークなアイデァが書かれています。

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鉄道ジャーナル RAILWAY TOPICSの記事から引用

鉄道・飛行機歴史



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# by blackcat_kat | 2017-04-05 21:49 | 電車
2017年 03月 23日

貨車ブレーキのお話、足ブレーキのお話。

皆さまこんばんは、本当に久しぶりに更新させていただきます。画像は、京都の鉄道博物館に保存展示されている、ワム車の足ブレーキ部分をアップで撮影したものです。
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こうした、古い2軸貨車自体が殆ど廃車されてしまいましたので若い方ご存じない方も多いかと思いますが、1984年(昭和59年)まではこうした貨車が一般的であり、操車場と呼ばれる貨物の仕分けをするところでは数多くのこうした貨車を入替するために連結手が貨車に飛び乗ってブレーキをかけていたものでした。
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天鉄局のアルバムから

画像では判り難いですが、貨車に乗ってブレーキをかけている図になります。
ただ、このブレーキの装置が昭和27年頃までは上記の写真のような構造ではなかったそうで、ブレーキを踏んでもシューは固定せず、ピンを差し込む構造になっていたそうです。
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画像は当時の改良型の写真(第1図)(ブレーキイージー8形)

実際には、走行中に作業をしていたため、熟練を要するとともに触車事故なども多く、問題であったと昭和28年の国鉄線で出てきます。
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下記は当時の国鉄線昭和28年2月号に掲載されていた記事から引用させていただきます。
この記事によりますと、

一部本文から抜粋
簡易側ブレーキの取付
 従来からおこなわれている貨車のピン止式ブレーキについては、テコから足をすべらせたり、あるいは
いはピンをさず時尻を突き出したために傷害を受けるというような面、又は貨車の転動事政が各地に発生するといった面からこれが対策について研究されていた・・・一部略
改良された簡易側ブレーキは第一図に見られる通りである.本機の取付により、従来はビンの差し込みにかなりぶ熟練を嬰したのに比べ、新規採用の連結手も直ちに仕事につけうる点、傷害事故防止に役立つ点、制動効果が大きく.制動時分、制動距離が短縮される。

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出典 公益財団法人 交通協力会 国鉄線昭和28年 2月号から引用

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京都交通博物館で保存展示されているヨ50000緩急車

併せてこちらもご覧くださいませ。

http://blogs.yahoo.co.jp/blackcat_kat_2014/14320098.html

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# by blackcat_kat | 2017-03-23 21:10 | 貨車
2017年 02月 12日

12系+20系 混結時代?のお話

こんばんは、本日も20系客車のお話を少しだけさせていただこうと思います。
20系客車と言えば昭和33年に「特急あさかぜ」用としてデビュー、特急電車151系共々驚きの目をもって迎えられました。
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20系客車

20系客車はその後九州特急の充実とともに増備され、最終的に昭和45年まで製造が続けられましたが、1969年【昭和42年】には全国初の寝台・座席兼用特急電車581系が誕生し、その広いベッドと比較して52cmのベッドはさすがに見劣りがするということで1971年【昭和46年】既に量産が始まっていた12系客車をベースに寝台車が開発され14系寝台車として床下にエンジンを持つスハネフ14・中間車のオハネ14が誕生しました。
1972年【昭和47】年からは量産も始まりますが、
その翌1973年【昭和48年】には北陸トンネル火災事故の教訓から再び集中電源方式に戻され24系が製造されることとなりました。
なお、24系客車は581系電車の中・上段と同じ70cmの寝台幅となったことでサービスの向上が図られることとなりました。

そして、昭和51年には「特急つるぎ」が20系から24系25形【2段寝台】に置換えられることとなり、余剰となった20系はそのまま急行銀河の置換えに充当されることとなりました。

それまで、オロネ10・オハネ12等の旧形客車を使った編成から同じころに製造された車両とはいえ、特急客車が充当されることになったのです。
この時は、編成丸ごとでしたので、電源車に改造下以外はそのまま編成が充当されました。)
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その後も、「急行だいせん」等も編成単位で置き換えられ、特に「急行だいせん」では、ナロネ21の寝台を撤去してナハ21と言う新形式に改造した車両を誕生させましたが、当時の急行夜行列車の多くは座席が主体で寝台車は数両繋いでいるパターンの方が多く、こうした夜行急行列車を置き換えるため、12系客車と20系客車を混結させることとなりました。
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ただ、ここで問題が発生したのです。
それは、20系と12系客車ではジャンパー連結器などもさることながら、もっと大きな問題がありました。
それは、電圧の問題でした。
  1. 電源を受ける側の20系客車は3相600Vの交流電源、電源供給をする12系客車は3相440Vと電圧が違ったのです。
  2. 12系客車は自動ドアですが、20系客車はまさかの手動式でした。
    当時はボーイ(後の車掌補(乗客案内))が乗務しており、出発するとドアを手で閉めていたうえ、走行中は自動的にドアが施錠される(車のオートロックのような機能)ようになっていましたが、急行列車として使う場合は12系の座席車に合わせて20系側もドアの開閉を自動で行えるようにする必要がありました。
  3. 20系客車は800mmの車輪を採用しており、床面高さも12系とは異なっていたため貫通幌並びに渡り板も改造する必要が有ったと言われています。
  4. 公害問題もクローズアップされており、トイレのタンク取り付けなども併せて工事が行われました。
1)の問題に関しては、20系客車の床下に変圧器を取り付ける
2)に関しては自動ドア開閉装置を20系にも設置、ナハネフ20からも操作できるように改造
3)桟板の改造などが行う。
4) トイレにも、タンク等も取り付けたため重量がナ級=27.5t以上32.5t未満。で収まらず実際には35tちかくになったそうです。ただし、長く使う予定もなかったため、改形式にはせず、△マークを番号の前に付けて運用することとなりました。
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# by blackcat_kat | 2017-02-12 15:11 | 客車
2017年 02月 01日

緩衝器のお話 (寝台車の乗り心地のお話)

今回は、緩衝器のお話をさせていただこうと思います。

客車の連結部を見ると連結器は目に入ってきますけれど、緩衝器と言うのはその後ろにあるものですから外観からは判り難いと思います。
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緩衝器と言うのは連結器の後ろに設けられる衝撃を緩和する装置で、車両相互の連結時や列車の発進(起動)、加速、減速、停止などの際に生じる、ショック(正負の加速度)を吸収して、衝撃による破損や不具合を防ぎ、乗り心地を良好に保つための装置ですあり連結器の間に設置されています。

20系寝台列車は、前位(下関方)側に油圧式、後位(東京方)側にゴム式の緩衝装置を設けることで衝撃を吸収出来る設計を採用しており、乗り心地は良かったと言われています。

それ以外の電車などでは、バネによる方式が開発されて使われて行ったようです

なお、参考に参照させていただいた写真等は、「日本製鋼所技報 No.66(2015.10)鉄道製品の歩みと将来展望」から引用させていただきました。
自動連結器の後ろにゴムなどによる緩衝装置を使っていましたが、昭和30年代には渦巻ばねを使った緩衝器も開発されたそうです。
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その後、昭和40年には、鉄道の輸送力増強に伴う編成成の長大化ならびに高速化が図られたことから、従来の渦巻きばね緩衝器では容量不足、更にはメンテナンス性の改善が考慮され始めたため、新しい国産形のゴム緩衝器が開発され。1965(昭和40)年に角型ゴムブロックによるゴム緩衝器が開発されたそうです。
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この緩衝器が、国鉄に採用されたことで、電車、機関車、気動車や貨車用と幅広く使用されたそうです。
それが、下図のシングル型緩衝器とよばれるもので、ゴム自体に圧力5t程度を加えた状態で押さえつけらた状
態になっています。
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ただし、この方式は、前後衝動をほとんど吸収・緩和できないため、乗り心地と言う面では大きく問題が残ることになりました。
20系ではその辺を配慮して油圧・ゴムと交互に緩衝器を並べることでその辺の問題を解決していたのですが、14系寝台車や24系寝台車では結果的には乗り心地が悪くなるという悪影響を与えることとなりました。
そこで、昭和55年には改良型の緩衝器が開発されました。
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(RD011形緩衝器)と呼ばれるタイプであり、従来の14系寝台や24系寝台のシングル形はこのタイプに改造されることになりました。
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構造的には、シングル形が常に一定の圧力(負圧)をかけられていたのに対して、ダブル形は両方から挟む形となっており負圧が0となっています、これにより引き出し方に問題があってもその差を吸収することが出来るようになりました。
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下記の図のように、合成された力により、前後衝動を吸収・緩和出来るようになったと言われています。

図表等は、日本製鋼所技報 No.66(2015.10)鉄道製品の歩みと将来展望のPDFから引用させていただきました。





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# by blackcat_kat | 2017-02-01 00:06 | 客車
2017年 01月 10日

20系客車 ブレーキのお話

20系客車誕生

20系寝台列車は皆さんよくご存じだと思います。
昭和33年、「特急あさかぜ」としてデビューしたわけですが、この車両はそれまでの客車と大きく異なっていたのは、全車冷暖房装備の客車だったということです。
そのために、専用の電源車(マニ20)も用意され、専用電源車で発生した電力でオール電化された食堂車や冷暖房を行えるようになっていました。

ほんの3年程前までは冷房装置は1等寝台車と洋食堂車だけしかついていなかっただけに、大幅なサービス改善であったと言えましょう。
同時期に走っていた特急つばめ・はとが展望車以外は非冷房であったのと比べれば3等車まで冷房装備の「あさかぜ」がいかにあこがれを持ってみられていたかは容易に想像できそうです。
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さて、今回は20系客車のうち概略だけですがブレーキのお話をさせていただこうと思います。
客車としては、在来型の客車とは一線を引いていましたが、電化区間も東京~姫路まででありそれ以西は蒸気機関車牽引と言ううこともあり、ブレーキに関しては従来の客車と同じ方式が採用されました。
いわゆる自動ブレーキと呼ばれるもので、AS弁方式と呼ばれるもので、機関車側でブレーキ操作すると順次後方の客車にもブレーキがかかっていく方式であり、ブレーキの応答性は良いとは言えませんでした。
そのため最高速度も95km/hに制限されていました。
ただ、逆に在来型の客車とブレーキ方式が同じであったことから、昭和36年12月29日「特急さくら」に「準急あきよし」が追突、後部を大きく破損するなどした際には、10系客車を機関車の間につなぐことで混結運転が出来たという事実もあります。
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自動ブレーキ構成図 wikipediから引用

自動ブレーキの特徴は、構造が比較的簡単ですが、応答性が悪いという問題がありました。
それを改良したのが電磁弁を使った、電磁直通ブレーキと呼ばれるものが誕生しました。
20系客車も、元々は自動ブレーキであるASブレーキと呼ばれる従来のブレーキ方式でしたが、昭和43年10月のダイヤ改正に向けて速度向上の準備が昭和40年頃から進められていきました。

電磁弁により車両応答性を向上

さて、そんな20系客車ですが、電化の進展に伴うサービスの向上として昭和40年10月のダイヤ改正で製造された20系客車89両は、中継弁 (Relay valve)・電磁給排弁 (Electro-pneumatic valve)・ブレーキ率速度制御機能を付与した、「AREB増圧装置付き電磁自動空気ブレーキ」仕様で製造されました。
EF65-500番台(P型)が運用を開始したのも昭和41年からですので、新製された20系客車から110km/h運転がなされたのではないかと思慮しております。

その後、昭和43年の10月のダイヤ改正までに従来車も改造されて、20系客車の最高速度は110km/hとなりました。
これにより、機関車にも、下記のような特別な装備が必要となり、EF65(P)形には下記のような装備が付加された。
  • 編成増圧ブレーキ装置
  • 電磁指令ブレーキ回路
  • 元空気溜管 (MRP) 引き通し

なお、ブルートレイン増発が行われた際、東京発着がEF65で、関西発着のブルトレに関してはEF58がカムバックすることとなりましたが、関西ブルトレの場合最高速度を95km/hに抑えても十分ダイヤが組めたことも理由だと言われています。

それ故に、昭和50年頃でも特急あかつき・彗星などはEF58で牽引されていました。

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塚本駅にて撮影 EF58牽引の特急「彗星」






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# by blackcat_kat | 2017-01-10 18:36 | 客車
2016年 12月 24日

回転式火の粉止めの話

ATSのお話は、改めて書かせていただきますが、今回は古い鉄道ピクトリアルで見かけた回転式火の粉止めのお話をさせていただこうと思います。
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その昔蒸気機関車から出る火の粉で沿線が火事になるという例が多数あったそうです。
「機関車やえもん」という童話でも、そのような記述がありましたね、もっともこの辺のお話は創作だとも言われていますが、
その前に、少し鉄道と沿線火災ということでお話をさせていただこうと思います。

日本で最初の火災事故は、明治6年1月27日であったそうで、北蒲田村で3戸、町屋村で1戸、八幡塚村で1戸、それぞれ民家が焼けたそうで折からの北風に煽られて被害が拡大したと記録されているそうです。
ただちに、東京府知事から工部省鉄道寮(当時の名称)に対して被害者に対する見舞金の給付の上申がなされたが、前例がなく、落雷による被害みたいなものだから補償はしないと言い切ってしまったそうで・・・。
ただ、最終的には、鉄道による火災事故は落雷による被害に様なものではあるが、「鉄道に対して悪い評判が出ても困るので、今回に限っては見舞金を出す」という方向で決まったそうです。
今から考えれば、何ともい上から目線な意見なのですが、それでも地域住民は大いに感激して見舞金を受け取ったそうです。

その後も、当然のことながら鉄道が延伸することで同様に問題が発生するわけで、そうなってくるとさすがに沿線の人も公害として認識してくるわけで、放置するわけにもいかず、鉄道長官名で各私設鉄道に対して下記のような通牒が発せられたそうです。

「機関車火粉噴出のため危険の虞ありとし沿線住民に於いて疑懼(ぎく)の念を抱くもの少なからざる趣地方庁より上申あり、これが取締方に付一層の警戒を加ふるに非ざれど沿道住民をして鉄道を嫌悪するの情を起こさしめ、その信用を害し、発達を阻止するに至るやも計り難し、依って各会社は其使用する機関車に構造完全なる防火網を装置するは勿論、その燃焼方法等を考慮し万一過失なきを期すへし。

と書かれており、「防火網」すなわち、火の粉止めの網を設けるということにされたようです。

さて、ここから本題なのですが。
回転式火の粉止め、現場では通称「クルクル〇ー」と俗語でも言われていたようですが、正式名称は「回転式火ノ粉止メ器」と称するもので理研金属工業株式会社が開発した実用考案品だそうです。
昭和29年から国鉄蒸気機関車に採用され、昭和32年からはほぼ全ての蒸気機関車に使われたと言われています。

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鉄道ピクトリアル1969年5月号 P80から引用

この、火の粉止め装着によるシンダ(煤)をかなりの範囲で防止できた反面、煙突内にシンダが多く残ることとなり使用しない場合よりも2.6倍も付着したほか当然のことながら燃焼効率も下がるので機関士には嫌われ、保守する側でも火の粉止め自体が煙突と固着してして外しにくかったりとかなり保守には手を焼いたそうです。

その後練炭や無煙炭などを使用することにより煙の発生を抑えることが出来るようになってきて外される例もあったようです。
特に当時の記録を見ていますと、数少なくなったSL(蒸気機関車)を撮影に行って回転式火の粉止めが付いていると外れだとぼやいたとか。機関区にお願いして外してもらうように依頼した・・・なんて記事もあったりしますが。

蒸気機関車と回転式火ノ粉止めは切り離せなかったようですね。
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# by blackcat_kat | 2016-12-24 14:38 | 蒸気機関車
2016年 12月 03日

ATSと車内警報装置

ATSと言う言葉は聞いたことがあると思いますが、ATSの歴史について簡単に振り返ってみたいと思います。
出来るだけ、判りやすい言葉で書かせていただこうと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
本日は、ATSのお話をさせていただこうと思います。

現在はJR各社並びに中堅私鉄などでは保安装置の一環としてATSですが、日本工業規格JIS E3013(鉄道信号保安用語)によりますと、下記のように定義されています。

「自動列車停止装置」 列車が停止信号に接近すると,列車を自動的に停止させる装置。ATS (automatic train stop device) ともいう。

ATS前史

ATS自体は戦前からあり、銀座線で採用されていたような打子式(信号が赤の場合、バーが立ち上がり車両の非常ブレーキバーを操作するもので、非常ブレーキがかかると言う原始的な方式。
昭和16年には当時の鉄道省でリレーを使用した速度照査式のATSが開発されましたが、太平洋戦争が始まったこともあり設置は結局中止となってしまいました。

軌道電流方式のATSが採用されたのは、 都営地下鉄1号線(現在の浅草線)に相互乗り入れの京成押上線とともに採用されたのが最初だそうです。
国鉄に有ってはATS設置の機運となったのは昭和37年の三河島事故がその起因とされており、それ以前は国鉄にはATSすら設置されていませんでした。

ただ、東海道線などの列車本数が多かった区間ではATSのもととなった車内警報装置が設置されていました。

前置きが長くなりましたが、今回はATS-Sの前身である車内警報装置についてお話をさせていただこうと思います。

車内警報装置に関する話を昭和32年の国鉄線から抜粋したいと思います。

昭和32年に計画された車内警報装置は、3種類で、A型・B型・C型に分類されていました。
いずれも、警報を発するだけで、非常ブレーキの動作などを行うことは無く、運転士の注意を促すものでしかありませんでした。

以下、国鉄線から記事を参考に書かせていただきます。

A型・・・自動信号機用軌道回路の信号現示に応じた信号電流を流すもので、将来車内信号表示や自動列車制御装置などを作る際に手戻りなく移行させることが出来るそうで、重要幹線(東京~姫路間)で採用、速度もブレーキ距離も異なる列車が混在すため、警報発信後も赤ランプなどを点灯すると言った方式を考えており結果的には導入されなかったようです。・・・1970年までにATS-Sに移行されています。

B型・・・山手、京浜東北線の昭和28年頃から採用されている方式で、昭和32年度中には、中央線、総武線の電車にも取付けられる予定となっているそうで、自動信号機が赤の場合に流れる電流値が異なることを利用して、警報を発すると同時に車内警報ランプを白色灯から赤色灯に変えるそう、乗務員がこれを確認して押ボタンを押すと、警報が止み白色灯となる。というものです。
当然のことながら自動停止機能はありません。

C型は非自動信号区間(腕木式信号機&タブレットを使用する線区)にも取付けられるので、急行、準急等の高速度列車が運転される区間でA型、B型が取付けられない線区に設けられるもので、誘導電流の応仕組みを応用したものでした。
下図を参照
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腕木式信号機が進行の場合は、車上子の回路が出来ていますので誘導電流が発生する、逆に停止現示の場合は誘導電流は発生しないのでリレーが作用してベルが鳴動するようです。

なお、車内警報装置は、昭和34年5月までには下記の線区で整備されたそうです。

A形(東京~大阪556.4km)
B形(南武線・阪和線・城東線・西成線・片町線)
C形(裏縦貫(日本海縦貫)線で設置、南部線を除くB形は使用、その他は試用を開始

昭和33年3月17日には、西成線(後の桜島線)及び片町線で試験が行われたそうです。
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ただし、こうした車内警報装置はあくまでも、警報を発するだけであり、確認操作後ブレーキ操作をしなければ衝突する事故を起こしかねず、実際昭和35年1月1日は、準急「はまな」号が東京駅構内で停車中の横須賀線電車に追突して、重軽傷者23人を出す事故を起こしています。
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この時は幸い死傷者が無かったのですが、さらに2年後の昭和37年には三河島事故を起こして死者160人、負傷者296人を出す大惨事となり、この事故をきっかけにATSの本格的導入が検討されることとなりましたが、この時も車内警報装置に自動停止機能を加えたものであり、ATSとしては不十分なものでありその後も何度か追突事故などを起こしていました。
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運輸省制定のATSの話はまた別の機会にさせていただきます。

なお、ATSに関するさらに詳細なお話などは、後日もう少し調べてからアップさせていただきます。m(__)m
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# by blackcat_kat | 2016-12-03 09:11 | 線路