鉄道ジャーナリスト blackcatの鉄道技術昔話

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2017年 08月 12日

DF50形電気式機関車の話

現在機関車を新規に製造し保有しているのは、JR貨物だけであり、ディーゼル機関車もDD51の老朽化のためDF200形が新規に製造されています。
DF200形は電気式と呼ばれる方式で、従来の液体式と比べると重い機関車で実質的な通貨トン数が増えてJR北海道にしてみれば線路破壊量がDD51よりも大きくなって保守費が増大していると言った話も聞いたことがあります。
さて、JR貨物が電気式を採用する背景として考えられるのは、機関車の部品共用化が大きいのかなと考えております。
今後本格的な人口減などを考慮していく必要がある中で鉄道会社が出した答えだと思います。
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さて、今回はDF200などの新型の電気式機関車の話ではなく、今から半世紀以上前に製造されたDF50形電気機関車のお話をさせていただこうと思います。
DF50形機関車誕生
DF50形機関車は、北陸本線に投入されたDD50形の改良版として計画され,、昭和32年に試作車が、その後非電化区間の無煙化のエースとして昭和38年までに138両が増備されました。
機関出力1060PS(MAN型(500番台)は1200PS)であり、機関車の出力としては決して大きなものではありませんでしたが、高速性能ではC57相当、牽引力ではD51相当と言われていました。
DF50形設計当時は、高出力の液体変速機が開発されていなかったため、電気式が採用されました。
ただ、最近のDF200形のようなVVVF方式ではなく、発電機で発電した電力をそのままモーターに流してしまうという方式であり、Wikipediaを参照しますと、「「差動界磁付励磁機式発電機」が用いられた。これによって、主電動機に負荷がかかって回路電流が増大すると、自動的に発電機の界磁が弱まり、発電電圧が低下して、定出力特性が得られた。
と書かれております、そこで「差動界磁」と何かを調べていきますと、参考になるサイトがありましたので、そこから少し引用させていただこうと思います。

このサイトの中で書かれている、頭を説明のために引用させていただきますと
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差動複巻直流電動機というのは、磁束(磁力の強さ)を打ち消しあうもので最近では殆ど使われない技術だそうです。
その原因としては、回転速度が不安定になりやすく,始動トルクも弱いからという理由だそうで、逆にいえば、自動的にそうなってくれる方が発電機側としては都合が良いということになるのかもしれません。
余談ですが、磁束が補完しあうように働く場合は「和動複巻」というそうです。

ということで、難しい説明はこの程度としておき、実際の運転ではDF50形機関車は、電車などでよく使われる弱め界磁が多用され、最高30%まで弱める(界磁とは直流モーターの場合外側の磁石と思えば理解しやすいでしょう。)ことが出来たそうで、定格速度17km/hでしたが、旅客車などでは90㎞/h近くまで出せたようです。
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今から考えれば、蒸気機関車よりも加速は早かったとはいえ、電車などと比べると緩慢な速度でありやはり時代を感じてしまいますね。
今回は、正直私自身も色々と改めて勉強したのですが、まだまだ勉強不足だなぁという思いを新たにしましたのでさらに精進を重ねていく所存でございます。
間違い等があればご指摘いただければ幸いです。



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# by blackcat_kat | 2017-08-12 10:16 | ディゼル機関車
2017年 07月 10日

時代の狭間に咲いた花、キハ391系ガスタービン車

キハ391系という車両をご存じだろうか?
この形式を聞いてピンと来る方はかなりの通の方ですね。
国鉄の非電化区間での高速化をにらみ、大宮工場で試作された車両であり、その基礎研究は1967年(昭和42年)に日本車両工業協会(現:日本鉄道車輌工業会)が運輸省(現:国土交通省)から援助を受けて開発を始めたガスタービン機関によるターボトレインがその端緒と言われています。
この研究では、キハ07型気動車にガスタービンエンジンを搭載して基礎研究が行われました。
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鉄道ピクトリアル昭和47年(1972)6月号から引用

国鉄では、在来線の高速化が問題となり、昭和43年(1968)の第6回列車速度調査委員会で在来線特急の速度を最高130㎞/h、曲線通過速度は+20㎞/h以上を目標として計画されることとなり、電車では591系による振子電車を投入するとともに非電化区間に在っては391系による速度向上が昭和45年(1970)から開発に取り組み昭和47年に完成させたものでした。
なお、エンジンは当初、床下に設ける予定だったそうですが、最終的には床上に設置することとなったそうです。
なお、特徴として特殊な振子方式を採用していたそうで、変則的な連接式台車を採用しており、車体の1/3の部分にタービン期間を積んだ動力車がのっかり。大半の荷重を運転席がある側で支える方式となっていました。

米子駅構内で休車中の391系

鉄道ピクトリアルを参照しますと、下記の通り伯備線並びに予讃線に投入した場合の経済比較が載せられています。
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鉄道ピクトリアル昭和47年(1972)6月号から引用

昭和42年から実施された、日本車両工業協会(現:日本鉄道車輌工業会)の基礎研究では台上試験の後に下記のような試作車を作成して実際に磐越西線を走っています。
こちらも、当時の雑誌から引用させていただこうと思います。
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走行試験などを経た結果は、航空機用エンジンを鉄道に転用可能と言う結論に達したようで、今度は試作車を作って走らせてみることとなりそこで計画されたのがキハ391系ガスタービン気動車でした。

当時の非電化ローカル線は線路も脆弱で勾配も多く急曲線の連続と言う区間も多いことから下記のような方針が立てられたそうです。
1)軌道への影響を減らすため、極力軽量化し、軸重を小さくする。
2)曲線部における速度向上と転覆に対する安全性向上のため重心を低くする。
3)横風の影響を減らすため、車体全高を下げる。
4)曲線部における車輪軸圧を下げるため、台車は芯皿移動方式とする。
5)乗り心地改善のため、車体を振り子式とする。
6)軽量化の手段としてガスタービンを採用する。

と書かれています。

さらに車体についてですが、試験編成は3両で1編成となっており中間車両が動力車なのですが、この中間車は振子機能を持たないと特殊な構造となっていました。

中間車はタービンが車内に搭載されていました、画像右側の台車の構造に注目、

車輪の車体の重心を下げるために、両端の先頭車は800mm車輪を採用し、床面高さを920mmと大変低く設定されていたのも特徴でした。
従来の気動車が概ね1.3m程度の高さですから車体床高さが40cmも低いことになります。
実際、米子駅に留置されていた時に車内に入ったことがありますが(もうさすがに30年以上前の話ですから時効ですよね。苦笑)かなり床が低いなぁというのが正直な感想でした。

完成後は、川越線、伯備線、田沢湖線で試験が行われましたが、在来のディーゼル機関と比べてトルクが低く、加速は緩慢でその上騒音は大きい、消音機の改良などを行ったようですが、騒音だけはクリアできなかったと言われています。

その後は、石油ショックによる燃料費の高騰や、騒音問題などから量産には至らず長らく放置されることとなりました。

現在は解体されて先頭部分だけが保存されているとのことであるが貴重な車体だけに保存して欲しかったと思います。
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# by blackcat_kat | 2017-07-10 22:08 | 気動車
2017年 05月 20日

ワンハンドルマスコンのお話 手前?それとも押し込むの?

久々に投稿させていただこうと思います。
電車では最近、ワンハンドルマスコンも増えています。
画像は阪急の9300系ですが、このワンハンドルマスコンを本格的に採用したのは1969年に誕生した東急8000系電車が最初と言えそうです。
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撮影 blackcat

このワンハンドル式の歴史は古く、1930年代には既に開発され、遅くとも1940年後半までにはニューヨーク、シカゴ、ボストン市などの地下鉄および高架鉄道等で、ワンハンドルが採用(現在の横型とは異なり縦形だったそうです。

ワンハンドル式は日本だけでなく国外でも採用されているのですが、ヨーロッパやアメリカではその操作方法に相違があるそうです。

それは、ブレーキをかけるときに馬の手綱を引く要領で手前に引くのか、それとも現在日本で採用されているように、前のめりに押すのかということです。
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画像 Wikipwdia

日本でも東急が8000系に採用する際にはその辺で賛否両論あったそうで、当時の運輸省の見解としてはどちらでもよいが一度決たらめ安全面の問題であるから変えてはならないと言われたそうで、最終的には手前で力行(加速)押すと減速(最大まで押し込むと非常ブレーキ)がかかる仕組みに決定されました。
これはワンハンドル式に限らず、横軸式の制御装置では統一された方式となっています。
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画像 Wikipwdia

なお、ワンハンドル式ではありませんが、横軸式としては昭和41年に試作されたキハ90が最初であり、右側がブレーキ、左側がマスコンとなっており、当時は国鉄の研究所の一つであった鉄道労働科学研究所にて研究が進められており、人間工学的観点から失神した場合などは前のめりになることからブレーキレバーを前に倒すようにしておくことが提言されたようで、キハ91、キハ181、その後試作されたクモハ591も同様の運転台でした、量産型の381系では従来の方式に変更になりましたが。)
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画像 Wilkipedia キハ181系運転台

逆に、馬車鉄道から発展したヨーロッパ等の鉄道では、ワンハンドル式のマスコンは手前に引いてブレーキ、押して加速が一般的であり日本と全く異なっています。

近年はJRで廃車になった車両が発展途上国等に譲渡される場合が多いのですが、ここで電車の制御方式が異なる。(真逆)ということで、戸惑が有ったようです。
ただ、譲渡先のインドネシアでも日本式の方が理にかなっていると言われているそうです。

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# by blackcat_kat | 2017-05-20 11:19 | 電車
2017年 04月 29日

アンヒビアン・バス・・・世にも奇妙なバスのお話

JR北海道が開発を続けていたDMVですが、阿佐海岸鉄道で導入を進める計画があるとのことであり、これが実用化されればローカル線の在り方を変えることが出来るかもしれませんね。

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[実はこの方式は、昭和30年代(1960年代)に既にドイツで実用化されており、運転席側に台車を付けて後部車両は、タイヤが直接レールと接する方式だったそうで、DMVに限りなく近い車両であったそうです。」
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当時の記事 公益財団法人 交通協力会 鉄道技術昭和36年11月号から引用

この情報を受けて、日本でも同じようにローカル線輸送の切り札としてこの鉄・道両用バスが計画されました。
それがこちら、
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バスの両端に台車が乗っかる、不思議なスタイルです。
ジャッキでバスを持ち上げ、両端に台車を挟み込む方式と言われており、台車自体は路面電車並ので66cmの車輪を採用していました。
また、ステップを装備しており、ドアと連動してせり出したそうです。
特長としては、バスに余分な車輪等の死荷重を持たないことでした。
その反面、車をリフトで載せる手間や、ブレーキホースの装着などの余分な作業があるため、5分程度で切り替えできると計画では書かれていましたが本当に5分で行えたのか、いささか疑問です。
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出入り台付近にステップが設けられている様子が伺えます。
バスの前から出ているホースはブレーキ用ホースで、先頭台車の2軸目が動力台車となる。
以下の図を参照
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真ん中に突き出す軸が動力伝達用、バスのドライブシャフトと繋がるらしい。

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バスの車体はこのピンを通じて台車と連結される


計画では、ローカル線での運用を計画するとして23線程候補があったそうですが、実際には実用化されずに終わっています。
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車内はバスそのものとなっています。
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鉄道の場合左右いずれにもホームがあるため、バス用非常口も出入り台として使われることになっている。

以下に、当時の仕様書を基に書き出してみました。
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画像は、公益財団法人 交通協力会 電子図書館 国鉄線8月号から引用させていただきました。

こちらも併せてお読みくださいませ。 





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# by blackcat_kat | 2017-04-29 13:13 | 気動車
2017年 04月 23日

冷凍コンテナの話

皆さまこんばんは、3週間近く放置してしま申し訳ございません。
本日は、昭和42年に試作された冷蔵コンテナのお話をさせていただこうとと思います。

国鉄時代に試作されていたクールコンテナが有ったそうです。

国鉄線昭和42年10月号の記事から引用させていただきます
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試作品のR91形コンテナ
元々冷蔵車は誕生以来、氷式もしくはドライアイス式で使われていましたが、昭和30年代後半から、コールドチェーンの考え方が浸透したことから、国鉄でも昭和37年にはレ90(ディーゼルエンジンで発電機を駆動して冷凍機を動かす電気式とと、ディーゼルエンジンで直接冷凍機を動かす直結式が試作されました。
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画像は、100年の国鉄車両 交友社から引用
この冷蔵車は、マイナス5度~20度の間で一定の温度に調整できるように設計されていたそうで、自動車(トラック)ではこうした冷凍システムが装備された車が増えつつあった時期であり、アメリカでも半ばそうした輸送は常識になっていたそうです。

5tコンテナによる冷凍コンテナを試作

国鉄としても、技術課題として、昭和42年に2両の冷凍コンテナが試作されたそうです。

昭和42年8月上旬には試作車のコンテナが完成し、各種試験を実施されたと記録されています。
コンテナの概要は、5トンコンテナに国産冷凍機を動力源として取り付けることとしたもので、その仕様は下記のようなものでした。
ア)幅2300mm、高さ2350mm、長さ3240mmの中で着脱可能な動力源を含む冷凍機にユニットを取り付ける
イ)冷凍機を付けることによって減少する内容積が出来るだけ少ないことにする(R10形の11㎡に比して10㎡弱)
ウ)狭いコンテナ内の一隅から冷風が吹き出し均一に分散する
エ)コンテナの重心位置と荷役機械の関係(からの場合は350mmユニット側に重心が移るため)
オ)動労運送中にデイゼル機関の排気処理や騒音を出来るだけ少なくする工夫
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取扱面について
詳細な寸法は書かれているのですが、冷凍装置は「独立ユニット」とのみ書かれており直接式だと思われます。
冷凍能力は外気温40℃で貨物室内の温度をマイナス20℃に保持でき。72時間運転が可能(予冷したものを積載することを前提)となっています。
なお、エンジンの異常、過熱等の場合はエンジンが自動停止するように設計されており、異常表示灯が点灯するようになっていました。

ただ、こうして作られた試作コンテナですが結局国鉄としては冷蔵コンテナに関しては国鉄が冷凍貨物輸送自体にあまり興味を示さなくなってしまったのか結局量産されることはありませんでした。

歴史にIFはありませんが、仮に国鉄がコールドチェーンの流通システムを国鉄が中心になって構築していれば鉄道コンテナによる鉄道輸送はもっと発展していたかもしれません。

取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。

国鉄があった時代 JNR-era




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# by blackcat_kat | 2017-04-23 21:44 | 貨車
2017年 04月 05日

国鉄時代に開発された新幹線自動分割・併合システム

みなさんこんばんは、久しぶりに投稿させていただこうと思います。
山形新幹線「つばさ」や秋田新幹線「こまち」を連結するためにE5系とE6系が連結して運転されることは当たり前の風景になりましたが、この技術は国鉄時代に開発されたもので、昭和60年から研究されていたようです。
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東京駅にて

元々、この技術は山陽新幹線の段落ち輸送に対応するためのもので16両で運転しても博多まで同じ編成では輸送力過剰になってしまいます。
そうかといって、本数で調整するとレダイヤに柔軟性が取れなくなるため、8+8で東京を出発し、新大阪等で分割することを前提で考えられたのがこのシステムです。

下図を見ていた概要を当時に鉄総ジャーナルの記事を参照しながら簡単に記してみますと。
1)列車の連結は一旦停止を行わず連結させることとすると書かれていますが、これは走行中に連結するわけではありません、連結までに何度も停止と進行を繰り返す在来線のような方式ではなく、機械ということです。
2)停車中の車両に後方から連結する速度は1㎞/h以下とする。
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鉄道技術 昭和60年7月号から引用
3)分割併合で電気連結器も含む連結器と光前頭カバーの自動開閉装置の開発(実際には連結器部分だけの開閉装置となりました、)
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鉄道ジャーナル RAILWAY TOPICSの記事から引用

4)それと関連してATCの改修(駅への進入などでかなり長い距離から減速を伴っていたのでこれを少しでも解消するようにパターンを改修する、)
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鉄道技術 昭和61年7月号から引用

と言った点も同時に開発されることとなりました。

この開発は昭和62年の分割民営化までに間に合わせることが出来て、実際にJR西でも2編成を連結して多客時などに走ったそうですが、途中駅での分割・併合は無かったようにきおくしています。

これは、JR東海が定員の異なる車両を導入することを嫌ったことも原因ではないかと思っています。
結局この自動連結装置の技術は、JR東日本が自社の新幹線での分割併合のシステムの中に取り込んで現在に至っています。
当時の鉄道御ピクトリアルの資料などを見ると、0系で貫通ドアを新たに設置させたり、ユニークなアイデァが書かれています。

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鉄道ジャーナル RAILWAY TOPICSの記事から引用

鉄道・飛行機歴史



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# by blackcat_kat | 2017-04-05 21:49 | 電車
2017年 03月 23日

貨車ブレーキのお話、足ブレーキのお話。

皆さまこんばんは、本当に久しぶりに更新させていただきます。画像は、京都の鉄道博物館に保存展示されている、ワム車の足ブレーキ部分をアップで撮影したものです。
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こうした、古い2軸貨車自体が殆ど廃車されてしまいましたので若い方ご存じない方も多いかと思いますが、1984年(昭和59年)まではこうした貨車が一般的であり、操車場と呼ばれる貨物の仕分けをするところでは数多くのこうした貨車を入替するために連結手が貨車に飛び乗ってブレーキをかけていたものでした。
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天鉄局のアルバムから

画像では判り難いですが、貨車に乗ってブレーキをかけている図になります。
ただ、このブレーキの装置が昭和27年頃までは上記の写真のような構造ではなかったそうで、ブレーキを踏んでもシューは固定せず、ピンを差し込む構造になっていたそうです。
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画像は当時の改良型の写真(第1図)(ブレーキイージー8形)

実際には、走行中に作業をしていたため、熟練を要するとともに触車事故なども多く、問題であったと昭和28年の国鉄線で出てきます。
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下記は当時の国鉄線昭和28年2月号に掲載されていた記事から引用させていただきます。
この記事によりますと、

一部本文から抜粋
簡易側ブレーキの取付
 従来からおこなわれている貨車のピン止式ブレーキについては、テコから足をすべらせたり、あるいは
いはピンをさず時尻を突き出したために傷害を受けるというような面、又は貨車の転動事政が各地に発生するといった面からこれが対策について研究されていた・・・一部略
改良された簡易側ブレーキは第一図に見られる通りである.本機の取付により、従来はビンの差し込みにかなりぶ熟練を嬰したのに比べ、新規採用の連結手も直ちに仕事につけうる点、傷害事故防止に役立つ点、制動効果が大きく.制動時分、制動距離が短縮される。

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出典 公益財団法人 交通協力会 国鉄線昭和28年 2月号から引用

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京都交通博物館で保存展示されているヨ50000緩急車

併せてこちらもご覧くださいませ。

http://blogs.yahoo.co.jp/blackcat_kat_2014/14320098.html

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# by blackcat_kat | 2017-03-23 21:10 | 貨車
2017年 02月 12日

12系+20系 混結時代?のお話

こんばんは、本日も20系客車のお話を少しだけさせていただこうと思います。
20系客車と言えば昭和33年に「特急あさかぜ」用としてデビュー、特急電車151系共々驚きの目をもって迎えられました。
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20系客車

20系客車はその後九州特急の充実とともに増備され、最終的に昭和45年まで製造が続けられましたが、1969年【昭和42年】には全国初の寝台・座席兼用特急電車581系が誕生し、その広いベッドと比較して52cmのベッドはさすがに見劣りがするということで1971年【昭和46年】既に量産が始まっていた12系客車をベースに寝台車が開発され14系寝台車として床下にエンジンを持つスハネフ14・中間車のオハネ14が誕生しました。
1972年【昭和47】年からは量産も始まりますが、
その翌1973年【昭和48年】には北陸トンネル火災事故の教訓から再び集中電源方式に戻され24系が製造されることとなりました。
なお、24系客車は581系電車の中・上段と同じ70cmの寝台幅となったことでサービスの向上が図られることとなりました。

そして、昭和51年には「特急つるぎ」が20系から24系25形【2段寝台】に置換えられることとなり、余剰となった20系はそのまま急行銀河の置換えに充当されることとなりました。

それまで、オロネ10・オハネ12等の旧形客車を使った編成から同じころに製造された車両とはいえ、特急客車が充当されることになったのです。
この時は、編成丸ごとでしたので、電源車に改造下以外はそのまま編成が充当されました。)
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その後も、「急行だいせん」等も編成単位で置き換えられ、特に「急行だいせん」では、ナロネ21の寝台を撤去してナハ21と言う新形式に改造した車両を誕生させましたが、当時の急行夜行列車の多くは座席が主体で寝台車は数両繋いでいるパターンの方が多く、こうした夜行急行列車を置き換えるため、12系客車と20系客車を混結させることとなりました。
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ただ、ここで問題が発生したのです。
それは、20系と12系客車ではジャンパー連結器などもさることながら、もっと大きな問題がありました。
それは、電圧の問題でした。
  1. 電源を受ける側の20系客車は3相600Vの交流電源、電源供給をする12系客車は3相440Vと電圧が違ったのです。
  2. 12系客車は自動ドアですが、20系客車はまさかの手動式でした。
    当時はボーイ(後の車掌補(乗客案内))が乗務しており、出発するとドアを手で閉めていたうえ、走行中は自動的にドアが施錠される(車のオートロックのような機能)ようになっていましたが、急行列車として使う場合は12系の座席車に合わせて20系側もドアの開閉を自動で行えるようにする必要がありました。
  3. 20系客車は800mmの車輪を採用しており、床面高さも12系とは異なっていたため貫通幌並びに渡り板も改造する必要が有ったと言われています。
  4. 公害問題もクローズアップされており、トイレのタンク取り付けなども併せて工事が行われました。
1)の問題に関しては、20系客車の床下に変圧器を取り付ける
2)に関しては自動ドア開閉装置を20系にも設置、ナハネフ20からも操作できるように改造
3)桟板の改造などが行う。
4) トイレにも、タンク等も取り付けたため重量がナ級=27.5t以上32.5t未満。で収まらず実際には35tちかくになったそうです。ただし、長く使う予定もなかったため、改形式にはせず、△マークを番号の前に付けて運用することとなりました。
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# by blackcat_kat | 2017-02-12 15:11 | 客車
2017年 02月 01日

緩衝器のお話 (寝台車の乗り心地のお話)

今回は、緩衝器のお話をさせていただこうと思います。

客車の連結部を見ると連結器は目に入ってきますけれど、緩衝器と言うのはその後ろにあるものですから外観からは判り難いと思います。
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緩衝器と言うのは連結器の後ろに設けられる衝撃を緩和する装置で、車両相互の連結時や列車の発進(起動)、加速、減速、停止などの際に生じる、ショック(正負の加速度)を吸収して、衝撃による破損や不具合を防ぎ、乗り心地を良好に保つための装置ですあり連結器の間に設置されています。

20系寝台列車は、前位(下関方)側に油圧式、後位(東京方)側にゴム式の緩衝装置を設けることで衝撃を吸収出来る設計を採用しており、乗り心地は良かったと言われています。

それ以外の電車などでは、バネによる方式が開発されて使われて行ったようです

なお、参考に参照させていただいた写真等は、「日本製鋼所技報 No.66(2015.10)鉄道製品の歩みと将来展望」から引用させていただきました。
自動連結器の後ろにゴムなどによる緩衝装置を使っていましたが、昭和30年代には渦巻ばねを使った緩衝器も開発されたそうです。
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その後、昭和40年には、鉄道の輸送力増強に伴う編成成の長大化ならびに高速化が図られたことから、従来の渦巻きばね緩衝器では容量不足、更にはメンテナンス性の改善が考慮され始めたため、新しい国産形のゴム緩衝器が開発され。1965(昭和40)年に角型ゴムブロックによるゴム緩衝器が開発されたそうです。
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この緩衝器が、国鉄に採用されたことで、電車、機関車、気動車や貨車用と幅広く使用されたそうです。
それが、下図のシングル型緩衝器とよばれるもので、ゴム自体に圧力5t程度を加えた状態で押さえつけらた状
態になっています。
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ただし、この方式は、前後衝動をほとんど吸収・緩和できないため、乗り心地と言う面では大きく問題が残ることになりました。
20系ではその辺を配慮して油圧・ゴムと交互に緩衝器を並べることでその辺の問題を解決していたのですが、14系寝台車や24系寝台車では結果的には乗り心地が悪くなるという悪影響を与えることとなりました。
そこで、昭和55年には改良型の緩衝器が開発されました。
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(RD011形緩衝器)と呼ばれるタイプであり、従来の14系寝台や24系寝台のシングル形はこのタイプに改造されることになりました。
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構造的には、シングル形が常に一定の圧力(負圧)をかけられていたのに対して、ダブル形は両方から挟む形となっており負圧が0となっています、これにより引き出し方に問題があってもその差を吸収することが出来るようになりました。
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下記の図のように、合成された力により、前後衝動を吸収・緩和出来るようになったと言われています。

図表等は、日本製鋼所技報 No.66(2015.10)鉄道製品の歩みと将来展望のPDFから引用させていただきました。





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# by blackcat_kat | 2017-02-01 00:06 | 客車
2017年 01月 10日

20系客車 ブレーキのお話

20系客車誕生

20系寝台列車は皆さんよくご存じだと思います。
昭和33年、「特急あさかぜ」としてデビューしたわけですが、この車両はそれまでの客車と大きく異なっていたのは、全車冷暖房装備の客車だったということです。
そのために、専用の電源車(マニ20)も用意され、専用電源車で発生した電力でオール電化された食堂車や冷暖房を行えるようになっていました。

ほんの3年程前までは冷房装置は1等寝台車と洋食堂車だけしかついていなかっただけに、大幅なサービス改善であったと言えましょう。
同時期に走っていた特急つばめ・はとが展望車以外は非冷房であったのと比べれば3等車まで冷房装備の「あさかぜ」がいかにあこがれを持ってみられていたかは容易に想像できそうです。
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さて、今回は20系客車のうち概略だけですがブレーキのお話をさせていただこうと思います。
客車としては、在来型の客車とは一線を引いていましたが、電化区間も東京~姫路まででありそれ以西は蒸気機関車牽引と言ううこともあり、ブレーキに関しては従来の客車と同じ方式が採用されました。
いわゆる自動ブレーキと呼ばれるもので、AS弁方式と呼ばれるもので、機関車側でブレーキ操作すると順次後方の客車にもブレーキがかかっていく方式であり、ブレーキの応答性は良いとは言えませんでした。
そのため最高速度も95km/hに制限されていました。
ただ、逆に在来型の客車とブレーキ方式が同じであったことから、昭和36年12月29日「特急さくら」に「準急あきよし」が追突、後部を大きく破損するなどした際には、10系客車を機関車の間につなぐことで混結運転が出来たという事実もあります。
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自動ブレーキ構成図 wikipediから引用

自動ブレーキの特徴は、構造が比較的簡単ですが、応答性が悪いという問題がありました。
それを改良したのが電磁弁を使った、電磁直通ブレーキと呼ばれるものが誕生しました。
20系客車も、元々は自動ブレーキであるASブレーキと呼ばれる従来のブレーキ方式でしたが、昭和43年10月のダイヤ改正に向けて速度向上の準備が昭和40年頃から進められていきました。

電磁弁により車両応答性を向上

さて、そんな20系客車ですが、電化の進展に伴うサービスの向上として昭和40年10月のダイヤ改正で製造された20系客車89両は、中継弁 (Relay valve)・電磁給排弁 (Electro-pneumatic valve)・ブレーキ率速度制御機能を付与した、「AREB増圧装置付き電磁自動空気ブレーキ」仕様で製造されました。
EF65-500番台(P型)が運用を開始したのも昭和41年からですので、新製された20系客車から110km/h運転がなされたのではないかと思慮しております。

その後、昭和43年の10月のダイヤ改正までに従来車も改造されて、20系客車の最高速度は110km/hとなりました。
これにより、機関車にも、下記のような特別な装備が必要となり、EF65(P)形には下記のような装備が付加された。
  • 編成増圧ブレーキ装置
  • 電磁指令ブレーキ回路
  • 元空気溜管 (MRP) 引き通し

なお、ブルートレイン増発が行われた際、東京発着がEF65で、関西発着のブルトレに関してはEF58がカムバックすることとなりましたが、関西ブルトレの場合最高速度を95km/hに抑えても十分ダイヤが組めたことも理由だと言われています。

それ故に、昭和50年頃でも特急あかつき・彗星などはEF58で牽引されていました。

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塚本駅にて撮影 EF58牽引の特急「彗星」






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# by blackcat_kat | 2017-01-10 18:36 | 客車